第十五章「明けない夜」5
「寒くないですか……?」
「そういえば、言われてみると寒い気がしますね」
私の言葉に少し考えてから頷く玉姫。
まだ暑さが厳しいはずの九月だが、霧のように深い雲が覆った今日は朝方から温度差が激し過ぎたせいで寒気がするほどだった。
今更異常気象などと言う気もないが、日が落ちて外が真っ暗になると20℃を下回り、その寒さは一層強く感じるほどあった。
「看護学校に入学して忙しくて来れなかったので、少し懐かしさを覚えますね。こんなことになって来ることになるのは悲しいですが」
それならわざわざ来ない方が精神的苦痛を味わうことなく済んでよかったのではと思ったが、看護師を志して看護学校に通うほどだ。著しく責任感が強くなり、人の生き死に関しては誠意をもって対応したいのだろうと想像できた。
部室の前までいざやって来ると、玉姫は緊張しているのか表情をさらに固くした。
私は声を掛けようか迷ったが、まだ今日出会ったばかりということもあり、気持ちを堪えて止めておいた。
横開きの部室の扉を開く、相変わらず軋む音を立てながら扉が開かれると、茜に雨音、麻里江に千尋、静枝と凛音の姿もあり、物静かであること以外は賑やかな合宿のような雰囲気だった。
「玉姫先輩っ?!」
制服姿をした茜が驚きの表情を浮かべ立ち上がった。
想像通りのリアクションをして声を出すと、面識のある雨音と麻里江も視線を私の後ろにいる玉姫の方に向けた。
「みんな、久しぶり。こんな日に再会するなんて、星の巡り会わせなのかしらね」
複雑そうに苦笑いを浮かべ、そっと私の後ろから部室を覗き込み声を掛ける玉姫。
心中察するところだが、遠慮がちな玉姫に茜が喜びを隠しきれず率先して近づいていく。
私は……その当たり前のような反応を前に、心がチクリとした。
この後に茜たちが知る、残酷な現実はとても耐えがたいものだと分かり切っているからだ。
「ごめんなさい、先に謝るのも悪いと思うのだけど。
私はこの子を連れてきただけなの。私が不甲斐なかったせいだから……」
玉姫がお手本のような台詞を茜たちに聞かせる。
背中に背負った、可憐の姿が部室にいる生徒達の視界に入る。
もう、私は耳を塞ぎたい気分だった。
「茜っ!!」
雨音が声を上げた、可憐の身体がどんな状態なのか察しがついたのだろう。
だが、茜は何も分からず、玉姫の背中に背負われている可憐の頬に手を伸ばした。
「そんな……可憐……」
茜は冷たくなった可憐の頬に触れると、そのまま膝から崩れ落ちた。
「もう、ゴーストの仕業で魂を抜かれて時間が経ってる。
死んでいるのも同じよ。最後に、別れを伝えてあげて」
自分が非難されても構わない意思を持って、玉姫は声を絞り出した。
可憐の死は部室にいる全員にとって衝撃的な悲報だった。
麻里江は肩を落とし、千尋は涙を流し姉の麻里江に寄り添い慰められ、茜は両手をぎゅっと握りしめ、床を叩いて悔しさを吐き出すように悲しみに暮れた。
雨音は感情を押し殺すようにここまで連れてきてくれた玉姫の頑張りを労い、シーツを敷き、可憐を部室の床に横たわらせるのを手伝った。
娘の凛音はただ茫然と可憐の死んでいるとは思えない、穏やかな表情を眺めていた。
「どうして可憐なの……こんなのおかしいよ……。
一番に死ぬのはあたしでよかったのにっ!!」
沈黙に耐えられず、茜が叫んだ。
私はどうしていいか分からず、遠くから眺めることしか出来ない。
「……茜、私は誰もこんなことになって欲しくない。
彼女は彼のことが心配だったから、一人でも躊躇いなく会いに行ったのよ」
茜の気持ちに寄り添う玉姫。それは慈愛の心を育てた看護師としての玉姫の姿のように私には見えた。
「分かってるよっ!! 可憐の気持ちは痛いくらい分かってるよ……。
今度の誕生日は退院した彼氏と一緒に過ごすって……自慢げにこの前も言ってたよ。
可憐には幸せな明日が待ってるはずだったの!!
なのにどうして……どうして可憐じゃなきゃいけなかったのよっ!!」
何度も床を叩く茜に玉姫は優しく背中をさすった。
「茜……いいのよ、今日はたくさん泣いたって。
あなたの仲間を大切に思う気持ちは、十分伝わっているから。
そうね、恨むなら私を恨んで。私がしっかりしていればこんなことにはならなかった」
玉姫の言葉がさらに茜の心を震わせた。
「玉姫先輩が……悪いわけないです。
もうゴーストとは戦わないって言ってた、玉姫先輩がこんなに汚れているのに、精一杯守ろうとしていたこと、分かります。
だから、そんなこと言わないでください」
茜は玉姫の胸に抱き寄せられ、泣きじゃくった。
これほどに感情を爆発させてまで涙を流す茜の姿を見るのは初めてだった。
*
可憐の保健室のベッドまで運び、一人一人声を掛けると私たちは別れを終えた。
仲間の死を経験するのは茜たちも初めての経験だったため、永遠のように悲しい時間は続いた。
夜遅くなったことで送迎をしようとしていたが、茜は雨音と一緒に先に歩いて帰ってしまった。
私は凛音と共に残っていた麻里江と千尋、そして玉姫を乗せて帰ることになった。
制服の汚れていた玉姫を先に送り、麻里江と千尋を実家である神社まで送った。
凛音を助手席に乗せたまま二人で家まで夜道を走行する。
音楽を掛ける気にもなれず、車内は静かだった。
山間にある神社から自宅までは市内ではあるが時間がかかる。
私は眠たい気持ちを堪えながら、ハンドルを握った。
黙っていると余計に眠くなると気づいた私は、気乗りはしなかったが凛音に今日あったことを話した。
可憐との別れが衝撃的過ぎて忘れかけていた今日一日の異変。
明日になれば霧が晴れていればと思うが、明日晴れる保障は一つもない。
この夜が明けてくれるかさえ、分からないのだ。




