第十四章「滅びゆく世界の檻で」7
内藤医院は大病院というほどの規模ではないが、舞原市の重要な医療機関として定着している。
入院患者のベッドも百人近い規模を確保しており、リハビリテーションや精神医療分野にも精通している。
それだけにゴーストの侵略を許していい訳がなく、意地でも守られなければならない重要な施設だった。
可憐は五階まで急いで上がり、栄治の病室まで向かう。
順調に避難が進んでいる証拠ともいえるが、先ほど来た時よりも人の気配がなくなっており、閑散としている病院の廊下を可憐は走った。
病室に慌てて入ると、嫌な血の匂いが漂っており、視界が鮮やかな赤に染まっていくようだった。
栄治のベッドを囲う白いカーテンは血飛沫を浴びたように赤く染まっており、可憐は恐ろしい恐怖を感じ激しく胸が脈打つ感覚を覚えた。
「栄治……!!」
恐怖で見たくないと思いつつも必死の想いで可憐は名前を呼びながらカーテンを開いた。
そして、目の前に広がる光景を前にして絶句した。
シーツは剥がされ、胸を押さえながら苦しむ栄治の姿を可憐は見つけた。
来るのが一歩遅かったのだと、可憐は自分の不甲斐なさに胸が苦しくなった。
「来てくれたのか可憐……でも、もうダメだ」
傷口が痛むのか、顔を歪ませながら悲痛な声で訴えかける栄治。
長い爪で切り裂かれたような痛々しい胸の傷に可憐はすぐに気付いた。
傷口から湧き出てくる赤い血に目を伏せたくなるが、可憐は苦しむ栄治を助けようと首に掛けていたネックレスを掴んだ。
「諦めちゃダメだよっ!! 私は栄治を助けるために来たんだよっ!!
だから、これからも一緒だよ。私が救って見せる……」
栄治の手を掴み、信念を持って必死に語り掛ける可憐。
苦悶の表情を浮かべ痛みに耐えながら、栄治はすぐそばに迫る可憐の瞳に魅入られた。
動揺することなく、諦める様子もない、信じてほしいと訴える瞳をしていた。
その瞳は普段とはまるで違い、宝石のように幻想的な輝きを放っていることに栄治は驚かされた。
「何をするつもりだ……可憐……。早く逃げろ……怪物に襲われる前に。
あぁ……クソ……血が止まらねぇ……お願いだ……もう諦めてくれ。
お前だけでも、生きてくれ……」
傷口が痛みながらも可憐を見つめ避難するよう声を掛ける栄治。
自分を気遣ってくれるその優しい心に触れた可憐は今すべきことに従う決心を決めた。
「栄治……秘密にしていてゴメンね、私は魔法使いなの。
だから怪物なんて怖くない。さっきも怪物たちを退治してた。
でもね、私が一番怖いのは栄治を失うこと。それだけは受け入れられないから……だから、迷わずこの力を使うね。
奇跡を叶える魔法使いの希望、先生が与えてくれた宝石の力。
ごめんなさい先生、これが一度限りの禁断の秘術であっても、これが私の一番の願いなの……」
ネックレスチェーンの先にある宝石が輝きを放ち始め、放出される魔力で栗色のショートヘアーが激しく揺れる。
「お願い……私のたった一つの願いを叶えて……。
マギカドライブ起動っ!!」
可憐の方を向いたまま、驚きの表情を浮かべ言葉を失う栄治、目をつぶって両手で宝石を握りしめながら祈りを捧げる可憐。
可憐は奇跡を願い、宝石に力の限り祈りを捧げた。
これから先も……栄治と青春の日々を続けることを。
薄ピンク色に輝く宝石から光が溢れていき、奇跡の魔術が体現される。
規格外の魔力を放出して力が抜けた可憐を栄治が受け止める。
胸の傷口は塞がり、痛みは消えてなくなっていた。
「良かった……栄治、愛してるよ……」
無事に傷が回復したことに安心した可憐は潤んだ瞳を浮かべ、赤く頬を染めて、瞳を輝かせながら栄治の唇にキスをした。
「ほぉ……これは興味深い……。これが魔法使いの放つ輝きか……」
二人の時間を遮るように放たれた言葉。
可憐が病室の入口の方に反射的に目を向けると、黒いマントを着た、銀髪の男が立ち塞がっていた。
