最終章「Morning glow」2
「茜先輩……っ!!」
恐怖に身体を震わせ、助けを求めて凛音は茜に抱きつく。天使の輪っかを付けた巨人の姿を恐怖の対象としてしか見れなくなった凛音は、恐ろしさのあまり直視することが出来なかった。
「凛音……大丈夫だよ、大丈夫だから」
射線上にあった建物から火の手が上がり、瓦礫と化していく光景を見ながら、必死に凛音を落ち着かせようと茜は声を掛ける。
膨れ上がっていく焦燥感の中で、茜は柔らかく繊細な凛音の身体を受け止め、長く伸びた黒髪を優しく撫でた。
どれだけ恐ろしい力を持っているのか、まざまざと見せつけられた茜は鋭い眼光を迫りくる巨体に向けた。その姿はすでに戦場へと向かおうとする戦士の眼差しに変わっていた。
「聞いてほしい、凛音。あの化け物は危険すぎる、真っすぐこっちに向かって来てる。みんなを……地下まで誘導してすぐに避難させるんだ」
茜は力強く言い聞かせるように凛音に向けて言った。
「茜先輩はどうするんですか……?」
”どこにも行かないで”と、すがるような瞳で凛音は茜の顔を見つめた。
「あたしはあいつを止めるよ。それは、力を持ったあたししか出来ない事だから」
「そんなこと無理ですよ……先輩もあの光線を浴びて殺されてしまいます。
一緒に逃げましょう! 先輩がそこまで危険を冒して戦わなければならない理由なんてないじゃないですか?!」
離れて行こうとする茜に向かって必死に訴えかける凛音。一人で戦って生き残れる保証はどこにもない、時間稼ぎにすらならないかもしれない。だが、この残酷な状況に瀕しても、茜の戦う意志は揺るぎないほどに固く強固なものだった。
「そんなことないよ。あいつをこのまま放置してしまったら、いずれあたし達は全員殺される。この街を焼き尽くされる前に、あたしがやらなきゃならないんだ。
だって、あたしはこの街を守る魔法戦士だから、最後まで逃げたりしないよ。先生もあたしの事を信じてここに残してくれたんだから」
恐怖で身体を震わせる凛音に茜は真っすぐに視線を送り、安心させようと語り掛ける。
そのあまりにも模範的過ぎる気高き心の強さは、凛音の心をさらに絶望へと陥れていく。
「そんな……ダメですよ、一人で行っちゃ。私も行きます、私も行きますから、茜先輩……私から離れないで、一人にしないで……」
「凛音を一緒には連れて行けない。凛音だけは絶対に守り切るって決めたから。あたしに任せて守らせてほしいな……凛音の事もこの街の人々も」
「うううぅ……ああぁぁ……茜先輩……大好きなんですっ!! 大好きだから傍にいて欲しいんですっ!!」
「ありがとう、分かっているよ凛音。あたしも凛音の事が大好きだから」
決意を固めた茜にどんな声を掛けても届かないと察すると、凛音はその場で泣き崩れた。
茜はそんな凛音を慰めるため、顔を近づけ、おでこに優しく触れるようなキスをした。
溢れ出る愛おしさと苦しさと切なさで紅く染まっていく凛音の頬。身体を震わせ、宝石のように潤んだ瞳を向ける凛音に茜は優しく微笑んでギュッと身体を抱き締めた。
「茜先輩っ!! あああぁぁぁ!!」
「ごめんね、凛音」
止まることなく迫り来る天使の輪の巨人。
慈悲もなく蹂躙され、壊れゆく舞原市の街並み。
凛音の治療によって茜は戦う力を取り戻した。それは凛音にとって戦わせることが目的ではなかったが、避けては通れない戦場へと、茜は自分の意志を貫き立ち向かおうとしていた。
*
魔法戦士の誇りとして今日も着ている深紅の衣装の上に毛皮のコートを羽織り、茜は凛音に別れを告げて寒空に下、凛翔学園を去った。
茜が全身全霊を賭けて撃退しなければならなくなった天使の輪を持った巨人はゆっくりと市街地を歩き、凛翔学園のある学園都市の方角を向いていた。
あまりに衝撃的な打撃を街に与えた魔術砲撃の連射は出来ない様子で、再び口を閉じ立ち塞がる建物をなぎ倒しながら歩みを続けていた。
死へのカウントダウンは始まっている。残された凛音は学園長室にすぐに向かうと、茜から託された伝言を学園長に告げた。
「―――片桐茜先輩からの伝言です、避難生活を送っている皆さんを地下へと避難させてください。あの巨人の化け物はこちらに向かっています、急いでください!!」
託された役割をやり遂げるために、茜の想いに報いるため、勇気を振り絞り、涙を拭いて凛音は言い放った。
信じ難い巨人の出現で動揺が広がっていた学園長室にいる学園長と手塚巡査は顔を見合わせて、事の重大さを痛感させられた。
「稗田先生の娘さんでしたね……。事態は急を要するという事ですか。分かりました。手塚巡査、至急住民の避難を進めてください。このままここにいては危ない、学園の地下であればまだ生き延びるすべはあるはずです」
気が動転していた学園長は冷静さを取り戻し手塚巡査に告げた。
重苦しく告げられた言葉を手塚巡査は受け止め、事態の深刻さを正確に理解した。
「分かりました。出来る限りの事は致しましょう。
何もあの化け物に対抗できないことは大変心苦しいですが、今は自分たちに出来ることをしなければなりません。
出来る限り多く生き残るために、何としても全力を尽くさねばならない時です」
正気に戻った手塚巡査は敬礼をして、このまま死にゆく時を待つことの愚かさを痛感した。
巨大なゴースト相手に対抗できる兵器はここには存在しない、そのことを学園長も手塚巡査もよく分かっていた。
しかし、それでも今日まで生き延びた住民が一人でも多く生き残る方法を取るため、力強い男の目に戻った手塚巡査は学園長室を勢いよく出て行った。
その光景を見ていた凛音は不意にやって来た眩暈に襲われ、その場で膝を付いた。
「大丈夫かね……?」
学園長は焦った様子で駆け寄る。
血の気が引き、顔面蒼白となっている凛音。茜の無事を祈りながらも帰ってくる保障のない現実に、すでに精神は追い詰められていた。
「うううぅうぅ……茜先輩は一人で戦おうとしています。私を……皆さんを守る為に、命を懸けて戦おうとしてるんです」
我慢しきれず、茜が戦場へと向かったことを凛音は告白した。
悲痛に歪む凛音の姿を見た学園長は魔法使いの少女が戦場に向かうことの意味を察した。
「そうでしたか……どれだけ勇気のいる決断だったことでしょう。
いかなる脅威が迫っていても、それでも守りたいと思ってくれている事、感謝しなければなりませんな」
茜が離れていく切なさで、胸が締め付けられる凛音は、学園長の言葉を聞き必死に涙を堪えて立ち上がった。
「はい……私達はきっと最後まで生き残るための戦いをしなければならないんです。身を挺して戦ってくれた、社会調査研究部の方々の分も」
凛音は戦場に向かって帰って来なくなってしまった、魔法使いの少女達のことを想った。
思い返せばかけがえのない記憶ばかりが蘇って来る。
たくさんの笑顔、たくさんの涙、共に過ごしてきた学園生活。
転校生であった自分を優しく受け入れてくれた少女達との思い出を凛音が忘れることはなかった。
そして、帰る場所を守る大切さを凛音は思い出し、自分に出来ることをやり遂げる決意を固めた。




