7.前世、私を殺した男が溺愛してくる(4)
その一時間後。シャルロットは城下のグランバザール大通りにあるトムス商店にいた。
「こちらがご依頼の品物でございます」
メガネをかけた人当たりのよい店主が奥から黒い小箱を取り出す。それを開けると、中には、緋色の万年筆が入っていた。
「とても素敵ね」
シャルロットは万年筆を手に取り、それを眺めて表情を綻ばせる。
ボディには金の枠が嵌まっており、エディロンの雰囲気によく合う気がする。
エディロンは普段の執務でもサインをすることが多いので、彼の仕事の手助けになればいいなと思う。
「ありがとう。とても素敵だわ」
「では、お包みしてもよろしいでしょうか?」
「ええ。お願いするわ」
シャルロットは頷く。
(これをお渡しするときに、きちんとエディロン様とお話ししよう)
シャルロットはそう決心すると、店主が包んでくれた小箱を鞄の中に仕舞った。
トムス商店を出たシャルロットは辺りを見回す。相変わらず、ダナース国の王都はとても賑やかだ。
(この景色ももう少ししたらお別れね)
ダナース国に来てから、シャルロットはエディロンとの婚約を破棄したあとどうやって生きてゆくかを考えた。その結果、教師になってみたいと思った。
幸い、シャルロットは六回も人生を繰り返しただけあって学校で教えるような勉強は一通りできるし、五度目の人生では刺繍で生計を立てたくらいなので裁縫だってできる。雇ってくれる施設はあるはずだ。
「そうだわ。孤児院のみんなに──」
せっかく城下に来たのだから、会いに行こう。シャルロットはお土産に大通り沿いの店舗でパンを買い、それを持って孤児院へと歩き始める。
孤児院の前では、子供達が地面に石で絵を描いて遊んでいた。
シャルロットは通りの反対側にいる彼らに向かって「みんなっ!」と呼びかける。子供達はシャルロットの声に気付き、一様に顔を上げた。
「お嬢様!」
しゃがみ込んで遊んでいた女の子のひとりがシャルロットを見て嬉しそうに声を上げる。パタパタと駆け寄ってきてシャルロットの腰の辺りにぽすんと抱きついてきた。
「お嬢様、遊びに来てくれたの?」
「ええ、そうね。みんなの顔が見たくなって」
シャルロットはにこりと微笑む。
「そうだわ。これ、みんなにお土産なの。手を洗ってから食べましょうね」
「わあ、嬉しい。美味しそうな匂いがするわ」
女の子はほっぺたに両手を当てて、歯を見せて笑う。
シャルロットも釣られたように微笑むと、女の子の手を握って一緒に歩き始めた。
そのときだ。
「きゃー!」
どこからか、大きな声がした。
「え?」
驚いたシャルロットはその声の方向を見る。ちょうど目に入った大通りの向こう側に、人々が集まっているのが見えた。
(何かしら?)
人々の中心には一頭の牛がいる。機嫌が悪いのか、しきりに首を振って暴れている。
「あれは、暴れ牛ね?」
荷車に繋がれた牛は酷く興奮しているようだ。主が必死に言うことを聞かせようと努力しているが、全く大人しくなる様子がない。
「みんな、危ないから建物に入りましょう」
シャルロットは周囲で遊んでいた子供達に呼びかける。
暴れ牛は人やものがあっても突進してくることがあるので、とても危険なのだ。巻き込まれると大怪我したり、最悪命を落とすことすらある。
「落ち着かせろ!」
「危ないぞ!」
人々が叫ぶ声がしきりに聞こえる。暴れていた牛は今にも主の握っている綱を振り切りそうだ。
「ケイシー! 子供達を建物へ」
シャルロットはケイシーにも、周囲にいる子供達を建物に誘導するよう指示する。
「はい。かしこまりました」
ケイシーは建物の前で遊んでいた子供達を中に入れはじめる。そして、ふとシャルロットのほうに目を向けて表情を引き攣らせた。
「シャルロット様!」
ケイシーの表情は、必死に何かを訴えかけようとしていた。
(え?)
背後を振り返ったシャルロットは大きく目を見開く。
まさに、暴れていた牛が主の握っていた綱を振り切り、こちらに走ってきている。
(いけない。こっちに来る!)
興奮しているせいで、ものすごいスピードだ。咄嗟に逃げようとしたシャルロットは躓いて倒れる。子供達が絵を描くのに使っていた小石に足を取られたのだ。
(間に合わない!)
既に牛は目前まで迫っていた。
(六度目の人生は、牛に襲われて結婚前に死ぬなんて──)
シャルロットはぎゅっと目を瞑る。
こんな結末、誰が予想していただろう。少なくとも、シャルロットは予想していなかった。
(エディロン様に、お誕生日おめでとうございますって言えなかったな)
死を覚悟したとき、なぜか最初に思い浮かんだのはエディロンの顔だった。
婚約を破棄したいという一方的な要求を押しつけたにもかかわらず、いつも優しく接してくれた。
周囲に響く悲鳴のような雄叫びと、悲鳴と歓声。
(怖いっ!)
しかし、すぐにくると思っていた痛みはいつまで経っても来なかった。代わりに体を抱き起こされてぎゅっと抱きしめられる温もりを感じた。
「シャルロット。大丈夫か!? 怪我は?」
恐る恐る目を開けると、シャルロットを抱きしめて心配そうにこちらを見つめているのはエディロンだった。
(これは夢?)
ここにエディロンがいるわけがない。
そう思うのに、夢でも会えて嬉しかった。
「陛下。暴れ牛は?」
「仕留めた。それよりも、あなたのことだ。膝を擦りむいているな。ああ、ここも血が出てる」
エディロンはシャルロットの体の見えている部分を確認して、心配そうにしている。
暴れている牛を仕留めるのは、例え騎士であっても命がけのはずだ。それを一瞬で?
(やっぱり、夢なのね)
夢の中でもエディロンはやっぱりシャルロットを優しく気遣っている。そんな姿を見て、胸の内に温かいものが広がった。
「シャルロット? なぜ笑っている」
エディロンが訝しげに眉根を寄せる。
笑っていただろうか?
笑っていたかもしれない。
だって──。
この人がとても愛おしく感じたのだ。
「陛下」
「どうした? どこか痛いのか?」
「あなたのことが好きです」
エディロンがハッとしたように息を呑む。
ずっと言えなかった、自分で気付いていたのに気付かないふりをしていた言葉がようやく口から零れる。
もうずっと昔から、この人が好きだった。
──一度目の人生で、出会った瞬間から。




