第三十章「天使の輪の巨人」2
「ふふふっ……」
「何が可笑しいのかしら?」
気が狂ったように嗤い始めるファントム。
爆弾のせいで周りの景色が一変した、足場も悪い異様な状況の中、羽佐奈は警戒を強めた。
「前回は驚かされたよ。噂程度でしかなかったが、確かにカステルの言う通り、魔法使い最強の能力所持者は伊達ではないらしい。
だがね、過去の悪魔達のように理性を捨て去って戦うのは、私の美学には合わないのだよ。
よって、君にはハンデを背負って戦ってもらおう」
妙な口ぶりから始まったファントムと羽佐奈の戦い。
警戒をしていたが、言葉の真意を見い出せないまま、ファントムが自ら白い仮面を取り、その正体を現すのは予想外の事だった。
「あなた……」
「見てはダメよ!! 羽佐奈!!」
友梨から警告の言葉が発せられるがもう遅かった。
仮面の下まで白塗りの顔をしているファントムの瞳が紅く輝き、《《羽佐奈は魔眼の餌食になった》》。
中身まで白塗りになっている顔に動揺した直後、激しい頭痛と目を開けられないほどの閃光を浴びた羽佐奈は、膝を付いて苦しみ始めた。
「くっぅっぅぅっ……」
激しい頭痛を懸命に堪え、目を開くことさえできない魔眼の効力を受ける羽佐奈。一方、大鎌を手にするファントムは魔眼の効果が絶大であったことを確認すると、さらに饒舌になっていく。
「残念だが、私の魔眼を正面から見たものは一時的に視力を失う。
君には失明した状況で私と戦ってもらう。
この魔眼は危険極まりないのでね、普段はカメラを内蔵させた仮面を着けなければならない。
もう一人の魔法使いの方は先ほどの結界でかなり魔力を消耗している。
これ以上の支援は期待しないことだな。
ゴーストとしての能力を使い、化け物になってまで君に勝っても嬉しくないのでね。さぁ、覚悟してもらおう」
ファントムの言葉通り、友梨の魔力はファントムとの戦闘に耐えられるほど十分ではない。元々戦闘向きではない友梨では上位種のゴーストと渡り合うには相応の準備が必要だったが、準備に必要な魔力は残されていなかった。
自分が羽佐奈の代わりに戦いたい意思はあるが、それが出来ない友梨は苦虫を飲むことしか出来ない。
それでも、視力が戻るまでの時間稼ぎをしようと足を動かそうとすると、羽佐奈は制止させた。
「友梨、私はどんな時も誰にも恥じない戦いをしたい。だから、見届けてくれるでしょう?
友梨の事を信じているわ。あなたがいるから、私は今日も明日も輝くことが出来るんだから」
再び立ち上がり、怯むことなく魔力を発現させて臨戦態勢を取る羽佐奈。
薄ピンク色のコートを脱ぎ捨て、右手にセイントブレードを握り、周囲には前回の戦いで脅威を強さを見せつけた洗練されたガラス細工のような鳥たちが退屈そうに舞い踊る。
(私は常に凛々しく輝いていようと決めた。
父の跡を継ぎ、ゴーストとだって戦い続けると決めた時から。
そうして、生き方から根本的に変えなければ、この二つの大切な責務を果たし、家族のところに帰る約束を果たすことが出来ないのだから)
決して戦いを前に逃げない信念で、プライドを持ってファントムと向かい合う羽佐奈。
その意思の強さを知っている友梨はこの場を羽佐奈に任せることを、納得せざるおえなかった。
「そう……やっぱり羽佐奈は変わらないわね。
好きにしなさいよ、敵はたったの一体なんだから」
友梨はいつも通りの平静を保ち、苦楽を共にしてきた羽佐奈を信じ切って言った。
そして、鋭い刃を持つ大鎌を構え、羽佐奈の肉体を引き裂かんと動き出すファントム。
透明化の能力と高い気配遮断能力は視界を奪う魔眼と相性が良く、魔眼はまさにファントムの切り札だった。
前回は不意を打たれた上に、相手の実力を見誤ったが、今回は容赦のない卑怯な手を打ち追い込むと、大鎌を手に羽佐奈へと迫る。
次の瞬間、気配を消し透明化したファントム。いつ透明化を解き、切り裂いてくるか分からない緊迫感。
心眼を構え、周囲の気配を探るため意識を集中させて神経を尖らせる。
瞳を閉じたままピクリとも動かない羽佐奈。
ただ、時が止まったような静寂が流れ、時を切り裂くようにその瞬間はすぐに訪れた。
羽佐奈の背後から透明化を解き姿を現す死神のような不気味さをした長身のファントム。
友梨の視界にはそれが紛れもなく映るが、羽佐奈は気配遮断能力を持つファントムの出現に気付くことは出来ない。
