28.そうして兎は愛を知る
コーヴァス・アルデンの罪は暴かれた。
兎へのただならない理想と執着。その希少性を利用しての転売と、薬物の実験。
それらに関与する者らも、コーヴァスの逮捕に連なり、残らず検挙に至ったのだ。
リスクを取ってまで他の主人を脅し、兎を奪っていたのも自身の欲を満たすため。
ノアールの現状を確かめるためだけに、偶然を装って植物園にまで赴いたが……それで閉じ込めていた兎が馬車に潜んでいたとは思っていなかったのだろう。
結果的に、それを切っ掛けに悪事は暴かれ。言い逃れができなくなる前にと焦り、今回の誘拐を企てたのが、彼自身のトドメとなった。
ノアールを連れ込んだ別荘だけでなく、本邸も含め、被害となった兎は改めて保護されることとなった。
植物園で出会った兎も、元の所有者の希望もあり、体調が戻り次第に帰れる算段が付いている。
そして、アルビノも連れ去られる前に保護されたが……今は、精神を病み臥せっているという。
兎としての価値が高い、誰よりも愛らしい兎。仲介所では、常に褒めやされて過ごしてきたアルビノだ。
ヴァルツに迎えられると信じ、真っ向から否定され。ようやく主人に迎えられたと思えば、愛でられることはなく。
そうして、自身が蔑んでいたノアールの目の前で捨てられたのだ。
兎にとって、主人に迎えられ、愛されることは存在意義と同じ。
思い返せば、アルビノは与えられるはずの名前もなく。服も、靴も、仲介所で着せられていた物とほとんど変わらない、量産品の物だった。
これまで最高の兎と言われていたアルビノにっては、耐えがたい仕打ちだっただろう。
その上、彼も気付いていたはずだ。愛されない兎がどうなるかを、想像ではなくその耳と目で。
そうして、それは現実となってしまった。……兎が心を病むには、それで十分だったのだ。
アルビノに対して、いい思い出はない。それでも、苦しんで欲しいわけでもない。
だが、こればかりは時間が解決するしかなく。いつか、アルビノに相応しい主人が迎えに来ることを願うしかない。
「ノアール君がいてくれて、ここも華やかだったのになぁ」
惜しんでくれるピルツに笑い、荷物を持ち直すノアールの表情もまた明るい。
天気は快晴。雲一つない青空。足は軽く、廊下ですれ違う他の監視官が手を振って見送る。
かけられる言葉はどれも温かく、別れを惜しむものばかり。
誘拐され、事態が落ち着くまでの数ヶ月。監視局で保護されていたノアールは、今日やっとヴァルツの屋敷に戻れることとなった。
その間、ヴァルツも監視局で過ごしていたので離れてはいなかったが、屋敷での過ごし方と全く同じとはいかず。
他の監視官やピルツに勉学を教えてもらったり、雑談をしたりと。ノアールにとっては実りのある数ヶ月だったが、正式にヴァルツの兎として認められた以上、監視局に居続けることはできない。
見慣れた道を通るのもこれで最後だと、階段を下りる足取りは軽く、胸は高鳴る。
「僕も、皆さんと過ごせて、とても楽しかったです」
「俺はまた顔を見に行けるけど、他の奴らは見納めだろうな」
ヴァルツと旧友のピルツなら会う機会はまたあるが、他に知り合った監視官の人たちとはそうはいかない。
もうノアールがここに来ることはできないし、監視官も本来なら特定の兎を故意にすることは咎められている。
今回はヴァルツが受け入れると確定しているから、皆も気兼ねなく会いに来てくれたが……それも、ここだけの話。
外で会えば、ここまでの接触はしないだろう。それは、世間に対しても公平であると示すためでもある。
「ピルツずるいぞ!」
「そうよ、私たちだってまた会いたいんだからね!」
……が、監視官とはいえ彼らもまた一人の獣人。
別れを惜しむし、例外を羨む気持ちも当然ある。
ノアールの出発を見送ろうと集まってくれた面々からのブーイングに、投げかけられた当人は涼しげな顔だ。
「会えるかもしれないだろ? まぁ、俺より頻度は低いだろうけど」
「自慢かよクソォ!」
この会話だけでは、厳正と言われている監視官同士の会話とは思えないだろう。
ノアールも初めの頃は戸惑ったが、今では普通に受け入れている。
