第二十六章「君の知らない私のこと」7
今日が何月何日で、今が何時なのかも分からない。
そんな意識の中、呼び鈴が突然鳴り響いた。
布団に潜り、無人を装おうとするがそれを拒むように呼び鈴はうっとおしいほどに何度も響いた。
私は観念して身体を起こすと、Tシャツに下着姿ととても外に出られないだらしない格好をしていることに気付き、制服に着替えて玄関の扉を開いた。
顔色や乱れた髪型からも不健康さが明らかで、誰とも会いたくなかったが、家の中に乗り込まれるよりはマシだと自分に言い聞かせた。
扉を開くとひんやりとした冷たい風が私を襲った。
そして、わざわざ家にやって来た人物の正体は茜だった。
「元気してたって、そんな訳はないか……。全然顔を出さないから心配になって会いに来たよ」
親友の茜は左目を覆うように頭に包帯を巻いていたが、それ以外は元気そうだった。
「みんなもう眠っちゃったから、公園で話そうっか」
逃げられないと悟ると私は諦めて、全てを告白することに決めた。
私の戦いは終わった。
これ以上、茜にも生き残ったみんなにも、迷惑は掛けられないと思った。
だから、茜と話をして、これで終わりにしよう。そう私は心に決めた。
「先生が眠り病が広がってるって。ファイアウォールで魔力干渉を遮断しないと魔法使い以外の普通の人は逃れられないって。
また、敵の仕業だよ。早く何とかしないと……」
公園に着くまでの間、茜が今巻き起こっている異変の事を教えてくれた。
茜はこれだけ傷ついても諦めることを知らずこの異変を早期に終わらそうとしてる。そうしなければならないという意志を強く感じた。
「だからさ……きっと、雨音の家族も目を覚ますから。元気出して」
「うん」
私は素っ気なく返事をした。
説明をされてもとても家族が目覚める姿を想像することは出来なかった。
それほどに私は疲れていて、このまま眠っていてくれた方が楽でいいのかもしれないとさえ思った。
茜は生気の抜けた私の返答を聞くと、さらに表情を曇らせた。
公園まで辿り着くと昨日、麻里江としたようにブランコに隣り合って座った。
薄暗い空の下、風が吹くと産声を上げるように秋桜が揺れて、花弁がひらりひらりと舞い踊っていた。
私は綺麗な景色に目もくれず息を整えて口を開いた。
この救いのない世界では何もかもが空虚に思えた。
「凛音とは仲良くしてる?」
「うん」
茜は即答した。心境は分からないが凛音がいれば私が居なくても大丈夫だという事が良く分かった。
「昨日ね、ここで麻里江と会って話をしたよ」
「うん」
「私は見送った。一人で千尋を取り戻すって言った麻里江を」
「うん」
茜は私の言葉を否定することも、非難することも、聞き返すこともなかった。
私はその反応が無関心にも感じてちくりと心が痛んだ。
「ごめんね、私がもっとしっかりしてたら、その左目も怪我せずに済んだのに」
「それはあたしが力不足だったからだよ」
重苦しくなる空気。横を向いて茜の表情を伺う。茜は聞き手に回り、落ち着いた様子でただ私の言葉を受け止めてくれているようだった。
「茜、私達魔法使いって死ぬために生きてるのかな?」
反応の薄い茜に耐えかねて私は少し感情的になって言った。
すると身体の奥から途端に黒い衝動が渦巻き始めた。
胸焼けがするような嫌な感覚、それに嫌いな人に身体を掴まれるような冷たく嫌な感触だった。
それでも、私は湧き立つ衝動のまま続きの言葉を吐き出させた。
「だってそう思わない?
人は産まれた時点でいつかは死ぬ運命を背負っているけど、私達は自分の体の中に死者の霊魂を取り込んで、ゴーストと戦ってる。
それは、力と引き換えに自ら進んで死期を早めているんじゃないかしら?
きっと、茜のように生きていたら死ぬまで戦い続ける。
本当にそんな運命を私たちは受け入れていいのかな?
私には分からないよ。
少なくとも、もう私は戦いたくない。
怖いよ、自分がいつ死ぬか分からない怖さを味わうのも、誰かが傷ついていくのを見るのも、怖くてたまらないんだ」
こんなことを言えば茜が遠ざかっていくのを分かってる。
だから今まで言えなかった。
でも、もういいんだ……私は臆病でいい。
たとえ茜の隣に立てなくても……。
「雨音……どうしたの?」
茜は目を見開き驚いた様子で視線を私の足元に向けていた。
私は反射的に足元を見た。黒い渦のようなものが生まれ、そこから黒い瘴気が上り、段々と私の身体を包み込んできていた。
それに気付いた瞬間、私は恐怖に震えた。
そして、そのまま金縛りにあったように身体が動かずどんどんと黒い瘴気に身体が飲み込まれていった。
”雨音っ!!!”
力強い大きな叫び声で茜が私を呼び、懸命に腕を伸ばして私の手首を掴んだ。
”自分に負けないで!! あたしは雨音から離れたりしないから!!”
必死に声を掛けてくれる茜の声がもう遠くに聞こえた。
私が望んだ通り、ここで私の役目は終わるのだろう。
視界が塞がれ耳も遠くなり五感の感覚器官が機能を停止していく。
重い使命から解放されるように虚脱していく感覚。
変わらない真っすぐで力強い茜を感じながら、私は意識を失った。




