第二十六章「君の知らない私のこと」3
夜になり、急に胸騒ぎがした私は学園へと向かった。家にいても退屈であるという理由もあった。祖母は就寝するのが早く、弟二人が大人しくなるとやっと静かになったと安堵する自分がいた。
ゴーストが出現して危険だという話だったが、私は恐怖を感じなかった。
通常の徘徊しているゴーストであれば自分の力でどうにでも出来るという自信があったのかもしれない。
結局のところゴーストにも変質者にも遭遇することなく凛翔学園に辿り着いた。
静けさに包まれる校庭、運動場にも顔を出すが既に誰も外を出歩いている人はおらず、付属の避難所に多くは消えてしまったようだった。
駐車場を確認すると稗田先生の車があったが、肝心の稗田先生の姿はどこにもなかった。私はあれから桂坂公園で何があったのか、少しでも知っておきたかったが、疲れている時に会うのも迷惑だろうと考え、これ以上稗田先生の居場所を探すことも、緊急時の連絡手段であるテレパシーを送ることも控えた。
用事もなく来てしまったのですることもなく、私は外の空気を吸えただけ十分だと思いながら、最後に社会調査研究部の部室に寄ることにした。
今朝の状況と変わらなければ、部室には茜が両親のいなくなった自宅から連れてきたブラウンがいる。
もしかしたら、私は稗田先生の車もあったことから、茜が部室に寝泊まりしているかもしれないと思った。
私は淡い期待を寄せながら部室の前まで来て、話し声が聞こえてきたので動揺して声を出しそうになるのを口を押えて必死に堪えた。
そして、気付かれないように四つん這いになって扉の前まで近づくと、そのままそこに座り、聞き耳を立てた。
「ありがとう、凛音。もう大丈夫だよ」
「本当ですか? 凛音は心配です。お母さんからトランス状態になっていたって聞いてたんですから」
部室の中で親しげに話していたのは、凛音と茜だった。
電気の付いていない暗い部屋で二人の声が内緒話をするように、籠った声で聞えて来る。
話しを聞いている限り、今日の戦闘で茜は何らかの負傷を負ったようだった。
「でも、少し寝てる間に頭がクリアになったよ。凛音のヒーリング治療のおかげだ、ありがとう」
「褒めてくれるのは嬉しいですけど、秘密ですからね……私が魔法を使ったことは」
「もちろん。凛音の魔力、子守唄みたいに心地よくってなかなか起きる気になれなかった。凛音が一生懸命なのが凄く伝わって来たよ」
距離感の近い様子で私が知らないくらい茜は優しい声色で凛音と話している。
凛音が私と同じ魔力の力で治癒を行うヒーリングを習得している。
私も知らないその秘密には衝撃を受けた。
「そんなの……当たり前です。茜先輩はもっと自分を大切にしてください。本当に無事でよかったです。もしもの事があったら、誰も生き残れないかもしれないんですよ。茜先輩の代わりはどこにもいないんですから」
凛音は一生懸命だった。
茜は鈍感だから気付いていないのだろうが、私は聞いているだけで凛音が特別な感情を茜に抱いていることを感じ取った。
それは秘密にしたいのだろうが、あまりに不自然なくらいに態度から滲み出ていて、私はソワソワとした心地と、許せない気持ちとが湧き上がり、胸が苦しくなった。
「分かってるよ、わざわざ説教しなくても」
「説教じゃないです! ただ、心配してるだけです!」
「うん、心配させてゴメン」
夜這いをしているとまではいかないが、それでも、聞いていると初々しいほどに互いに想いあっているのが分かり、ドキドキしてくる雰囲気だった。
茜の隣……あの場所は私の場所のはずだったのに……どうして凛音がそこにいるのか。
茜は眩しい、眩し過ぎて私なんかじゃ届かない……凛音にするように優しくしてはもらえない。
私は茜みたいにはなれない。そんなに強くなれないから、支えてあげることも出来ない。
私は家族の相手をするのにだってイライラしてしまう、どうしようもない人間。
茜は今日の戦いで傷ついてしまった。私が一緒なら少しは茜が傷つかずに済んだかもしれないのに。
私は私の知らないところで傷ついた茜に会わす顔がなかった……。
「茜先輩、おやすみなさい。また、明日です。
凛音は茜先輩のことを好いていますから。
いなくならないでくださいね」
その言葉の後に返事はない、既に茜は就寝していて凛音の独り言のようだった。
聞き間違いだと思いたかったが、はっきりと聞こえた後ではもう、私の気持ちは気が狂いそうな荒波に襲われていた。
凛音は私の得意とするヒーリング治療の力を持っている。
そして、それを茜にだけ明かし、治療を施した。
効果は十分で、茜は痛みが引いて安心したように眠りに落ちた。
私の居場所は……脅かされた。
私は必要とされる人間ではなくなったのかもしれない。
いや、それは仕方ないことだ。
先に背を向けてしまったのは、私自身なのだから。
音のなくなった世界になると、私は肩を落としたまま、部室を離れ大人しく誰とも会うことなく家に帰ることにした




