第二十八章「ホワイトサンクチュアリー」1
夏に始まり、秋へと変わっていき、そして冷たい風と共に、雪が舞い降る冬の季節が訪れた。
体感時間としては六日前後しか経過していない中での急速な気候変動は身体にも影響を及ぼしている。
さらに時刻が分からなくなっていく中で空虚になっていく生活リズム。
これまでの日常は破壊され、忘れ去られていく習慣。
段々と苦しくなっていく生活環境。
それでも、終わりの見えない厄災は今日も続いている。
外部との物流は断絶され、太陽の届かない大地は生気を失い枯れ果てていく。
そして、残された人々はいずれ訪れる食料や資源に困り人同士の奪い合いが始まる恐怖にただ怯えていた。
逃げ場所のない、監獄のような現実に苦しめられる舞原市に暮らす人々。
治療法のない眠り病の蔓延。
それでも、諦めることなく事態打開に向けて立ち向かう戦士達がいた。
だが、かつて普通の少女だった戦士達は激しい戦いの中で命を散らし、私の下から次々と消え去っていった。
私は死の使いだったのだろうか?
慕ってくれる少女達を無自覚なまま犠牲にしているのだろうか?
戦いの中で明らかになる真実はあっても、本当の犯人が見えない監獄の中で、私は自問自答を続けてきた。
彼女たちの善意は見えない悪意によって踏みにじられ、蹂躙され続ける。
だけど、それも終わらせなければならない。
誰かが、身を挺して困難と向き合わなければならない。
その役目を背負うのに相応しいのは、真実に近づきつつある、アリスの導きを受けた私達の役目なのだろう。
そして、私はもう一度絶望から這い上がり、手と手を取り合い、厄災の終わらせるための本当の戦いへと歩み始めた。
*
運命の日、昨晩から続く雪のせいで熟睡できないまま目を覚ました私はカーテンを開いた。すると驚くことに一面銀世界が広がっていた。
夜間に降り続いた雪はすでに止んでいるが、今日も晴天にはほど遠い曇り空で太陽は顔を隠したままだ。
その憂鬱になる変わりない雲域が私にまだ地獄は続いているのだと明確に教えてくれた。
ガラス窓は冷たく、結露が出来ている。窓に手を触れ手先に耐え難い寒さを感じた私は目が覚め早々にカーテンを閉めると朝支度を始めた。
私は朝からすっかり二人仲良くしている凛音と茜を連れて、凛翔学園まで自動車を走らせた。
年齢差のせいもあるが、若い二人に比べ私は身体全体が重くどうにも疲れが溜まっているようだった。
雪道を走っていると、車内はこんな時でも騒がしかった。
どうやら舞原市で雪が積もるのは数年ぶりらしく、茜は嬉しそうに外を眺めていた。私は寒くてコートを羽織っても身体が付いて行かず辛いことしかないが、若人達にとっては違うようだ。
苦しい日々も今日が最後になればと心から願うが、ガソリンの燃料は残り少なかった。車内で避難生活を送っていればもっと前に底を尽き使えなくなっていたことだろう。
現状でもう限界だと思うことは山ほどある、それが紛れもない現実だった。
出掛ける前に既に分かっていたことだが集合場所にはまだ誰も来ておらず、私は保健室で皆の到着を待つことにした。
時計が止まっている以上、正確な集合時間を決めることは出来ない。
全員の無事を確かめてから出発する手筈である以上、ただ今は待つほかなかった。
保健室を訪れた私は本調子とは言えない体調の中でコーヒーを飲んで待つことになった。
そこには、お腹を大きくさせ、母親へと向かって命を芽吹かせる妊婦の月城先生が変わらない態度で迎えてくれた。
湯気を上げるカップにコーヒーフレッシュを入れてスプーンで回すと渦を巻き、ほろ苦い味わいと強い香りを直に嗅いでいると段々と心地いい目覚めがやってくるようだった。
「神は私達を見捨ててはいないのかしら、とっくの昔に見放されたと思っていたのに」