鋭く白い牙を覗かせて、興味深げに不敵な笑みを浮かべる男。
隠し切れない殺意を滲ませてくる、その異様な容姿を目の当たりにした可憐はこの男が主犯であると確信に至った。
「あなたが、新種のゴーストってことね。随分と好き勝手しやがって……許さないんだから」
自然と栄治の腕を掴む手に力が入ってしまう。それほどに危険なオーラを可憐は感じ取った。
「青いね……その青い血を存分に啜らせてもらおうか」
この言葉が開戦の幕開けとなった。
次の瞬間、吸血鬼を模したような容姿をした銀髪の男は一瞬姿を消したかと思うと、すぐに可憐の眼前まで迫り、抵抗する間もなく首を掴んだ。
「可憐っ!!!」
サッカー部持ち前の身体能力を武器に男に殴りかかる栄治。
可憐を守ろうと反射的に動いた形だった。
しかし、可憐の身体から引き離すことに成功するが、今度は男の反撃を受け、栄治はベッドの下で倒れ込んだ。
「せっかく治療してくれた身体を酷使して、命を粗末にするものではないですよ」
人間並みの頭脳とゴーストとしての残忍さを持ち合せた上位種のゴースト。
その力は現代の常識を超えたものであり、普通の人間に無策で対抗できるような柔な相手ではない。
「ぐぁぁぁあ……!!」
男の拳によって胸を貫かれた栄治は血を吹き出し、次の瞬間には床に倒れ込んだ。
「いやあああぁぁぁ!! 栄治っっ!!!」
一撃にして伏した栄治の身体を急いで起こす可憐だったが、その身体は惨たらしいほどに血に染まり、可憐の両手も真っ赤に染まった。
「逃げろ!! 可憐……俺はもう、お前から十分に勇気をもらったよ。
その優しさを……たくさんの人に分けてあげてくれ……」
目を見開き、必死に身体を掴む可憐に栄治は安心させようと最後に死を恐れず悔いのない微笑みを見せると、そのままゆっくりと目を閉じた。
「そんな……栄治……せっかく、助けに来たのにっ! こんなことってないよ!!」
目の前で愛する人を失う痛みは想像以上だった。悔しさと悲しさで、可憐の感情は破裂しかけていた。
「面白いショーを見せて下さり、感謝しますよ」
鮮烈な最期を迎え、無残にも息絶えた栄治。狂いそうになる激情を必死に堪える可憐に銀髪の男は愉快そうに満足げな笑みを浮かべた。
スラっとした体格で、180センチ以上ある高い身長で見下ろされる可憐。
ヴァンパイアのような威厳のある礼儀正しい佇まいだが、人の常識では到底理解できないその容赦のない残忍さは常軌を逸していた。
「栄治……これからなのに……もっとたくさん一緒にいたかったのに!!」
声の限り叫び、ネックレスを掴んだまま必死に喪失感を堪える可憐。
簡単に人の命を奪うゴーストに対して許せない感情が湧き立ち、決死の想いで立ち上がって魔力を込めて迎撃しようとする可憐だが、先程の奇跡の代償で空っぽになった魔力は、可憐の願いには応えてくれなかった。
「栄治の仇っっ!! あああああぁぁぁ!!」
魔力が使えず、自暴自棄になった可憐は涙で瞳を腫らし、怒りの感情を露わにして、最後の意地でスタンガンに手を伸ばして吸血鬼の男に突き付け、決死の覚悟でスイッチを入れた。
だが、身体に接触させたにもかかわらず、魔力を込められていない一撃は男には通用せず、逆に身体を掴まれ、無情にも首筋に歯を立てられた。
「いぐぅぅ……あああぁぁぁ!!」
あまりの痛みにスタンガンを足元に落とし、絶叫を上げる可憐。
容赦のない男はベッドに可憐の身体を仰向けに倒すと心臓に手を当てて、そのまま強い衝撃を加えた。
身体に電気が走るような衝撃波により激しい痛みが可憐を襲う。
「魔法使いの魔力とはなんとも美味ですねぇ。すべてを聖杯の供物に差し出すのは惜しい」
魂が身体の奥底から引き抜かれていき、そのまま抵抗できず意識を失っていく可憐。
狙い通りに一瞬の内に魂を抜かれ、新たな上位種のゴーストによって抜け殻となった可憐。そのまま絶命した栄治の亡骸に寄り添うように横たわり、血に染まったベッドの上で動かなくなった。




