第二十章「霧の街へと」6
「簡単に言えば、ここからは私たちの出番ということです」
揺るぎない自信を顔に覗かせたまま、羽佐奈は飯塚に言い放った。
「では、本当に現地に?」
舞原市へ向かうのが命の保障がない行為であることをよく知る飯塚は信じられない気持ちで目を見開いて羽佐奈を見る。現状、舞原市へと行って帰って来た人間は未だいない。舞原市内がどんな状況であるか一切分かっていないのが現実だった。
超能力を持った優秀な魔法使いであったとしてもファイアウォールを突破できる可能性は未知数で、帰還できる保証はさらに難しくなるのが必至だ。
結界の存在に気付けたとしても、危険であることを認識できるまともな魔法使いであれば傍観するのが普通の判断であった。
「はい、既に友梨が進入路を調査済みです。私と友梨が出向く以上、無駄足をするつもりは毛頭ありませんから」
胸を張って自信ありげに明るい笑みを浮かべる羽佐奈。その表情はこれから命懸けの旅路へと向かうようには見えない。隣に最も無事を願う司がいることもあり、心配はさせないという強い意志を現すものだった。
「危険極まりない、信じられません……三浦さん、本当ですか?」
二人の実力を知っていても安全の保障があるとは思えないだけに、飯塚は正気の沙汰ではないと本音で思いながら、羽佐奈の隣に座る、相方の友梨の方を向いて聞いた。
「詳しいことは申し上げませんが、ルートは絞りました。出たとこ勝負なところがあるのは確かですが、そこまで無茶をするつもりはありません。私と羽佐奈の二人分くらいは突破できるファイアウォールを展開することは出来ると思います」
舞原市に入ることよりも、結界を張った相手に侵入がバレて襲撃を受ける可能性の方が心配だと友梨は加えて飯塚に向けて言った。化粧は薄く、ふっくらしたほっぺに緊張した様子のない穏やかな表情を浮かべ、黒と赤に統一した服装に身を包んだ友梨であるが、紫色に輝く深みのある瞳は実に真剣なものだった。
「本音を言えば、二人はアリスプロジェクトには欠かせない代わりのいない大切な存在です。これまで積み重ねてきたゴースト討伐の実績は我々の計画の大きな糧になっています。
そうであればこそ、舞原市に向かうことは容認したくないことです。
しかし、意志の固い二人を信じて、今は見送ることしか出来ないでしょう。
心から無事に帰って来られることを願います」
二人の強い決意を感じるからこそ、言葉にするのが重たくなっていく飯塚。
司は飯塚の反応を見て自分も似たような思いだと気付き胸が苦しくなった。
「そんな顔しなくても心配いりませんよ。本音を言えば、結界までの道のりを楽にしてくれたらよかったですけど」
「それは……交通封鎖と周辺警備は警察の管轄ですから。我々は政府への助言をするのが限度です。申し訳ない」
「かしこまらないでください、冗談ですから。二人で舞原市の現状を確かめてきますよ」
お辞儀をして本気で申し訳なさげに表情を曇らせる飯塚に羽佐奈が明るく声を掛ける。
アリスプロジェクトのメンバーとして、飯塚に話しておこうと思っていたことをある程度話し終えたと感じた羽佐奈は席を立つ前に一呼吸置いた。
そして、締めの言葉を思いつき口を開いた。
「私にはあそこに行く理由がありますから。今から稗田博士とお会いしてきます。
外的要因による通信障害だって、今は使いようだと気付いているのでしょう? 飯塚さんは。これ以上の混乱を防ぐためなら時期早々ではないのではないです? 情報統制に転じるのは」
情報統制を提案するとなれば政府に難しい判断を要求することになる。言語統制によって生じる反動はセンシティブな問題であるだけに簡単に実行へ移すことは出来ない。
しかし、混乱が続く現状を見て、遠回しな言葉でエール代わりに自分のアイディアを羽佐奈は贈った。
この原因不明の事態に多くの人が不安を抱いている今、羽佐奈は自分に出来ることを示した。
それがあまりに自己犠牲の激しいものであったがために、飯塚は自分の立場で出来ることを余計に強く感じさせられた。
「舞原市内の現状がどうなっているか皆目見当もつきません。もしもあれが分析通りにファイアウォール、結界であり、ゴーストか魔法使いが意図的に展開させたものなら、世界の終わりの前兆とも言えます。
そう考えれば、赤津さんは本当の救世主になるかもしれませんね。あれほどの魔力行使が出来る相手に対抗できるのは、お二人しかいませんから。
さて、わざわざ貴重なお話しを感謝いたします。こちらとしてはプロトタイプアリスの指し示した選択が正しいのか、自分達で精査して対応していくしかありません。可能かどうか置いておくとして、情報統制の必要性はもちろん感じているところです。政府がどう判断するか、難しいことでしょう」
誠意を示すように飯塚も考えを巡らせながら回答を返した。
ここまで互いに気になる点が尽きない中、情報交換のための話し合いであった密談はここで終わりを迎えた。
情報統制を行うならSNSに手を加えることになるのは必須項目と言える。
その難しさを肌で感じる飯塚は厳しい表情を浮かべたまま、羽佐奈達を見送ることしか出来なかった。