気分は少し和らいだが、愚痴の一つでも零したくなった私はそう言い放った。少し妙齢になって黄昏ている無責任で嫌な大人に見えたかもしれない。
「あらもうナイーブになっているわネ。
神様にすがり付きたくなった? ミス黒江」
悲壮感ある表情を浮かべる私に相変わらず意地悪そうな表情で見つめる月城先生。
白衣姿で足を組んで、オフィスチェアーに座りながらコーヒーを飲む姿はいつもと変りなく見えた。
「いいえ、ただ、この世界は未だに人の手では届かないものに溢れているなと思って」
もしも……アリスの導きがあれば、どんな未来を指し示してくれたのだろう。それは、ここに取り残された人々に明るい未来を見せてくれたのだろうか。
神をもってしても止めることの出来ない災厄が存在するなら、アリスの導きであっても避けられないものなのか。
所詮アリスも人の作り出した機械仕掛けの神に過ぎないのかもしれない。最先端技術をいくら駆使して作り出したとしても理想はまだ空想の中にしかない。
魔法使いが人類の進化した姿などではないのと同じように。
「人は水の中で溺れそうになる身体を支えるために、両足で立ちあがるようになった。
まだ人はよちよち歩きをしていた頃から、少し成長した成長途中に過ぎないのではないかしら?
世界を知り、理想を描き、悲劇を繰り返させないために、守らなければならないものが多くなってしまったという事は、それだけ人は困難な道のりを歩いているということ。
上手に泳げるようになるにはまだ、成長するための絶え間ない努力と途方もない時間が必要なのかしらネ」
珍しく大袈裟な例え話を交え、月城先生は饒舌に言った。
実は本気を出せばごく一般的な話し方が出来るのかもしれない。
わざわざ指摘する気にはならないが。
「私は早く空を飛びたいわ、そうすれば人は自由になれるでしょう?」
夢物語が現実のものへと変わっていく、そんな体験を人類は歴史の中で多く経験してきた。
そんな胸が高鳴るような変革を私はこの短い一生の内に経験したいと思った。
「オー、それは素敵な事でしょうけど、人類全体が自由に飛べるようになるには、乗り越えなければならない手順が多すぎるわね~!」
夢みたいなことを言ってしまう精神状態の私に変わらない陽気さで返す月城先生。
大抵の問題は人間の未熟さゆえに起こっている。
文明の進歩はさらに人間の未熟さを露呈させていくばかりで歯がゆく憂鬱にもなる。
心も体も、とても疲弊しやすく壊れやすい。
全ての生き物がそうであるように、人もまた未完成な生き物なのだろう。
生まれた環境や遺伝による能力の差は、格差を生み、差別を生み、調和を乱した。
人類が一つになる事の近道は遺伝子レベルで同じになることを意味する。
そうでない手段を取るなら、人は後天的に平等になるように特別な力を得る過程を経なければならない。
人と人を繋ぐための生体ネットワークやアリスの支援による自己成長プログラム。人が健康な身体を維持し続けるためのゲノム医療テクノロジー開発。
足踏みを続ける人類が幸福を享受できるために、乗り越えなければならない道のりは長い。
月城先生の淹れてくれたコーヒーを飲みながら過ごしていると、横開きの保健室のドアががらりと開き、茜と凛音が揃って顔を出した。
「先生、皆さんがお待ちです」
茜がわざわざここまで来て声を掛けてくれた。
全員が集まり、準備が整ったという事だろう。
私は名残惜しくも立ち上がり、保健室を出ることになった。
「行くのネ? 覚悟は出来たかしら?」
「ええ、先生のおかげで」
大一番を前にリラックスした時間を送れたことに感謝を伝えた。
こんな時でも保険医の鏡とも言うべき屈託ない笑顔を浮かべる月城先生。私は覚悟を決めて茜と凛音と一緒に保健室を出た。




