第四章「花ざかりに祝福を」1
「いやぁぁーー!! 来ないでーーーー!!」
私は家を飛び出して、必死に夜の住宅街を走っていました。
逃げていたのです、道を塞いでくる恐ろしい黒い影からひたすらに。
夕食時を過ぎた夜道は想像以上に暗く、電信柱に取り付けられた照明も頼りなく点滅している。
人が居そうなコンビニや大通りに行こうにも、そこには黒い影が立ち塞がり、今にもその黒い影が腕を伸ばし私の身体を掴んで、飲み込もうとしてきました。
足もなくユラユラと動き回るアレの正体が何者かは分かりません。しかし、鼻を塞ぎたくなるほどの異臭やドロドロと液体があの黒い影からゴボゴボと噴き出しているのを見ると、アレには近づいてはならないと、生理的に判断せざるおえませんでした。
「はぁ……はぁ……はぁ……どうしてなの?! こんなのおかしいよ!!」
いくら叫んでも、いくら走っても、人の姿が見えない。
これが夢であってくれたらと思う孤独の海に迷い込んだ私は、ただひたすらに走ることしか出来ません。
気付けば坂を上った先にある、神社近くの大きな集合墓地へと辿り着いていました。
そこで私は、無意識にここへ誘き出されていたのだと分かりました。
だって、そこには無数の黒い影がうじゃうじゃと気味が悪いほどに待ち受けていたからです……。
「もう走れない……やだよぉ……怖いよぉ!! 助けてぇぇ!!」
精神的に追い詰められ、極度の緊張と疲労で足元もおぼつかない。息を切らしながら辺りを見渡しても、歪な黒い影しか見えない。
この世のものと思えないアレが幽霊か何か、霊的なモノであるとは思うが、実態はまるで何もわからない。
私が狂ってしまったのか、世界が狂ってしまったのか、その判断すら鬼気迫る今の状況で判断することなど、出来ようはずもなかった。
ただ、底の見えないおぞましい恐怖を感じ、私の身体は震え、心臓の鼓動は激しく脈を打ち危険を訴えかけていた。
どうしてこんなことになってしまったのか。
私は考えることも苦痛になり、そのまま地面に膝を付き、耳を塞ぎ、目を閉じて泣きじゃくった。
自分がこれからどんな目に遭うのかは分からない。
ただ、この現実から逃げたくて、悲鳴を上げることしか出来なかった。
”大丈夫? アレが怖いの?”
唐突に頭上から淡々とした女性の声が聞えて、私は思わず救いを求めて視線を上げた。
そこには私と同世代くらいの私服姿をした少女の姿があった。
「アレが何かわかるの?」
私のことを見下ろす無表情で感情の起伏が見えない少女、私は他に頼るものがない状況で聞いた。
「よくは知らないけど、視えてしまうのは仕方ないと思う。
あぁ……そっか。あんまり騒いだらダメだよ、危ないから……って、もう遅いかな……」
群れになった黒い影が私と少女に向かってじりじりと近づいてくる。瞳があるのか赤いハイライトのようなものを二点、黒い影は灯していた。
その姿は獲物を見つけた獣のようであり、四方八方を囲まれてしまった現時点で逃げ場はなかった。
「いやぁぁ!! 助けてよぉ!! 殺されちゃうよ!!」
必死に少女にしがみ付く私だったが、死を恐れていないのか少女の反応はあまりに無感情で寂しいものだった。
「もう駄目だよ……この数を相手にできるほど私も便利にできてない。
息を潜めて、ちゃんと心を正気に保っておかないと簡単に襲われちゃうよ。
はぁ……最期は物悲しいかな。ごめんね、一緒に死んであげるから」
「やだ!! やだやだやだ!! そんなの無理だよぉ!!」
救いを求め、断末魔のように叫ぶ私に動じる様子もない少女。
必死の叫びも周りを囲む黒い影を誘うだけだと分かったが、もう……それに気付くのが遅すぎたと、現実を受け入れ諦めるほかなかった。
そして、私のすぐ隣にまで迫って来た黒い影から、気味の悪いほどに血管の浮き出た土色の腕が伸び、私の腕を強い力で掴んだ瞬間、私は死を覚悟した。




