第98話 設計依頼
1916年9月1日 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州 ソーク郡 スプリンググリーン タリアセンⅡ
その建物の主はかつてはアメリカ合衆国を代表する建築家だった。
しかし、相次ぐ醜聞によって、仕事は激減していた。
醜聞といっても建物に問題があったわけではない。問題があったのはもっと個人的な事、彼の私生活についてだった。かつての依頼主の夫人との不倫と駆け落ち、そしてアメリカに帰国後の放火と殺人事件による夫人と子供たちの死、相次ぐスキャンダルは建物の主の名声と精神をぼろぼろになるまで傷つけていた。
そんな建築家の元に一台の自動車に乗った、見るからに裕福とわかる男性がやってきたのは昼過ぎの事だった。自動車はホワイト-モーター-カンパニー製の高級車だった。
「失礼ですが…」
「なんですかな、貴方は。ゴシップ記者という訳ではないようだが」
男性が言い終わる前に、建物の主は警戒心を滲ませつつも、どこか縋るような声を出した。
建物の主は醜聞のせいでここしばらく腕を振るっていなかった。そろそろ、建築の世界に戻りたいと考えていたし、実際、そのために行動していた。放火で事務所兼自宅だった初代タリアセンが焼失した時には直ぐに再建し、いつでも依頼を受けられる体制を整えて待っていたのだが、結果として依頼が来ることは無く、愛情の冷めきった妻との離婚調停におわれる日々を送っていた。
「これは、失礼いたしました。私はホワイト-モーター-カンパニーのウィンザー-トーマス-ホワイトと申します」
男性こそホワイト-モーター-カンパニーの経営担当であるウィンザー-トーマス-ホワイトだった。
ホワイト-モーター-カンパニーはその名の通り元々はミシンの製造を行なっていたホワイト一族の経営する企業であり、元々は蒸気自動車の修理に始まりそこから製造を行なうようになり、世の中の主流がガソリンエンジンに移ると、ガソリンエンジンの自動車の製造に移り、更にそこからトラックや装甲車の製造を行なうまでになっていた。
「いや、これは、失礼を…それで要件は何でしょうか」
「実は他ならぬ貴方に依頼をしたいのです」
「ほう、ご自宅ですか?」
「ああ、いや、会社の方でして」
「となると、社宅ですか?たしか御社は労働者の環境整備にも力を入れておられたはずですが…」
「まあ、会社が発注するには変わりませんが、社員向けではなく、一般向けです」
「一般向け…ですか」
ホワイトの答えは建物の主も予想外のものだった。なぜ、と訊ねるとホワイトはその理由を語り始めた。
その根底にあるのは、将来の自動車産業はどうあるべきか、という事だった。
100マイル特急の開通によってアメリカでは高速鉄道の敷設、あるいは既存の鉄道の高速化の動きが各地で行われていた。
そうした中で割を食っていたのがフォードなどには及ばないがそこそこ自動車を作っているホワイト-モーター-カンパニーのような自動車メーカーだった。
フォードほど安価な製品は作れずかといって、それなり以上の値段ならば人々の目は高速鉄道の方を向くかもしれない、そうした危機意識がホワイトを突き動かしていた。
ホワイト-モーター-カンパニーは社宅や社員向け商店の整備や社員向けの福利厚生が充実している事で有名な会社だったが、このままでは今は良くても将来的には経営が傾き、労働者や社員にも悪影響を及ぼしかねない。彼らの事を考えるとホワイトの悩みはより深刻なものになった。
そして悩んだ末にホワイトはそのノウハウを商売にするアイデアを思いつく、それらのノウハウを生かし都市の郊外に自動車交通を主とする住宅地を作りあげるというものだった。
無理やり客車に押し込められて、誰に運転されているかもわからない鉄道で仕事場まで行くより、自分の家から、自分の車で、自由に通勤しないか、というわけだ。
なるほど、と建物の主は思った。
確かにそうした発想は悪くない。実にアメリカ的な自由な発想だと思う。
前にモンタナのダービーの土地開発計画を行なった時は鉄道が敷設されたから、そこの土地開発をしてほしいという依頼だったが、考えてみれば鉄道よりも自動車の方が自由でアメリカ的な乗り物だ。
自分はあれほどヨーロッパの模倣に過ぎなかったボザール様式を否定しながら、何故、この発想をもっと早く形にしなかったのかと、恥じ入るほどだった。
「やりましょう。ホワイトさん、早速打ち合わせを…」
「ありがとうございます。ライトさん」
思わず飛び上がってから、礼を述べたホワイトに対して、建物の主である建築家フランク-ロイド-ライトはにこやかに微笑んだ。
結論から言えば、ホワイトが思いつきライトが形にしたこの郊外都市建設計画は大当たりした。
その理由はライトが作り出した理想的ともいえるような都市計画にもあったが、一番の理由は多くの人間が都市からの脱出を望んでいたという部分が大きかった。東海岸ではヨーロッパからの、西海岸ではアジア系やメキシコ系の移民たちが増えていたからだ。こうした移民たちに対する反感から、都市からの脱出と郊外住宅地での居住を目指すようになる。




