第三十章「天使の輪の巨人」3
「大丈夫か、奈月」
「はい、取り乱してしまってすみません。もう、大丈夫です」
アンナマリーを看取った蓮と奈月は見通しの悪い線路の上を歩き、洞窟になっている暗闇の続く道を歩いていく。
耐え切れない別れを味わい、止めどなく涙を流していた奈月はなんとか先に進むために気持ちの整理をさせ、凛々しい姿を辛うじて取り戻していた。
この先に霊脈があり、召喚器を守る敵が待ち受けている確証はないが、先へと進む道は、この道以外にはなかった。
大切な人を失っても、ここまで来てしまった以上立ち止まることは出来ない。
託された想いを胸に、この厄災が終わるまで決して歩みは止まらない。
それを蓮も奈月も、社会調査研究部の部員たちの姿を見てきたからこそよく知っていた。
だが、それを心得ていたとしても、当事者となって経験するという事は全く別の話しであると思い知らされた。
受け入れがたい喪失感に苛まれ、どれだけ涙を流しても、何も救われることはなく、何も変わらない現実が圧し掛かって来る。
蓮と奈月は息を引き取ったアンナマリーの想いを胸に抱え、再び立ち上がって深淵へと向かう。それが、痛みを堪えるための、唯一の方法であるかのように自分達を騙して。
「先生、あたしは迷いなく宝石の力を使います」
愛する蓮の隣に立ち、前に進むことを決めた奈月は、まだアンナマリーの温もりが感じられる魔銃を強く握り、蓮に告げた。
「それでいい、俺は今更止めたりしないさ」
宝石の力を疑っているわけではないが、強大な力の反動はどうしても受けてしまう。激しい戦闘の後でその反動に耐えられるかは奈月次第だったが、蓮は奈月の意思に全てを任せることにした。
そうして意思を確かめ合い、水滴が落ちる音を聞きながら二人歩き続けると、出口かと勘違いしそうになる、眩い光が先に見えた。
「これが、情報にあった霊脈ですか……」
光の先から伝わって来る強い生命エネルギーに感応して、奈月が声を上げる。驚くほどに身体に伝わって来る、確かな温かさ。
身体が自然と軽くなり、内側から力が湧いてくるようなその感覚は、霊力を扱う半霊半人の魔法使いにとって聖域と言って差し違いないものに思えた。
「ふぅ……やっと、辿り着いたな」
「はい、行きましょう」
歩き疲れ、今すぐにでも休みたい、戦い疲れた疲労感が声から滲み出ていた。
それでも、迷いを断ち切り、二人は深層へと辿り着いた。
ここまで進み続けた順路は激しい戦いのせいで朧げな記憶の中にしかないが、進み続けることに一切の躊躇いはなかった。
光の差す方へ歩き、狭い洞窟から広い空間に出て視界が開けると、そこには元凶となるもの達が待ち受けていた。
*
白衣を着た、蓮よりも一回り若い医学生の面影がある、ごく平凡な体格をした男。
それに凛翔学園に襲撃してきた際に初めて姿を現したディラックと呼ばれていた金髪で耳の長い西洋人風の男。
そして、一際目立つ、禍々しい巨大な壺をバックにして車椅子に座る女性。
その女性は顔を覆うほどの長い黒髪をして顔を伏せたままで、気品あるドレスに着飾っているが顔色は伺えず、生きているのかどうかすら、遠くからでは分からなかった。
「そうか……カステルはしくじったか。己が理想に溺れ自滅することになるとは、浮かばれないな」
足を止めた蓮と奈月の姿を見るとディラックは沈黙することなく、口を開き第一声を上げる。
一触即発となることを覚悟していた蓮と奈月だが、まだ様子を見なければならない状況に見えた。
「我が片腕を失ったような喪失感だ……。
だが、既に計画は最終段階にある。
やり遂げて見せるさ、メフィストフェレスよ。
ファウストの名の下に、全てを無にして、世界を再生させると誓おう」
緊張感に包まれる中、顔を上げて独り言のように呟き、重苦しく敗れたメフィストを惜しむ男。
ファウストを名乗る白衣を着たこの男こそが、リリスから魔力を調達し、メフィストを召喚器である悪魔の壺を使い召喚した張本人であり、魔法使いの魂を利用して、悪魔召喚を続けてきた悪しき元凶だった。
天を仰げば外の景色も見える井戸の底にあるような広い空間。
