33 この家に生まれて幸せです
「お身体は大丈夫ですか? もっと早く、私たちにもお話しくださればよかったのに」
『身体は全然平気だよ。でも、魔女と対峙するのに、ルシールたちが心配しちゃうから秘密にしておこうって、スクルと決めていたの』
パティさんのお腹には、しっかりとスクルさんとの新たな命が宿っていました。
「そうだったんですね。私はいつ、スクルさんと契約を結んでいたのですか?」
『ルシールが平民地に落ちて来た時だよ。咄嗟に守護獣の力を使っていたんだって。一人の人間のために力を発揮することが、私たち守護獣の契約なの』
私の気持ちを確認しないまま契約を結んでしまったことを、スクルさんは悔やんでいたそうです。
「そんな……。私を助けるためだったのですよね。全く気にしないのに」
『スクルは、そういうところにこだわるルブラン・サクレだよ』
さすがお嫁さんです。そのとおりだと納得しました。
『あ、ルシールパパたちが来たみたいだよ』
「お姉様~!」
「来ちゃったわ~」
初めて降り立つ平民地に、ピクニック気分のヒューゴとお母様。そして、一人だけしかめ面のお父様がやって来ました。
クレナスタ一家の登場に、アドルフも作業の手を止め、こちらに向かってくれています。
「古くて狭い家ですし、充分なおもてなしもできませんが、どうぞ家の中へ」
いつもの飾らないアドルフも素敵ですが、こうしてお父様を立てながらも、バリバリ皇族の風格を醸し出す彼も格好いいのです。
「ええ、お邪魔させていただきます」
「わーい!」
「楽しみね~」
貴族島が落ちた平民地の外れは、アドルフと私が居る守護獣牧場の近くでした。エティエンヌは混乱を治めるため、そのまま城に残りましたが、私はどさくさに紛れ――もとい、パティさんが気掛かりでしたから、アドルフと一緒に牧場へ戻ったのです。
あれ? お父様は確か、魔女との対決が始まる前「必ずパパと一緒に家に帰ろう」と言っていましたね……。これは……、ピンチでしょうか?
連れ戻されるコースかもしれません。
全員素朴な木の椅子に座り、小さなリビングには、心苦しくなる程の緊張感が漂っています。って、私が悪かったのです……。
そんな空気の中、あどけないヒューゴが口火をきってくれました。
「アドルフ様、またこちらにお邪魔してもいいですか? 今日はお父様も忙しく時間がないようですが、今度ゆっくり来たいです!」
「もちろん。俺がここに居るうちは、いつでもおいで」
面倒見がいいアドルフは、本当のお兄さんみたいです。
「やったあ! ありがとうございます! ――あ、忘れないうちに。お姉様、どうかこちらをお持ちください」
「カンザシとオビドメね。ありがとう。あら、手作りしたのかしら?」
「えへへ。お姉様が帰って来た日にお父様が、お姉様は自分の役割を見つけ、これからは貴族島になかなか帰って来られないだろうから、皆でオセンベツを贈ろうって」
「ヒューゴ。みなまで言うな……」
マンガばかり読んでいると思っていたら、こんなに細かいビジューを繋ぎ合わせて……。可愛らしい包みは、ミズヒキまで手作りしてくれたのですね。
ヒューゴはお祖父様の記憶はないですから、きっと、お父様が教えたのでしょう。
「私からはこれを。丁度いいように、少しだけ着丈を詰めておいたわ」
「お母様……。ですが、これはクレナスタ家の女性が受け継いできたキモノでは?」
お祖父様がお婆様に贈り、そしてお母様が大切に受け継いだ品です。ヒューゴのお嫁さんが嫁いで来た時、必要となるはず。
「ワフクはルシールが一番似合うと思うの。お義父様もきっと喜ぶから、袖を通してあげて? ヒューゴがお嫁さんをもらう時が来たら、貴女からお嫁さんに渡すの。必ずよ? どこで暮らしていても、その時はちゃんと顔を見せるのよ?」
「はい。必ずそういたします」
手渡してくれたお母様の手には、小さな傷がたくさんありました。刺繍もあまり嗜まれないのに、苦手な作業を頑張ってくれたのですね。
夜しっかり眠っていたのは、明るい内に針仕事をするためだったのでしょう……。
皺が多くなり、細くなったお母様の手を両手で包みます。
勝手ばかりの娘でごめんなさい……。
「オホン、エホン。――パパを城に置いて、いつの間にかここに来ているなんて……。必死で探したんだぞ……」
「本当に、申し訳ございませんでした」
「ルシールは大切な守護獣を失ったのです。それに、その番が子を宿していることがわかり、彼女の助けが必要でした。連れて来た私に責任があります。どうか責めないでやってください」
「ウッ……」
「あなたぁ? そんなことを言いに来たのかしらぁ?」
キッとお母様に睨まれ、お父様はシュンと肩を落とします。
「その……。私がルシールに渡したい物はこれだ」
そう言ったお父様が内ポケットから取り出した一枚の紙は、以前一度だけ見たことがある書類でした。
「婚約承認書……。ジゼル様や王様の署名まで……」
私が貴族島に戻って、たった数日の内に……。しかも、マティス様との婚約を解消した後は混乱の最中。
根回しから取り付けまで、大変だったはず……。
「華やかな贈り物でなくてすまん。アドルフ様が言ったのだよ。ルブラン・サクレなら無理をしない旅程でも、二日で帝国と行き来できるとな」
「はい。確かに」
そんな話しもしていたのですね。
「自分の目で確かめねば、娘はやれん。他の牧場の守護獣でも、私が語りかけ懇願すると、すぐ飛び立ってくれた。本当に、人の言葉がわかるのだな……」
『皆、ルシールに恩があるからね。散歩くらいのお願いなら、悦んで聞いちゃうよ』
お父様は、私がスクルさんやパティさんと話していたのを、疑いもせず信じてくれたのです。
他人なら、変わり者やらなんやらと、色々言っていたでしょう。
「もう、エティエンヌ様はこちらに来られまい。婚約もしていない若い男女を、二人きりで生活させるなんてできんだろう?」
そのとおりです。さすがに私だって、よくないことだと思います。
「今朝方、帝国よりジゼル様の署名付きで届いた。そして今し方、国王よりサインをいただいた、できたてホヤホヤだ」
アドルフが立ち上がり、お父様に深々と頭を下げました。私も承認書を受け取り、アドルフに合わせて一礼します。
アドルフとお酒を飲んで、二日酔いになっていたかと思っていたのに……。それ以外にも、マティス様への手紙やら王様への報告など、大変だったはずなのに……。
「アドルフ殿下、どうかお顔を上げてください。皇帝となられる日は近いのです。ルシールがレイダルグ帝国に嫁ぐまで、何度でも二人でクレナスタ家にお越しいただく。それが婚約を認める条件です。――末永く、娘をよろしくお願いいたします」
「はい。ありがとうございます」
「お父様……。私、クレナスタ家の娘に生まれ、本当に幸せでした」
「過去形にするな。これからもずっと、私たちの娘なんだよ?」
「はいっ!」
お父様とアドルフが、固く握手をしていました。
「私もヒデトシ・サトウの血を引いているのだ。ルシールの気持ちが、よーくわかってしまったんだよ……」
寂しそうに言ったお父様の身体が、一回り小さく見えた気がしました。
でも、私もヒデトシ・サトウ・クレナスタの孫です。そして、一度懐に入れた者はガッツリ離さない、アドルフ・レイダルグの妻となるのです!
大事な家族には、寂しい想いなんてさせません!




