第二十一章「クロージングファンタジア」6
―――もう時間がない……魂の抜かれた千尋の身体が腐り果ててしまう前に、魂を奴らから取り戻さないと。私がやらないと……私は千尋のお姉さんなんだから。
麻里江は避難所のある付属の方に炊き出しを手伝う両親に今日の姉妹神楽が終わったことを報告すると、池のそばで遊ぶ実椿の姿を見つけ近づいて行く。
澄んだ池で泳ぐ鯉を追い掛けて楽しそうにしている変わらない巫女装束姿の妹の姿、それを見ているだけで麻里江はたまらなく胸が苦しくなった。
「実椿」そっと隣に身体を寄せて柔らかい口調で声を掛ける。これ以上、無邪気な実椿のことを悲しませてはならない、そう思う度、麻里江は言葉が詰まりそうだった。
「おねぇ、こやつらは優雅に泳いで今日も楽しそうなのじゃ」
麻里江には実椿が何も知らない鯉のようになりたいように見えた。
「そうね、ずっと何も知らないまま泳いでいられたら、それは幸せなのかもしれないわね」
千尋を取り戻したい一心で思い詰めている自分。穏やかな気持ちでいられないことは実椿相手でも伝わってしまうほどだった。
「おねぇ、またムスカシイ顔をしてるのじゃ」
実椿の感じ方は正しいと気付き、麻里江は実椿と同じように池で泳ぐ鯉をしばらく見つめた。
「物欲しそうに口をパクパクさせて、可愛いわね」
「そうなのじゃ、こうしていると物欲しそうに見えて、ご飯をくれるのを分かってるのじゃ。こやつらは賢いのぉ」
そういう風にも考えられるのかと無理な笑顔を浮かべながら麻里江は感心した。
時計も止まっているのだから、時の流れすら忘れてもいいのではないか。
少しだけ、そんな誘惑を覚えて、それなのに、これが実椿と一緒に過ごせる最後の時間かもしれないと思い、麻里江は実椿の横に座り、実椿の真似をしてパンを少しずつちぎり、鯉に餌を与えた。
「実椿がもう少し大きくなったら……」
一緒に姉妹神楽を……そう言いかけて、言葉を止めた。それは自分達がこの厄災を生き延びて初めて叶えられる願いだった。そして、麻里江は実椿と過ごす時間の中で、どこかで千尋の事を諦めようとしている自分に気付いてしまった。
「おねぇ?」
「なんでもないの。せっかくだから、これを実椿に渡しておくわね」
麻里江は腕に着けていたブレスレットを外し、実椿の腕に着けてあげた。
「綺麗なのじゃ……」
嬉しそうに腕を上げ、まじまじと見つめる実椿。
オレンジガーネットを基調にいくつもの宝石が散りばめられている綺麗なブレスレット。
まだ小さな実椿には早い、高価なものだったが、実椿の無事を願い、喜ぶス姿を見たかった麻里江は目を輝かせている実椿を見て安心した。
「私からのプレゼント、お守りよ。家を空けてばかりいるお姉ちゃんからのお願い。お父さんとお母さんをよろしくね」
健やかに育っていく実椿が、愛おしいその姿が今は頼もしく麻里江には見えた。
「実椿……千尋を取り戻して来るわね。
いつまでも元気でいるのよ」
実椿の笑顔を目の前にして、安心した麻里江は静かに立ち上がって言った。
「おねぇ、帰ってくる?」
すぐさま実椿から言葉が返ってくる。自分の事を心配してくれているのが痛いくらいに麻里江は分かった。
「もちろん、実椿を一人にはしないわ」
そう言って、遅れて立ち上がった実椿の身体をそっと抱き寄せて麻里江は抱き締めた。
まだ小さくて純粋さの残った柔らかく温かい妹の身体。千尋のいない悲しみをグッと堪えて生きているのが、痛いくらい麻里江は分かった。