霊脈を裏付けるように澄んで池もあるこの場所には、黒い瘴気を湯気のように上げる、簡単に人が入れるほどの巨大な壺が置かれている。
「これが召喚器か……」
「巨大な壺ですね」
聖なる領域には似つかわしくない禍々しい強大な壺の存在。
これから破壊しなければならない、巨大な召喚器を眺める蓮と奈月。
だが、謎の車椅子の女性と二人の男が立ち塞がる光景は、それが簡単な事でないことを如実に示していた。
「紹介しよう。この舞原市を覆うほどのファイアウォールを展開させた、前田郁恵だ。我々の手で復活を遂げた彼女は最強の魔法使いとなった」
ファウストと名乗った男が車椅子の横に立ち、真実の一端を告げる。
動く様子の見えない車椅子に座った顔を伏せたままの女性。それが舞原市を陸の孤島に追い込んだ、巨大なファイアウォールを引き起こした元凶であると。
「そういえば、沙耶が話していたことがあった。前田郁恵のことを。写真も見たことがある。確かに同一人物だ……」
名前を聞いた蓮はふいに思い出した。沙耶との会話の中で出て来る前田郁恵という、保育士をしていた全盲の女性を。
呪いによって眠りにつく前、沙耶は彼女のピアノを喫茶店で聞くのが好きだったという。
傷ついた心を癒す、心地いいピアノの旋律。
奏でる音色は彼女の優しさで満ち溢れていた。
目の見えない彼女のその美しさと笑顔に沙耶は惚れこんでいた。
「確か……前田郁恵は行方不明になっていたはず。ということはお前が連れ去ったのか」
凛翔学園で教師をしていた蓮は、東京で暮らしていた沙耶と頻繁に交流が出来ていたわけではない。
そのため、前田郁恵の事も沙耶との会話の中でしか知ることはなかった。
だが、そんな中でも鮮烈な記憶として残るとある事件の最中、前田郁恵が行方不明になったことは印象的な出来事として記憶していた。
「保護したのだよっ! 愚かな者たちによって、瘴気に犯された前田郁恵を!
任せてはならなかったのだ! あの男になど! 愚かしいことだ。
だからこそ、今度こそ俺の手で前田郁恵を救済しなければならなかった」
話しの全容も繋がりも見えない中、急に感情的になり大声を上げるファウスト。
いかにも私怨で動いているように見えるこの男は、魔法使いやゴーストが持つ魔力を行使できない、ごく普通の人間であることは蓮にも奈月にもすぐに分かった。
「それで、彼女を魔法使いにしたという事か……」
状況を俯瞰して考え、愚かさを感じた末にそう結論付けた蓮は冷たく言い放った。
「そうしなければ、息を吹き返すことはなかった。
悪魔の手でも借りる覚悟がなければ、尊い命は簡単に失われてしまうのだよ!!」
瘴気を浴び眠り続ける沙耶と、禍々しい霊体を取り込み魔法使いとなって息を吹き返した郁恵。
悲しき先に分かれた、二つの運命。
蓮の中で渦巻く複雑な感情を察して、奈月は蓮の手を握った。
「先生、終わらせましょう……。
あたしが沙耶さんを取り戻して見せます。
だから、この忌まわしき厄災を終わらせましょう。
あたし達は、そのためにここまで来たんですから」
迷いを振り払うために、蓮への愛情を持つ奈月が強い意志で優しく語り掛ける。それで、蓮の中にある葛藤は解きほぐされた。
「あぁ……そうだったな。早く、沙耶のところに行こう。
お前達の野望はここで終わらせる。
何の罪もない前田郁恵に罪を背負わせた、お前達を許してはおけない」
顔を上げ、一度はアンナマリーに託した黄金銃の照準を、今度はファウストに向ける。
蓮が心から愛する沙耶と奈月、瓜二つの外見を持つ二人は、性格も違えば才能も価値観も違う。だが、蓮にとってかけがえのない大切な二人に今はなった。
アンナマリーを失い、目的のためには手段を選ばない意思で、恐ろしく冷たい形相に変わった蓮を見たファウストは顔を歪ませ、両手を広げた。
「いいよ、悪魔に魂を売った時点で命など惜しくはない。
だが、蘇らせた前田郁恵は自由にさせてもらう。
さぁ、覚悟するがいい!!」
そして、ファウストの意思に応えるように、前田郁恵は顔を上げ、理性の欠片もない哀しき姿で瞳を光らせ立ちあがった。
人形のように意志を持たない郁恵がナイフを手に襲い掛かる。
奈月は蓮を守るため、正面に立つとすぐさま双剣を発現させてこれを迎え撃った。




