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80 向日葵の花言葉

地に舞い落ちた書類を拾いあげた少年に、アナベルは息が止まる心地がした。ふわりと立ちあがった癖のある黄土色の髪。すらりと背の高く、均整の取れた体躯。そして、やや鋭い切れ長の目には見覚えがある。


「あなたは……ロイ様、ね?」

問いかけると、少年――ロイの身代わりは無言で肯いた。



(…何で私は彼と一緒にのんびり散歩なんかしているのよ?!)


自分から言い出しておいて、アナベルは内心で盛大に混乱していた。


(そうだったわ!ロイ様とダンスをしたとき、何故か彼は仮面をつけていたのよ!何で今の今まで忘れていたの?!)


いや…、そんなことは今どうでもいい。

心に蟠ったモヤモヤが――南部出身貴族の態度の豹変が解決していない。それが終わってからでないと…


「いつも、花をありがとう…」


お礼くらいは言ってもいいわよね。…それをきっかけにお近づきになろうとか…邪なことなんか考えていないわよ?


「…ご迷惑ではありませんでしたか?」


鋭さすら感じさせる見た目とは裏腹に、身代わりの声は所在なげだった。


「日々の潤いになっているわ。私…公爵令嬢に、政略抜きの贈り物をくれる方っていないから。貴方の優しさが嬉しい」

別に変な気遣いはない。事実そのままを言った。


(殿下はどうとち狂ってもあんな贈り物はくれないし、ね…)


政敵同士の婚約なんて、蓋を開けばそんなモノだ。愛などないのだから。


「貴方の本当の名前が思い出せないの」


己を眩しそうに見つめる身代わりに、ぽろりと零した。

だって……彼自身の名を呼びたいから。

そうでないと…彼と向き合えていない……同じ空間に並べていないと思うから。


「それは…」

案の定、身代わりは表情を強張らせた。


『ロイ』である彼に種明かしを強請っても答えないだろう。彼は…主をそれは敬愛していたから。だから、アナベルは彼に微笑みかけた。


「言わなくてもいいわ。私が思い出すから。ああ…確かに一度名前を聞いたのよ。何だったかしら…。私ったら、肝心なことは忘れちゃって」


忘れてしまう…ということは、特別珍しい名前ではない。


昔、夜会で踊った仮面のロイは、間違いなく目の前の彼だ。仮面の色は胡粉を練りこんだクリーム色だった。ジャケットの色は…確か暗色系で。


あれは、社交デビューの夜会だった。


デビュタントの若者は、皆まとめて最後に踊る。…そう。男女ペアでゆったりした二拍子のパヴァーヌを踊って、その後少しテンポの速いガイヤールを踊るの。そこで、たまたまデビュタントが被った『ロイ』とペアを組んだ。曲は……


こめかみに指を添え、古くて不完全な記憶の修復に挑むものの、肝心の挨拶部分だけがぽっかり消えている。脳裏に再生されるのは、ダンスを踊るシーンだけ。


パヴァーヌは振付が簡単な、言わば行列舞踏。振付も足のステップだけ。だから、隣の人とお喋りする余裕があった。


う…、何を話したんだろう。


「…ラクリメ、だった?」

違う。曲名ではなく、彼の名前を…


「アナベル様…」

不意に、影が差した。そして、


「御髪に触れることを、お許しください」


低く耳に心地よい声と共に、髪にさくりとした感触――結い上げたままになっていた髪に身代わりが挿したのは、あの雑草の花だ。陽光のような淡い金糸に、オレンジ色に近いその花は、存在感を主張する。爽やかな香りが鼻をくすぐった。


「いつも、この花を贈ってくれるのね」


いつも特定の花を贈る――きっと、何かメッセージを託してあると、そう思うのは身勝手な期待だろうか。


(花言葉…?)


薔薇や百合は、貴族の間でよくやり取りされる花だから、すぐに浮かぶのだが……さすがにマニアでもないアナベルは、その辺の雑草の花言葉までは知らない。ただ、眩しそうに目を細めて身代わりの少年を見つめた。


◆◆◆


…ッ!結局ぽぉ~っとしたまま、何もせずに過ごしてしまったわ!

だらだらして時間を無駄にしてしまうなんて!


公爵邸に帰る馬車の中で、アナベルは頭を抱えていた。


そうよ…私に好意があるなんて、どうして言いきれるの?


ロイ様の家――デズモント家をニミュエ公爵家は支援してきた。それも南部絡みで。戦に積極的な王妃の方針で、国内の小麦はすべてが北へ運ばれる。南は見捨てられた。けれど、食糧がなければ国の財源たる鉱山も稼働できないのは明らかで。そこで、ニミュエ公爵家が目をつけたのが、同じ古参派のデズモント家の領地で産する果実だった。


湖沼地帯のデズモント領。

その湖沼は時期になると、ある植物の赤い実で真っ赤に染まる。生では酸っぱくてとても食べられない実を、かの領地では果実酒に加工して安価な価格で販売していた。


アルコール度数も低く、大量生産できるが故にワインよりも遥かに安価な酒――『貧者のワイン』。


しかし、栄養価が高く、アルコール度数も低いため子供も飲めるそれは、貧しい庶民にとっては貴重な栄養源だった。また、その果実はジャムやドライフルーツにすれば、ある程度日持ちはする。ニミュエ公爵家は、それらを、小麦やワインの代わりに優先的に南部に流したのである。南部の民が、飢えないように。


