第十八章「太陽のような君と」5
「懐かしいね、よくお嬢様とここで遊んでくれていたね」
マリーゴールドの花を見つめ、過去の思い出に耽っていた奈月は唐突に背後から話しかけられていると気付き、振り返った。
内藤邸でアンナマリーのことをお嬢様と呼んでいる唯一の人物、庭師がそこに立っていた。
まだ四十代と庭師としては若さがあり、白い髪と白い髭が特徴的な男性だった。
「そうですね、懐かしいと言ってしまうには、それほど時は経っていないですが」
それでも、懐かしいと言ってしまう気持ちはよく分かった。
多くの人が避難を始め、生活は激変している。
元の生活に戻れる保証もない。懐かしいと口にして、帰れない日の事を思いたくなるのもよく理解できた。
「なかなかここを離れられなくてね……こんなに急に寒くなっては、花達も可哀想だ」
仕事熱心な庭師らしい言葉だった。
「本当に、その通りです。もう、このマリーゴールドが咲いているのを見られるのも、これが最後な気がして。あたし、居ても立っても居られなくって」
奈月はここまでわざわざやってきた訳を庭師に言った。
「それで、来てくれたんですね」
大事に育ててきた草花達のことを想ってくれた、庭師は奈月の言葉に感極まったように潤んだ瞳で笑顔を浮かべた。
そして、残り少ないマリーゴールドの花を奈月に手渡した。
「持って行ってあげてください、大切な人のために」
奈月の優しさに心打たれた庭師に迷いはなかった。
奈月は差し出されたマリーゴールドの花を大切に受け取った。
「はい、このご恩は忘れません……。命を繋いでいくために、もう一度花を咲かせるために、あたしも頑張ります」
帰り際に一言、避難を促すように奈月は庭師に声を掛けると、大切な二人の下に帰るためにこの場を立ち去った。
*
「先生、ただいまです。マリーちゃんの花を連れてきました。今の内にと思いまして。庭師の人も避難所に行くそうですので」
学園に戻り、奈月は一番に美術準備室を訪れた。狭い部屋ではあるが自分の居場所であることを奈月は再認識した。そこにはキャンパスに向かう変わらない蓮の姿があった。
「マリーゴールドか……」
奈月は蓮の側に花瓶を鎮座させる。蓮は横目に奈月の白く綺麗な手と一緒に花瓶を見た。アンナマリーの黄金色に輝く髪のように、鮮やかな色彩でその美しさを主張するマリーゴールドの花。
多くの花言葉を持つ花だが、奈月にはアンナマリーが見つめるこの花に悲しみの感情も眩しいくらいの太陽のような輝きも感じ取っていた。
奈月はアンナマリーを孤独なままには、一人にはしたくなかったのだ。
「こんなことになったら生きているだけで幸せなんだって思わなきゃダメだって思ってしまいますね。あたしは先生とマリーちゃんと三人で過ごすのが幸せです。どうか、沙耶さんが目覚めるその時まで、一緒にいさせてください」
この世で最も美しいと感じる男性と女性、その二人のそばに寄り添っていたいと切に奈月は願うのだった。
蓮はキャンパスに完成されつつある天使の羽を生やした少女と、奈月の手に持つマリーゴールドの花を目に入れて、それは些細な願いであるように聞こえるが、叶えることは困難であるかもしれないと思った。




