第二十九章「終末への激闘」4
これまで愛用してきた魔銃ではなかなかメフィストの展開するバリアを打ち破ることが出来ないと諦めた俺は、中距離から接近を試みた。
ニヒルな笑みを浮かべ、白いスーツの内ポケットに手を伸ばし、コンバットマグナムを取り出したメフィストは接近戦を仕掛けようと迫る俺に銃弾を撃ち放った。
命中すれば即死するほど絶大な威力を誇るマグナム弾が迫るが、俺は何とか射線を予測して回避運動を決めると、果敢にも格闘戦を仕掛けた。
革靴を履いた長い足を伸ばし、魔銃からコンバットナイフに持ち替えて、少しでも肉薄して発砲する間合いを崩していく。
「姉妹たちを街に放たなかっただけでも、良心を感じて欲しいところだな」
「何をほざくかと思えば、シャドウを放っておいて言うことか」
「あれは俺の趣味ではないよ、退屈していたディラックが勝手にしでかしたものだよ」
接近されても余裕を崩さないメフィスト。
焦る様子を見せず、戦いの中でも会話を継続してくるのは、俺を懐柔しようという思惑があるからだろう。
マグナム銃を持つ相手にコンバットナイフを振るい、足蹴りをかますが、上位種のゴーストというだけあり、軽快な動きで躱し続け、そう簡単に命中してはくれない。
気迫だけでは埋められない能力差があることは否定しようがなかった。
「魔法使いの魂を利用するお前たちに、良心があるとは到底思えないがな!」
「それは超能力を持った悪魔を召喚するのに必要であったに過ぎない。
既に計画は最終段階に入っている。
この街に未来などない、このまま地獄に堕ちるだけだ」
「だったら、それを阻止するだけだ」
格闘戦を仕掛けたこちらの攻撃を涼しい顔で回避し続けるメフィスト。
接近すればバリアの効力は薄くなるが、そう簡単にダメージを与えることは出来なかった。
「そうか……貴様には本当に大切なものを、思い出させる必要があるようだな」
意味深な言葉と共に、メフィストの瞳が非常用ランプのように赤く光り出し、俺はそれを警戒することなく正面から見てしまった。
「くっ……力が抜けていく……」
視界がぼやけていき、そのまま強い脱力感に苛まれる。
そして、顔を上げることも難しくなり朦朧としてくる意識の中で俺はそのまま膝を地面に付き気絶するように倒れた。
*
―――どうしたの? 蓮君。そんなに苦しそうな顔をして。
心を癒してくれる子守唄のような優しい声が頭に響く。
良く知るその声を聞き、俺はようやく薄い意識の中で目を開いた。
懐かしいくらいの蛍光灯の明かりと沙耶が暮らしていた家の清潔に整頓されたリビング。
綺麗なカーペットに座る俺と、白いワンピースの上に黄色いエプロンを着た沙耶がそこにいた。
「沙耶……なのか?」
現実感のない状況に狼狽えてしまうが、沙耶は懐かしく愛おしい姿のまま、俺に接してくる。
「まだ寝ぼけているの? 怖い夢を見ていたのね」
ハンカチを手にして沙耶が俺の額から滲み出る汗を拭ってくれる。
信じられないのに、否定したくない気持ちが、俺の身体を震わせる。
上手に会話も出来ず、そうしていると、沙耶は怖い夢を見てしまった子どもを慰めるように優しく抱きしめてきた。
ふわりとした柔らかさの胸に包まれていく。
ずっと求めていた、優しい温もりに包まれ、抵抗できるはずがなかった。
何時の頃からか、沙耶は敬語を止めて、母親のような言葉遣いと振る舞いをするようになった。
それは、俺と対等に暮らしていくために、先生と生徒という呪縛から抜け出すための魔法だったのだということは、今ではよく分かる。
絵の描くだけではない、俺のためを想って愛してくれる沙耶。
それは、俺をさらに深い微睡へと導くことになった。
「……会いたかったんだ、ずっと。声を聞きたかったんだ」
情けなくも、俺の声は震えていた。沙耶の身体に包まれているだけで身体が溶けていくかのように痛みが無くなり、余計な肉体の重みが感じなくなっていく。
「うん、私も一緒よ。蓮君の声を聞きたかった」
沙耶の声を聞いて自然と流れていく涙。
会いたかったという気持ちが重なり合い、気丈に振舞っていた感情が抑えられなくなる。
ずっと無理をしていたんだろう……俺は。
「残酷で醜い世界の事は忘れましょう……? 私は蓮君がいれば、それだけでいいの」
「残酷で醜い世界……」
チクリと刺さる違和感と共に、俺は沙耶の言葉を反復して言った。
「そうだ、俺の居場所はここだ……」
「そうよ、蓮君は私が守るから、ずっとここで暮らしましょう」
時の流れを感じない、ゆったりとした時間。
これ以上、何もいらないと思う微睡の中で俺は生きる目的を忘れかけていた。
”ドンドンドン!!” ”ドンドンドン!!”
リビングの窓を叩く、大きな音が突然響いた。
俺は顔を上げて、窓を見ようとするが、抱き締めたまま力を込める沙耶の腕が、俺の意思を遮った。
「ダメだよ……見ちゃダメ。残酷で怖い世界に連れて行かれてしまうわ」
沙耶は優しく俺をあやすように声を掛けてくれるが、耳障りな窓を叩く音は、何かを必死に訴えかけるように何度も何度も繰り返し叩かれる。
「先生!! 先生!! お願いです、起きてください!!」
今度はよく知る少女の声が外から響き渡る。
切実さを訴えかけるような力強い声。
俺を求めている、決して忘れてはならない声だ。
「ダメだ……俺は……」
「どうして……どうして苦しいのに、そこまでして逆らおうとするの」
「それは……それは……俺が彼女を愛してしまったからだ」
「…………」
震えながら絞り出した俺の失言とも言うべき言葉に黙ってしまう沙耶、俺はそこでようやく幻術に掛けられていることに気付いた。
偽物の沙耶、俺が心の中で望んでしまっていた、優しくて全てをなかったことにしてくれる沙耶。
だが、そんな沙耶は存在しない。俺の側にいてくれたのは、どうしようもないくらい、俺の事を考えて行動してくれる、愚かで愛おしい二人の女生徒だ。
「すまない……沙耶、俺は行くよ。大切な生徒が待ってる。なんだかんだ言って、俺は教師なんだ。分かってくれるだろう? 俺の事を愛してくれた沙耶なら」
もう返事はない、催眠状態は解けてしまったから。
そして、夢は醒めていき、懐かしいリビングルームが遠ざかっていく。
微睡から完全に目覚めた俺は、再び戦場へと呼び戻された。