彼が公爵令嬢たる私に優しいのは、家ぐるみのつきあいがあるから。


それに…


デズモント領のことだけを考えれば、あの果実に注力するのは利が少なすぎる。同じ作物でも、回復薬の材料の薬草を育てた方が需要もあるし、領は潤う――


それを、資金援助を盾に『貧者のワイン』を作らせているのだ。デズモント家は、わざわざ耕作できる地を掘り下げて湖沼を広げ、あの果実を育ててくれている。


好意なんか…寄せられるわけがない。


そう結論づけた頃、アナベルの馬車は公爵邸へと到着した。

彼女が侍女の手を借りて降りたタイミングで。


「お嬢様、公爵閣下がすぐに来るように、と」


駆けつけた従者の言葉に、目を瞬かせた。


◆◆◆


「夜会を…中止する?!」

信じがたい決定に、アナベルは声を上擦らせた。


「ライオネル殿下が御自ら歓迎の夜会を開くとおっしゃったのだ。こちらに報された以上、我らで夜会を開くわけにはいかぬ」


「なっ…!」


夜会は今夜を予定していた。つまり、既に招待状を出し、出席者は遠方の者は既にこちらへ向かっているだろう。それを土壇場で中止するなど、公爵家は顔に泥を塗られたも同然だ。

しかも…


「私は招待されていない?」


ここで角を立てぬなら、当初ホスト役だったニミュエ公爵を招いて然るべきだろうに。それを排除するのは、いったいどういう了見なのか…。聞けば、古参派貴族は悉く爪弾きにされたらしい。しかも…


「私たちが南部の簒奪を目論んでいると?!」


一体誰がそんなことを!?と、目を剥くアナベルに、父親である公爵は苦み走った表情を向けた。


「我々の支援を、曲解して殿下に吹きこんだ者がいるのだろう」


「そんな…」


まるで足元の地面がなくなったかのような虚無感――

なぜ?

だって、私たちは民のためになればと思って…

この国のためになればと思って…


「気を落としてはならぬ。我々は間違ってなどいないのだから」


けれど…これから古参派がせねばならないのは、『弁解』だ。それは、今までやってきた支援の意思を否定することかもしれない。


自室に向かって廊下を歩きながら、アナベルは父から命じられたことをぼんやりと反芻していた。


明日からは何事もなく、学園に通うように


考えなくてもわかる。アナベルにとってそこは針の筵であろう。王妃派からは、鼻で嗤われ、古参派からは失望の眼差しを向けられるだろう。誰も庇ってなどくれない。アナベルは、古参派のトップ。独りで戦わねばねらない。




部屋に戻ると、あの雑草が活けてあった。既に花を閉じているが、まだ瑞々しい。


「明日も咲くかしら…」


寝支度を整えてきた年嵩の侍女が、主の呟きを拾って微笑んだ。


「向日葵は強い植物ですから。明日も明後日も咲きますよ」


侍女は、この雑草の名前を知っていた。なら花言葉も知っているだろうか。


「花言葉ですか?ああ…」


主の問いに、侍女は茶目っ気のある笑みを浮かべた。


◆◆◆


同じ夜。


急遽、王太子宮にて催された歓迎の宴の会場では――


「王太子殿下を頼り、正解でございました」


「ニミュエ公爵閣下は、長いつきあいの中で一度も小麦を融通して下さらなかった。寄越すのは『貧者のワイン』ばかり。我々がいかに屈辱を味わってきたか…」


口々に吐く南部出身貴族を前に、美しく着飾った少女は悲しげに眉を下げた。


「あの方々のもとでは、あなた方は永遠に冷遇されたことでしょう。内政を顧みず、あなた方のお心に寄り添いもせず……怠慢としか思えません」


「ああ。実にその通りだ。アレらは南部地域の簒奪を目論んでいた。企てに気づき、早急に潰すことができて、何よりだ」


少女に同意する王太子に、南部出身貴族たちは目を剥く。


「なんと…!」


「そのようなことを…」


次いで彼らの顔に浮かんだのは、怒りだ。


ニミュエ公爵がよかれと思っていた支援でも、支援を受けた側はそれを蔑みと捉えていた。


南部の我らには『貧者のワイン』で十分…


そんな風に受け取っていたのだ。彼らからすれば、何よりも欲しかったのは小麦、そして葡萄から作るワインだったのだ。





「南部の貴族は考えてもいないだろうな。広大な地域への食糧支援にいかにカネがかかるのかを、な」


同じ王都の酒場で、敵国の諜報員が嗤っていることもつゆ知らず。


「けど、アイツらはわからないの。だってぇ……帳簿がおかしくても気づかないし!そもそも、帳簿なんか見ないし!」


ちょ~お厳しい会計係を送りこんで、悲しすぎる財政状況をこれ以上ないほどボロクソにけっちょんけちょんに言った後ォ、ちょ~おアバウトでいい加減な会計係を送りこんだら…あっさり後者を信じちゃったもんねぇ…。


どこぞのコソ泥エルフの言葉に、白銀の髪に紅目の諜報員がほくそ笑む。


「ああ。人間、耳に心地よい言葉の方を信じるからな。ボロクソに言われた後なら尚のこと、な」


「さあ…煽れるだけ煽ったけど、そろそろかしら?」


「ああ。今頃、流れてきた小麦をカネにして、それで武器を買ってるだろうよ――蜂起するためのな」


悪人たちの忍び笑いは、酒場の喧騒に掻き消された。

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