そして、そのまま隙だらけの背中を見ると、頬を歪ませファントムは大鎌を振り下ろし、羽佐奈の背中に襲い掛かった。
目を伏せたくなるような瞬間、羽佐奈の背中は服ごと引き裂かれ、肉を抉られた背中から血飛沫が舞う。
まともに受けた衝撃で普通であればそのままうつ伏せになって倒れるところだが、羽佐奈は倒れることなく振り返り、身体に走る激痛をもろともせず、殺気立った気配を漂わせセイントブレードを振り下ろした。
咄嗟の判断で光の刃の攻撃を大鎌で防いだファントムからは笑みが消えた。
歯を食いしばって、魔力がぶつかり合う激しい衝撃に耐える。
わざと攻撃を受け、敵との位置関係を把握した羽佐奈の捨て身の攻撃は続き、周囲を舞っていた輝きを放つ鳥達が次々とファントムに迫る。
「なんという事だっ!! まだ動けるというのかっ!!」
想定していない事態に驚きのあまり声を上げるファントム。
しかし、一斉に襲い掛かる鳥達を対処する方法はなく、今度はファントムの身体が残酷にも鳥達の刃で容赦なく引き裂かれていく。
「さぁ!! 覚悟なさい!! 倍返しにしてあげるわよ!!」
身体に響く激痛をもろともせず、全力の魔力でファントムの大鎌と光の剣を拮抗させたまま、鳥たちに攻撃を指令する羽佐奈。
透明化を発動させたとしても、距離を取らなければ攻撃は回避できない。
魔力で召喚された使い魔の鳥達を処理しようにも、一瞬でも隙を見せれば光の刃を受けることになるファントムはそのまま鳥達に引き裂かれ、断末魔を上げた。
「ぐはっ!! あああぁぁ……」
夥しい血に染まり、フラフラになりながら後ろに下がっていくファントム。
肉体は引き裂かれ、口から血を吐き、内臓を抉られ意識が朦朧となっていく。
「これで、お終いです」
そして、後ろに控えていた友梨に身体を押さえつけられると逃げ去ることもできず、トドメを刺された。
声を上げることも出来ず、最期を迎えたファントム。
決死の戦法が実り、羽佐奈は酷く身体が痛み膝を付きながらも勝利を実感した。
「何とか作戦通り行ったわね」
「無茶し過ぎよ……急所に当たってたら、さすがに無事では済まないわよ」
まだ魔眼の影響を受け、視界が閉ざされたまま、背中に痛みを伴いその場で座り込む羽佐奈。
ゴーストであるファントムは黒い瘴気となって、風に流され天に昇って消えていく。
危機は去り、戦闘は短時間で済んだが、大きな怪我を負ってしまった羽佐奈は安堵しながらも苦悶の表情を浮かべた。
「もう……応急手当をする人がいてよかったわね」
「それは、信頼してるから」
「本当……都合がいいんだから」
「イタタタ……こんなところで服を脱がして乱暴にしないでよ」
「大人しくしてなさい、この場で死にたくなかったら」
友梨はやれやれといった調子で焦る様子も見せず、傷ついた羽佐奈に駆け寄り、手早く応急手当を始めた。
羽佐奈の上半身に着た服を脱がし、無事だった耐熱性に優れたショルダーバッグから消毒液を取り出し応急手当を始めた。
意識があり痛がる羽佐奈だったが、慣れた手つきで治療を始めると、羽佐奈は横向きに倒れ、身体から力を抜いた。
「私が残った魔力で微弱なファイアウォールを掛けてなかったら死んでたわよ」
これまでにも、似たような経験をさせられてきた友梨は変わらず冷静なままだった。
「そうかもね……でも、あの場で思いついた作戦はこれくらいしかなかったから。それにしても、この寒さは身体に響くわね」
「私は医者じゃないから、あまり治療の方は期待しないでよ」
素っ気なく言葉にしながら、友梨は背中に負った痛々しい傷跡を塞いでいく。外科手術など普通はその場で出来るものではなかったが、友梨は魔力を使っての療法に加え、独学の医学知識で治療を施すと、最後に包帯を巻いて汗をぬぐった。
簡易的な麻酔を掛けたおかげか、羽佐奈はすっかり眠りに落ち、友梨の前で穏やかな表情となってすやすやと寝息を立て眠り始めた。
「あなたが起きる頃には厄災が終わっているといいけど、ファントムがこの街にファイアウォールを掛けた犯人じゃない辺り、まだ安心できないわよ」
晴れることない空を覆った霧のように広がる雲。
友梨は周囲から自分の好きな静けさが戻ったが、とてもこれで世界が元通りになるとは思えなかった。




