第二十八章「ホワイトサンクチュアリー」6
「市長を人質に取るなんて随分な歓迎ね。何だかこの研究所は寂しい雰囲気だけど、もう引き払ってしまったのかしら?」
羽佐奈さんは高齢となった市長が人質に囚われている姿を目の前にしても、動揺することなく問い掛けた。
「ふふふっ……役目を終えたに過ぎんよ。
計画は最終段階に入った。儀式の準備が整ったのだよ」
「そう……つまり私達は外れを引いてしまったという事ね」
この状況においても余裕を見せ、仮面の内側で嘲笑するファントム。
それに対し羽佐奈さんは残念そうに首を振って見せた。
「そんなことを言っていいのか? 君達の判断次第で市長の首が飛ぶことになるぞ」
羽佐奈さんの落ち着いた雰囲気が嘲笑っているかのように見えたのか、ファントムはさらに脅しかけて来る。
互いに逃げ場はなく、そのまま睨み合いになるが、羽佐奈さんが勝気に一歩を踏み出す。
「はぁ……私達は早くこの災厄を終わらせたいのよ。あなたを含め、悪魔を全て殺した上でね。
そんな私達に一体、どんな取引をしようっていうのかしら?」
敵相手に堂々とした羽佐奈さんは挑発に乗ることなく、会話を続ける。
鋭い大鎌で脅しをかけ続ける白い手袋に白い仮面を着けたファントム。その表情は見えないが、前回の戦いで羽佐奈さんから負った傷は修復しているようだった。
もしかしたら、体格の似ている別の身体に移ったのかもしれない。
人間を道具としてしか見ていないような連中だ、役に立つと考えれば乗り移っていてもおかしくないだろう。
「儀式が終わるまでここで大人しく動かないでいてくれればいいのです。
この街が無事に滅べば、市長は解放しましょう」
声色を変えることなく、要求を突き付けて来るファントム。
儀式というワードが気になるが、それは儀式を行うに相応しい霊脈のあるここではない場所で行われる儀式なのだろうと推測できた。
「そうはいかないわ。私達はここで立ち止まるわけにはいかないのよ!
市長が首が飛んだとしても、貴方の首も一緒に飛ぶわよ。
今度は容赦するつもりはないから、私がここに来て残念だったわね。
あなたを助けるお仲間さんは、ここにはいないみたいだから」
烈火の如く、口調を荒くさせ使い魔を周囲に飛ばす羽佐奈さん。
その本気さを目の当たりにすれば命を危険を感じずにはいられない。
「仕方ない……その自信、後悔するといい。
こちらの要求に応じないのであれば全員ここで死んでもらう」
そう言って市長の座る椅子を蹴り飛ばして転倒させ、机の上に置かれた端末を手にするファントム。それが何であるか、市長がすぐに口にしてくれた。
「なぜだっ!! その爆弾は脅しに使うだけだと!!
心配はいらないと言ったはずだぞ!!」
「何を言っている。最初からお前には死んでもらう予定だったよ。
権力にぶら下がっているだけの人間など、使い捨てにしかならない。
そんなことも分からなかったのか?」
状況を見誤った証拠に身の危険を感じ目を見開いて大きな声を上げる市長。
強引に暴れても一度拘束された状況から逃げるすべはなく、市長の抵抗は意味を成さなかった。
それに対し、ファントムは最初から生かすつもりはなく、残酷にも利用していただけであることを告げた。
「市長……つまりは最初から人質のフリをしていたという事ですか……。
一体何が目的なんです? 話してくださいますか?
全員で心中する前に全部話した方が楽になれるでしょう」
爆弾が仕掛けられているという現実を知り嫌になるが、私は市長が知り得た情報を聞かずにはいられなかった。
そうして迷うことなく、市長は全てを話し始めた。
「何の予告もなくいきなり誘拐され、私には拒否権などなかったのだよ。
だが、ここで聞かされたことを思えば彼らが間違っているとは思わん。
日本の政治の停滞は無能な政治家とメディアによって改善不能な構造に作り変えられている。
民衆も政治に絶望するばかりで政治を学ぶことをやめ、自分の事だけを考える無責任者となる始末だ。
世の中を変えようとする者たちに対して批判ばかりするような良くなるわけがない。
しかしな……君たちの企むアリスプロジェクトとやらも理想を語るばかりで人工AIに未来を任せた責任放棄に変わりないではないか!
だからこそ、彼らの革命に賛同した。
人は自らの過ちを罰し、償いを終えてから慎ましく生きねばならない。
豊かな社会は人を腐敗させる、格差は分断を生み出す。
だからこそ、革命を起こすそのためには犠牲が必要なのだよ、多くの血を流す必要があるのだ。
流す血が多ければ多いほど、失うものが多ければ多いほど、人は過ちに気付き、自らの行いを恥じるだろう。
残った人間が少なければ少ないほど、協力し合い、環境に優しい誰もが必要とされる理想の世界が創造できる。
ここまで言えば、この厄災とて間違ったことではあるまい」
人質のフリをしていた市長は大量殺戮を肯定するような言論を始めた。
それがどれだけ許されない事か、そんなことも忘れて。
この舞原市がどれだけ困難な目に直面し、多くの命を奪われたか。
その犠牲の大きさと、悲しみが分からない人の言葉に耳を傾ける価値はどれほどもなかった。
「羽佐奈さん……聞いての通りです。
市長は悪魔の計画に囚われてしまいました。
慈悲は要りません、悪魔共々、容赦することはありません」
倒れた椅子に拘束されたまま、血走った目でこちらを睨み付ける市長。
薄汚れたスーツ姿で全身から汗を滴らせるその姿は狂気すら感じさせた。
私も覚悟を決めねばらないという意志を込め、アリスプロジェクトを冒涜する市長に向け、スーツの内側ポケットから取り出した拳銃を向けた。
極秘裏に進められているアリスプロジェクトの情報を盗み出し、偽りのアリスまで作り出して、少女達を利用してきた悪魔達を許してはおけない。
茜たちがどうしてゴーストと戦い、傷つかなければならなかったのか。到底納得できる話ではなかった。
「そうね、ファントムは私が仕留めるわ。だから市長は稗田さんに任せるわね」
諦めの感情も込めて羽佐奈さんは言った。
顔面蒼白となる市長、私は自分がこの手で市長に殺意を向けているのだと自覚し、胸が苦しくなった。だが、決してここで銃を下すわけにはいかなかった。
「そうはいかんぞ……アリスに魅入られし魔法使い共。
知ってしまった以上、ここで死んでもらうっ!!」
引き金を引く手に迷いがなくなった次の瞬間、ファントムは殺意を込めて言い放つと、用意していた爆弾を起爆した。
研究所全体が爆発音に包まれ、一瞬の内に爆風に包まれる。
崩れていく天井、逃げ場のない絶体絶命の状況。
何か所にも仕掛けられた爆弾でこの研究所ごと私達をここで始末しようとしていることは明白だった。
そして、透明化の力でファントムが姿を消すと同時、三浦さんが私の腕を強引に強く掴み、全身全霊を懸けたファイアウォールを展開させた。




