第十五章「明けない夜」7
雨音の暮らす霧島家と距離は離れていないが、夜道を歩き家の前まで辿り着くと、茜の足元まで何故か愛犬のブラウンが駆け出してきた。
「どうしたのブラウン? くすぐったいよ」
夜にも関わらず元気に尻尾を振る茜の愛犬。
待ちに待ったようにブラウンは茜に身体に甘え始めた。
制服のスカートを履いているため、素足を直接舐められると茜はくすぐったい気持ちになった。
そのまま気にせず玄関の前まで茜が歩いていくと、そこには落ち着きない様子の隣の家に住むおじさんとおばさんがいた。
「どうしたんですか? こんな時間に」
家の中は電気が付いている。茜は家の中に入ろうとするがおじさんとおばさんが立ち塞がり、入るのを止めた。
「茜ちゃん……今帰ったんだね」
「はい、そうですけど」
「すまない……悲鳴が聞こえて駆けつけた時には遅かった」
「悲鳴って、何が遅かったんですか?」
「いや、聞かなかったことにしてくれ。今日は霧島さんの家に泊めてもらうといい。明日にはすべてを説明する」
「すみません、道を開けてください、余計なお世話です」
茜は会話を続けていくごとに感情が死んでいった。
そして、最後には冷たく言い放ち、立ち塞がるおじさんとおばさんの身体を簡単に押しのけて、家の中に入っていった。
「茜ちゃんっ!!」
その先にある見てはいけないものを知っているおじさんは茜を止めようとするが、今の茜にはおじさんの声は届かなかった。
玄関を上がり、リビングの方に向かい歩いていく。そしてリビングの中に広がる信じがたい光景が目の前に降りかかった。それは血に染まり、二人揃って息絶えて壁に寄りかかった両親の姿だった。
頭に強い衝撃が走り、鼻をツンと刺激するほどの死臭に襲われた。
一体このリビングで何が起こったのか、想像が出来ないほどの悲惨な殺人現場だった。そこら中に血飛沫が飛び散り、両親のどちらの血なのかさえ分からないほど部屋は荒れ果てていた。
ゴーストの気配はなく、犯人はまるで見当が付かない。
茜は息苦しい気持ちになりながら、電気が付いたままのリビングの入口で立ち尽くす。
茜は信じたくないが、両親の死を受け止め始めると、慎重にリビングに足を踏み入れて行った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
グラつく意識の中、なんとか正気を保とうと、懸命に呼吸を繰り返す。
そして、ゆっくりと母親の顔を覗き込んだ。
制止されたのが納得いくほどに見てはいけない光景。
茜は制止されたことの理由を知った。
今朝まで元気だった両親が……軽く触れると床に倒れて動かなくなった。
信じられない光景……認めたくない現実……受け入れたくない気持ちが茜の視線を逸らし、目を瞑って耳を塞がせた。
そして、血だらけになった身体から漂う死臭に耐える茜は、心の内側から語り掛けてくる声に悩まされた。
”事故かな?”
―――そんな証拠は見当たらないよ。
”じゃあ自殺かな?”
――――そんな事あるわけないでしょ……。
それじゃあ死因は? 犯人の動機は? どうして二人が狙われた? 争った後は? 知り合いの犯行? 変質者? 金銭目的?
茜の脳内で語り掛けてくる声が耳障りに響き渡る。両親の死を目の当たりにしてショックを受ける茜を面白がり、半人半霊の身体となった茜の中に潜むもう一人の意識が混乱する意識を揺さぶり、混沌へと陥れようとする。
「あたしはどうでもいいよ!! 犯人が誰かなんて知りたくないっ!! 興味なんてないよ!! もしそんなことを知っても……二人が生きてる世界には帰れないんだよっ!!」
必死に邪念を振り払おうと、語り掛けて来る声を黙らせようと茜は声の限り叫んだ。
しかし、誰も答えてはくれない、この場で息をしているのは茜ただ一人だけだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……復讐は何も生まない……分かっているでしょ? 私はただ、この街の人々を守りたいだけ、それだけを胸に生きてるんだよ」
傷つく心に付け込もうとする偽りのアリスに埋め込まれた魂。
自分の中に潜むもう一人の意識を振り払い、茜はもう一度立ちあがった。
茜は気持ちが落ち着かぬまま、この場にいることの限界を感じると、苦しみの連鎖を遮ろうとリビングを後にした。




