第二十章「霧の街へと」9
「稗田博士、私達はこれから舞原市に向かいます」
羽佐奈は改めて稗田博士にも同様の事を伝えた。
「危険を承知でという事ですか?」
「そうですね。帰って来れないかもしれません。それでも、私達が行くことで、助かる命があるかもしれません」
質問にもはっきりとした言葉で返す羽佐奈。
興味本位で決めたことではないことは、稗田博士にもすぐに分かった。
舞原市との境界はファイアウォールで完全に分断されている。
未だこちら側に帰って来れた人物のいない中、それを決められるのは相当な覚悟を持っているのだと、稗田博士は理解した。
世界との繋がりを断たれ、インフラの維持に限りがある以上、日が経過すればするほど、舞原市の人命にかかわる。待っていればいずれ解決すると考えることは楽観的で無理があった。
「本当に立派なことです。妻と娘のことをよろしく頼みますと、本音を言えばお願いしたいところですが、何の罪のない多くの人々が舞原市に閉じ込められています。私はお二人の無事を一番に願います。これはきっとお二人にしか出来ないことでしょうから」
妻と娘のことを思い、声を震わせながら稗田博士は言葉を振り絞った。
舞原市内の様子は分からないが、災害のような状況に陥っていると稗田博士は想像していた。
「稗田博士、諦めなければ二人は無事にここに帰って来れます。どうか、私を信じてください」
羽佐奈はそう言葉を紡ぎ、優しく稗田博士と抱擁を交わした。
眼鏡の奥にある瞳が見る見るうちに潤んでいく。
稗田博士の家族を想う気持ち、それを三人はここに来て改めて痛感した。
舞原市に向かう前にここに来てよかったと最も感じ取ることの出来た瞬間だった。
それから、短時間であるが稗田博士とお茶会をした三人は、価値のある時間であったという実感を得た。
救世主としての素養を十分に示して建物を出た羽佐奈と友梨は、同行した司の運転で東京へと向かい車を再び走らせ、日帰りのドライブ旅を終えた。
そして翌日、家族や友人に別れを告げて、巨大なファイアウォールに覆い隠された霧に包まれた舞原市を目指して、車を走らせるのだった。