ヴァルツのイメージが強すぎたのもあるだろう。その彼だって、彼らの前では少し砕けたように見える。
……特に、ノアールの様子を代わる代わる見に来た時なんかは、分かりやすく呆れていたのを覚えている。
「アルデン卿の件もありますし、定期的に兎をここへ連れてこさせるのはどうです?」
「それ、俺らの仕事が増えるだけだろ」
「でも合法的にノアール君に会えますし、犯罪の防止にもなって一石二鳥では?」
「いっせき、にちょう」
ここで色々と教えてもらったが、まだ知らない単語も多いようだ。
首を傾げて窺い見たはずの瞳は、聞き慣れた足音で後ろへ向けられる。
「検討するが、却下だな。やるとしてもノアールは除外にする」
「ヴァルツ様!」
駆け寄り、見上げた蒼が柔らかく笑む。近づくなり自然に頭を撫でられ、跳ねた耳先はヴァルツの手に当たって、もう一度。
「待たせてすまない」
「お仕事はもう大丈夫ですか?」
「ああ、これで心置きなく休める」
コーヴァスの一連が落ち着き、後処理が片付いたのが昨日のこと。
出立の時間が昼になったのは、休暇に入るまでの引き継ぎを改めて行うため。
今度こそ、正真正銘の休みだと。ノアールから荷物を預かったヴァルツに注がれるのは、恨めしいやら微笑ましいやらと、様々な視線。
「偶には連れてきてくださいよ!」
「規則は規則だ。先ほどの案も通すつもりはない。……が、確かに防止案を考える必要はある。休暇が明けるまでに各自考えておくように」
「ほら仕事が増えた!」
「俺のせいかよ!?」
「返事が聞こえないが、私の気のせいか?」
「了解しました! ノース様!」
慌てて声を返す一同に思わず笑い、それから改めて頭を下げる。
「本当にお世話になりました。皆様、どうかお元気で」
「ノアール君も元気でね!」
「会いたくなったらいつでもおいで」
温かい言葉に見送られ、扉をくぐって外へ。数ヶ月ぶりの外は、記憶に残っているものより、ほんの少し温かい。
気付けばもう春が近いらしい。
仲介所にいたときは、この時期だけ寒さが和らいで過ごしやすかった。
……あれからもう何ヶ月も経っているなんて。今でも信じられない。
本当に色んなことがあった。
混血と呼ばれた自分が保護されて、兎だと認められて。名前も、住む場所も与えられて。
こうして今、ここにいる。
兎として求めた愛し方とは、確かに違うかもしれない。
だけど、大切にされて、優しくされて、心配されて。
兎としてではなく、ノアールとして愛されている。
そうだと疑うことなく、ここにいることができる。
「……どうした?」
「いえ、あっという間だったなと思って」
仲介所から屋敷へ移り住んだ時も、それから一緒に過ごした時間も。もう二度と会えないかもしれないと怯え、再び出会えたときも。
そして、この瞬間も。
まるで瞬きのように一瞬で。それこそ、夢のようで。
でも、もう夢ではないと、ノアールは知っている。
「少しだけ、寂しい気持ちもあります」
「……そんなに彼らと会いたいなら、機会を設けるぐらいはできる。……すぐに、とは言えないが」
「いいえ」
答えながらも、少しだけ寄せられた眉の理由も。もうノアールは気付くことができる。
それだけ時間を過ごして、学んで、分かり合って。そうして、これからも過ごしていくのだ。
寂しくない、と言えば嘘になる。会わなくていい、というのも少し薄情だ。
だけど、それ以上にノアールが望むのは、ただ一つ。
その願いは、最初から変わらないのだ。
「ヴァルツ様がおそばにいてくれるのなら、僕はそれで十分です」
「……そうか」
微笑む蒼の温かさに、胸が満たされる。でも、もうこの一瞬だけでは生きていけない。
だって、ノアールは知ってしまったのだ。愛される喜びを。彼が本当に望んでいた、愛を。
兎としてではなく、自分の喜びを。
「帰ろう、ノアール」
そして、生涯ノアールは忘れないだろう。
差し出した手の温もりと、この幸福な気持ちを。その生が尽きる時まで。
「――はい、ヴァルツ様」
本日で完結となります。
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