第二十五章「終わらない厄災の夜」10
日が完全に落ち、また長い夜の刻が始まりを告げる。街中を巡回して眠り病の診断を一人遅くまでしていた内藤医院院長、内藤房穂は暗くなった街中を車で走行して内藤医院に帰ろうとしていた。
白のハイエースバンのヘッドライトが唐突に少女の姿を映し出す。
十歳前後の幼さの残る金色の髪をした白い肌の欧米人。
美しく無垢なその姿が目に入ると、院長は慌てて危険を察知して急ブレーキを踏んだ。
動揺し、慌てたせいで反射的に目を伏せてしまう院長だったが、車が急停車をすると、目撃した少女の無事を確かめようと顔を上げた。
そして、はっと身の危険に気付いた。
少女はそこに変わらない姿のまま立ち尽くして、運転席に座る院長に向けて拳銃を構えていた。
院長の視線に気付くと軽くにやついた表情を見せると、少女は無言のまま慣れた様子で迷うことなく引き金を引いた。
バンっ!! と夜の住宅街に耳障りな銃声が鳴り響く。銃声と共にフロントガラスが割れる耳を覆いたくなるような衝撃音が響き渡り、銃弾は院長の身体に命中した。
身体を抉りめり込んでくる突き刺さるような激痛が走り、院長は呻き声を上げた。
意識が飛びそうになるのを院長はグッと堪え、ここで死ぬわけにはいかないと再びハンドル強く握った。
白衣を貫き、皮膚にめり込んだ銃弾は僅かに急所を外れていた。
院長はだらだらと流血が流れる患部を左手で抑え、必死に痛みを堪えると、次発を構える無慈悲な少女から離れるため、ハンドルをグッと回し、方向転換を図った。
だが、少女は容赦なくこの場から逃げようとする院長目掛けて銃弾を連続して撃ち込む。
院長は姿勢を下げて命の危機を潜り抜けると、遠回りをしてなんとか内藤医院へと向かった。
即死は免れたが、身体が痛みを訴え、息をするのも苦しい院長は自分がもう長くないことを悟った。そして、まだ自分にはやり残したことがあまりに沢山あることを認識して、何とか内藤医院まで辿り着き、車を降りて院内へと転がり込んだ。
玉姫のファイアウォールによって安全が確保されている内藤医院。そこに辿り着いた院長はすぐに看護師に発見され、集中治療室へと運ばれ懸命な処置が行われた。
院内で眠り病が確認された患者のリストと睨めっこしていた玉姫は、院長が銃で撃たれたことを知り、すぐに院長の下へと駆け付けた。
「院長先生っ!! バイタルは? 院長の状態はどうなっていますかっ?!」
玉姫は酸素呼吸器を取り付けられた院長の姿を見つけると、慌てて足音を立てながら駆け寄った。
周囲を囲む医師や看護師たちに状態を確認するが誰一人応えることなく、暗い表情をして俯き顔で伏せていた。
玉姫は絶望的な状況であることを察して、耐え切れない感情に支配された。
「来てくれたか……玉姫よ、わしはここまでのようじゃ」
足音に気付き、玉姫の声を聞くと瞳を開け、玉姫の姿を目に入れた院長は弱々しく第一声にそう告げた。
「院長先生……どうしてこんなことに」
老いてもなお職務を全うし、頼られ続けてきた院長であり、尊敬する祖父が風前の灯火となってベッドに伏している。玉姫は心が締め付けられる思いだった。
「あれが偽りのアリスか……敵はこの老いぼれまでも邪魔者として排除する相手だ、慈悲などない。だが、必ず罰は下される、わしはそう信じているよ」
玉姫の中で真の敵であるアリスの姿が頭を駆け巡る。
また、大切な人の命を奪われてしまったという、耐えがたい後悔と共に。
「私は……どうすればいいんですか? 院長なしで何を成せというんですか……?」
泣き出しそうになるのも、息苦しくなっていくのも堪え、玉姫は問いを投げかけた。もはや、自分が生きて何のためになるのかも見失いかけていた。
「研究室に薬を置いてある。
元々、アンナマリーに処方していた精神安定薬を改良し、調合したものだ。
それを点滴投与と併用して使えば、眠り病に陥っている人々の延命措置にもなるだろう。
特効薬とまではいかないが、一人でも多くゴースト化させないために、この厄災を生き残り、後世に伝えていくために、この役目を引き継いでくれるか?」
残された力を振り絞り、必死に言葉を紡ぐ院長。
玉姫は潤んでいく瞳のまま、締め付けられる思いで院長の手を握った。
「分かりました。一人でも多くの命を守り抜きます。
それが私の戦いなんですね……」
「あぁ……そうだ。この道を志したのならもう分かっているはずだ。やるべきことを成せば、後悔することはない。
よかった……わしは良い孫を持ったよ。
遺書も研究室に置いてある。息子とアンナマリーにはすまなかったと伝えてくれ。
天に昇るには早いつもりだったが、先に逝かせてもらうよ、玉姫」
握り返す手の力が失われていく。
院長の瞳がゆっくりと閉じていき、バイタルも同じように息を引き取っていくのを画面に映し出す。
そして、玉姫は耐え切れない喪失に大きな声で叫んだ。
「おじいちゃんっ!!!!」
力が抜けていき、玉姫はその場で膝をついた。
優しかった祖父は白衣を真っ赤に染め、穏やかな表情を浮かべ、息を引き取った。
失ったものの大きさを嫌というほど自覚した玉姫は大粒の涙を流し、堪え切れずに集中治療室を飛び出した。
内藤医院は院長が凶弾に倒れ、息を吹き返すことなく死に絶えると、悲しみに包まれた。
そして、ここは安全あると分かっていても安心して眠ることの出来ないまま、それからも長い夜は続いた。
玉姫は祖父の研究室に入り、残された自分の使命を見つけた。
サンプルで作った薬と調合レシピ。それは遺言のような言葉と共に残されていた。
まだやるべきことが自分には残っている、そのことを誰よりも強く玉姫は深く噛み締めた。
厄災は終わりが見えない。
先の見えない地獄がただ続いていく。
玉姫は頭の中を支配しようとしてくる復讐心を必死に押し殺し、一人でも多くの人を救うため、尽力を尽くそうと、祖父が残してくれた薬を手に誓った。




