第二十七章前編「思い出を刻む衝動」2
出来る限り早く雨音を安心させてあげようと、ひたすらに黙って足を動かし、内藤医院が肉眼で見えるところまでやってきた頃だった。
玉姫は強い魔力の気配をすぐそばに感じ取り、苛立ちを抑えながら足を止めた。
茜に警戒を呼び掛け、目的地が目と鼻の先となる中、揃って立ち止まる。
夜の道を薄く霧が立ち込めていて視界が悪く、街灯が付いていないせいもあって少し先の道ですらはっきりとは見えなかった。
「そこにいるのは分かっているわ、姿を見せなさい」
視界には映らなくても、その身に纏う気配を隠そうともしない。
明らかに待ち伏せしていることを感じ取った玉姫は声を上げた。
「人間という生き物は、相も変わらず生に対する執着が途切れませんね。
それでもなお、運命に抗いますか」
霧の中からゆっくり歩みを進め、姿を現した金色の長い髪とオッドアイの瞳。
背の低い子どもの姿をしているにもかかわらず、達観して見下したような口ぶりで姿を現したのは、玉姫が予想していた通りアリスだった。
「懲りてないのは貴方達の方でしょう? 一体貴方は何人目のアリスなのかしら?」
少女の姿をしたアリスに対して、既に因縁すら感じている玉姫は高圧的に言葉を返した。
「貴方という人は年々口が悪くなっていますね。これでも記憶の共有をして継承しているんです。力を望む者が後を絶ちませんので」
「気味の悪い生態ね。これ以上関わらないで欲しいのだけど」
「そう言うのなら、大人しく魔法使いを差し出してください。
せっかく熟した果実が収穫の時を迎えようとしているのに」
「いい加減にしてちょうだい。みんなを騙して、魔法使いは貴方達の道具ではないのよ!」
二人だけにしか理解の追い付かない言い合いを続け、激しく対峙をする玉姫とアリス。
話しに付いて来れていない茜は、両親を失った日に黒江と会話をした時の事を思い出した。
「先生の言っていた偽りのアリス……」
これまで力と助言を与えてくれた優しい導き手としてのアリスとは別人のような話しぶりをする姿に茜は驚嘆し、頭が混乱していった。
黒江から話には聞いていたが、信じたくはなかったその禍々しい正体。
これまで多くの魔法使いの魂を奪い去ってきた過去を知る玉姫の前では、アリスは正体を隠さなかった。
「この子の中にいる霊体が失望しているんですよ。戦おうとしない魔法使いに用はないって」
アリスの視線は茜の背中でぐっすりと眠る雨音に向けられていた。
玉姫は魔法使いの生きた魂を欲するアリスの目的を察し、警戒心を高めた。
「茜……全てはこのアリスの仕組んだ罠なの。私の同級生も戦う意志が失った途端に暴走を始めた。霊体に身体を乗っ取られたのよ」
「そんな酷い……あたし達は戦い続けなければ生きられないってことですか? じゃあ玉姫先輩は……」
自分も一度トランス状態を体験していることから、事の重大さは茜にも理解できた。雨音にはこれ以上酷い目に遭わせたくない思いつつ、茜は玉姫が隠してきた秘密にも気付き始めた。
「私は誰も巻き込まないように一人で戦う道を選んだ。ゴーストを祓うために戦い続けるのは過酷な事よ……それに耐えられない子だっているって、最初から想像力を働かせるべきだったの。私はもう仲間が狂ってしまうのは見たくないから……だから、あなた達と会うのが怖かったの」
過去にこの街で覚醒した魔法使いは悲惨な最期を迎えた。
そのことを知らなかった茜と隠してきた玉姫。
アリスが興味深げに薄ら笑いを浮かべながら二人の会話を見つめていた。
「滑稽ですね。知らない方が幸せなこともあるというのに。
苦しくないですか? 真実を知るという事は。
いいじゃないの。死んだ後も役に立てて、到底人には得ることの出来ない強大な力を与えられるのだから」
アリスの語る俗物的な思考に強い嫌悪感を感じた玉姫。
茜の背中で眠る雨音を早く病院に連れて行かなければならない中で、これ以上会話をしている場合ではないと、玉姫はアリスと戦う決意を固めた。
「貴方と無駄口をたたいてる暇はこっちにはないのよっ!」
医療道具の入ったカバンを足元に置き、アリスを標的にして飛び出していく玉姫。手を伸ばし速攻で攻撃を仕掛けようと迫って来る玉姫の姿を捉えるとアリスの反応は早く、瞬間移動をしているかのような瞬発力で迫り来る攻撃を軽快に躱した。
個体を変えるたびに学習機能を持って進化を続けていくアリスの身体能力は明らかにこれまでのものとは違い、玉姫の攻撃を簡単には寄せ付けなかった。
そのままジャンプを繰り返し、近くにある家の屋根まで距離を取ったアリス。玉姫は茜に「そこから動かないで」と声を掛けるとアリスを追って茜の視界から消えていった。
「成長段階を過ぎて少し動きが鈍っているのではないですか?」
一定の距離を取り、頭上から挑発するような言葉を浴びせるアリス。
オッドアイの瞳は眼光を放ち、不敵な笑みで玉姫を誘う。
「余計なお世話よっ! 成長することを知らない人の殻を被った化け物には分からないわよっ!」
許すことの出来ないアリスに向けて、玉姫は容赦することなく、再び接近を試みると、薄ピンク色のナースウェアの上に着た白衣から数本のメスを取り出し、魔力の力を込めて勢いよくアリス目掛けて飛ばした。
迫るメスの鋭い刃を回避して、さらに距離を取ろうとするアリスだが、本気になった玉姫の発現したテレキネシスの力で誘導されたメスは、方向転換を繰り返し何度もその身体を引き裂こうとアリスに迫った。
回避運動に気を取られ、距離を取れないアリス目掛けて、今度は接近して玉姫は細くか弱く見えるアリスの腕を掴むと、加減することなく一気に力を込めた。
「これならどうかしらっ!!」
力任せに強く握られ、皮膚が赤く染まり骨が軋むほどの握力が込められる。
「ぐっぅぅっぅ!!」
とても振り払うことの出来ない力で腕を掴まれたアリスは痛みのあまり声を上げ、最後の手段として空いていた手をポケットに伸ばし、拳銃を取り出してすぐさま発砲した。
”バンっっっ!!”
銃声を響かせた銃弾は玉姫のとっさの判断で手を離して回避運動に入ったことで太ももを掠める程度で済んだ。
それでも皮膚を焼くような痛みが玉姫を襲い、表情を苦悶に歪ませた。
「相変わらずの馬鹿力ですね。好戦的なあなたの相手をする気はこれ以上ありません。ここは退かせてもらいますよ」
握力が弱まり手を離したことで拘束を解かれたアリスはクスっとほくそ笑むと屋根から飛び降り、そのまま走り去って夜の闇へと姿を消した。
短時間の攻防ではあったが、アリスの受け入れがたい進化を感じ取った玉姫は深追いするのを止めた。




