誕生日1週間後 3
そして、その時にあの本に出会った。
「あ、あの時が特別やっただけやんか。なんでもないときやったら、いくらでも会うやんか。言ってくれたら……」
「その時にジョングレイ先生の本を読んでやな……」
ウチは語りだした。
「恋愛のセオリー本や。そこに、男はゴムバンドって書いてあって。あんまり、追っかけたらあかんて。自由にさせとったら、戻ってくるたびに愛情が深まる、て書いてあってそうしようと思ったんや」
そして、驚愕の事実も知った。
「……セックスもや。ちゃんと手順踏んで、お互いの気持ちが高まってからするんと、そうなる前にしてしまうんとは、感動が全然違うって書いてあった。男の場合、すぐにしてもうたら、苦労して手に入れたもんやないさかい、相手への興味失せるか、それからはあんまり女を大事にせえへんて書いてあった。だから、あんたからのメールも電話も減ったんやな、と思ったんや」
ミスをしてしまったことに気づいたんや。早まって、ウチは素晴らしいなんたらかんたらを味わえる機会を失くしてしまったんや。でも、もう後悔しても遅い。
「で、でも。あのとき言ってきたんお前やろ?」
ケイスケがおずおずとした感じでウチに言った。
「……せや。後悔したわ。あの前に本を読んどったら、あんなん言わへんだのに。でも、あのときは舞い上がって頭に血ィ上っとってん」
生まれて初めてで片思いが両思いになって、彼氏ができて。頭の中、お花畑でチョウチョが飛んどった。
未知の興味もあったけど、相手はこの人がいい! とウチは舞い上がって自分からお願いしてもうた。
「お、俺は断ったで」
ケイスケが言った。
せや。それもショックやったわ。断られるとは思ってへんだからな。普通、喜んでくるんやろうと思っとったから。
「……断ったくせに。……本番でウチがやっぱり止めよう言うても止めてくれへんだ」
「く、車は走り出したら急には止まれんのじゃ!」
「あんなに大変なもんやとは思ってへんかってん。あんなに動くんやと知らんかったんやもん」
本番。ウチは想像してたんとは全然違うということを思い知らされた。
本とか漫画とか読んで、分かってる気でおった。でも、全然分かってへんかった。
合体してからのその先の事はあやふやで。ウチは虫とか猫と同じように、合体してそのままじっとしてるうちに男の人は時間が経ったら勝手に終わるんやと思ってた。
「普通、そんなん知ってると思うやんけ……」
「高校の保健で見せられるのは、静止画やん! マンガも静止画やろ! 小説もそこまで描写してんのあんまり無いやん!」
やっと解放されたときは、窓の外はほの白かった。
「痛い痛い言うてんのに、一晩中することないやろ!」
「初めてやから緊張してなかなか最後までいけへんかったんじゃ!」
ウチは、むかむかしてレモンスカッシュを一息に吸った。
「他にもや。付き合いはじめて最初のクリスマスのデートん時、あんた、ドカジャン着て来たな」
気合い入れて、神戸のお嬢様ファッションで行ったのに。めっちゃ寒い日やったけど、コートの下はノースリーブのセーターでドキドキして行ったのに。(次の日、風邪ひいた。)
そしたら、待ち合わせ場所にいたケイスケは作業用のアウターを着とった。
「別にあの時お前怒らんかったやん。だからええんやと思うやんけ。言うてくれたら、俺も反省してマシな服買うて着ていくやんか」
「気を遣ったんじゃ! ウチがなんか言うて細かい女やな、て思われてデートする気なくしたら嫌やと思ったんじゃ! でも普通、デートはお洒落してくるもんやろが! クリスマスやで!」
街中を歩いていると、明らかな視線を感じて恥ずかしかった。どう見てもウチらは、ちぐはぐやった。
あれ以来、ウチはキメキメのファッションをすることはやめて、カジュアルを貫くことにしたんや。
……あの時が、もしかしたら引き際やったのかもしれん。
「な、なあ。ここ出て、二人になれるところいこうや」
ケイスケが小声で囁いた。
ウチはムカ、とした。
最後のアレか? そういうことか?
折角やから、最後に一発しとこうっちゅー魂胆か?
キエコちゃんやユミちゃんが、別れる前の最後のアレは盛り上がるから、しといてもエエ、て言うてたけど。
ウチはいらん!
絶対にあんたとはもうせえへんで!
ウチは残っとったタルトを一気に口の中に続けて運んだ。
「俺がいらんのはそういうこと? これから気いつける。反省するわ。……他にはないんか? 全部言うてや」
気味が悪いくらいの優しい声でケイスケが聞いてきた。その様子がさらにウチの気を苛立たせた。
「あとは……」
ごっくん、とウチは口の中のタルトを全部飲み込んだ。
「あんたがジェットコースターに乗れへんからや」
遠い遠い過去。本当の最初の。
ケイスケへの失望をウチは思い出した。
「ウチは小さいころから好きな人と遊園地デートでジェットコースター乗る、ちゅうんが夢やったんや。あんたが怖くて乗れへん、ていうのを知ってめっちゃショックやったんや」
冗談かと思たで。
いやや、絶対に乗らへん! て、街灯にセミのようにしがみつくケイスケを見たときは。まるでマンガに出てくる人みたいやった。
そんなケイスケを引き離そうとしたウチの姿を、通りかかったカップルのお姉さんは見て笑い。お兄さんはウチを非難するように見た。あわててウチは手を離して、もうアカンとあきらめた。
「お前、別にあのときそんなん言うてへんかったやんけ」
「気イ、遣ったったんじゃ! 乙女心や! あのあと、しょぼいコーヒーカップで我慢して、わざとはしゃいだふりしたったんじゃ!」
残念な気持ちをこらえて、頑張って楽しそうな顔して、黄色い声あげたった。
いろんな場面で演技は大事や。アノ時もな。
「まあ、そういうことや。あんたとはそういうことで」
ウチは席を立った。早く店から出とうてたまらんかった。
「本気で言うとるんか?」
ケイスケがウチを見上げてきた。
「冗談で言うてるように見えんのかいな」
この男の前にいるのが我慢出来へん。
イライラする。ほんまにイライラする。
胸がムカつくようや。
はよ、ここから立ち去りたい。
「お、俺」
ケイスケがもごもごと口を開いた。
「お、お前と……結婚しようと思っとってん」
「思っとった、だけやろ?」
ふ、とウチは笑った。
「それで、この十年かい」
いい加減、見切りつけんねん。
もっと真面目に付き合うて、大切にしてくれるエエ人探すんや、ウチは!
「ま、待てや。十年付き合ったのに、こんな」
「……ジョン グレイ先生の本、読んでみい。女のこと書かれとるわ」
ウチはケイスケを見下ろして言い捨てた。
「ほな、さいなら」
速足でレジに向かい、お金を払って店を出た。
外に出て冷たい空気吸うと、幾分ムカつきがスッキリした。
ホッとしてウチは歩き出した。
駅に向かう途中で、前でお母さんと手をつないで歩いてる女の子が歌を歌っとった。
「Let it go」アナ雪の歌や。
ふふ、とウチは笑って女の子を抜かし、速足で歩き出した。
もっとはよ、こうすれば良かったんや。ふふ。
嬉しさがこみ上げた。
なんでも、自由や。
ウチは、これからなんでもできる。
スキップして駅にたどり着くと、ウチは雪の女王エルサみたいに、笑顔で階段を駆け上がった。




