第96話 暗殺と接触
総合評価が700pt超えました。ありがとうございます。
この年代以降になると、第二次世界大戦後どころか割と現代に近い時代まで存命だった人物も生まれてきてなかなか話作りが難しくなって来ますが、これからも頑張っていきたいと思います。
なろうの基準がホントよくわからない。今日この頃です。
1916年8月13日 ドイツ帝国 バイエルン王国 ミュンヘン 中央駅
その日、ドイツ帝国首相であるゲオルク-フォン-ヘルトリングは久しぶりに故郷バイエルンへと帰還していた、しかし、いつもならば、歓声と共に迎えられるはずのヘルトリングは、この時に限っては罵声と共に迎えられた。
(だが、これも仕方がないな)
ヘルトリングはそう思った。なぜならば自分たちのクーデターを南部領邦の人々が支持していたのは、ひとえにオーストリア=ハンガリー救援とイタリア王国に鉄槌を下すためなのだから。
国境線を戦前のものに戻し、イタリアとオーストリア=ハンガリー双方の住民交換という形で長年にわたる両国の対立を解消して平和を実現した。といえば、聞こえはいいかもしれないが、ドイツ軍がヴェネツィアやミラノ、更にはローマで整然と行進する様を思い浮かべていた人々からすれば、到底、不満足な内容だった。
特にフランツ-フェルディナンド大公暗殺から始まった長き戦争に耐えながらも何も得られなかったオーストリア=ハンガリー帝国ではオーストリアの政権を担っていた社会主義者たちが売国奴として右派によるテロによって亡命を余儀なくされ、ハンガリーでは戦争中よりハンガリーの独立を唱えていたカーロイ-ミハーイの釈放を訴えるデモ隊と警官隊が衝突して、死者が出ているという。
ドイツ国内でもヘルトリングの事を『英仏の圧力に屈して勝利を捨てた』として批判する人間も少なくなかった。
(だが…来月には聖地の管理権を決める会議が開かれる。そこで我がドイツの主張をいくらか認めさせる事ができれば)
あるいは、怒り狂った人々を抑え込む事ができるかもしれない。
ヘルトリングは来月の会議に僅かな期待を寄せていた。何故ならば今、ドイツ帝国では強引な議決によって参戦したにもかかわらず、大した戦果も得られなかったために、参戦を推進したプロイセン及びバイエルンを中心とした南部領邦に対する不満が元々、参戦に反対していた西部、及び中部の領邦や自由都市の間では燻っており、これらの領邦の間から、プロイセンと南部領邦がそれぞれ多く議席数を持っている現状の帝国議会の改革を求める要望が多数出ていたが、要求を突き付けられた側からすればこれらの小国の集まりの要求を飲む事などありえないことであり、それがまたドイツ帝国内での分断を深いものにしていた。
しかし、ヘルトリングとしてはそうした分断が加速してドイツ帝国が分裂状態に陥る事は、ドイツ帝国全体を考えれば悪夢のような出来事であり、何としても避けたかった。多くの罵声を浴びせられながらもバイエルンを訪れたのは、そうした自身の考えを訴える為だった。
ふと、人込みをかき分けて若者らしき人物がヘルトリングの方に歩いてくるのが見えた、そして若者は自分の服のポケットに手を伸ばし、そこから何やら黒いものを取り出して…
この日、ヘルトリングは以前よりヘルトリングを売国奴として非難していた青年であるアントン-グラーフ-フォン-アルコ-アウフ-ファーライによって暗殺された。
1916年8月14日 ドイツ帝国 バイエルン王国 ニュルンベルク 聖ゼーバルトゥス教会
バイエルン王国の中でもミュンヘンに次ぐ都市であるニュルンベルクにある聖ゼーバルトゥス教会は『カノン』の作曲で知られる音楽家パッヘルベルゆかりの教会だが、その日教会を訪れた男は皮肉げにわらった。
「全くこんなところで待ち合わせとは」
男はエーリッヒ-ルーデンドルフだった。元々はポーランド駐留軍の参謀の一人だったが、バルカン戦争へのイタリア参戦の直前に何故か勃発したポーランド人による蜂起の責任を取って、左遷されたもの、立案したミラノへの攻勢作戦案が参謀本部の目を引き、その実行のために再び参謀としてオーストリア=ハンガリー援助軍と共に前線に赴く準備をしていた所、リエージュ会議にて停戦合意がなされてしまった。
この停戦合意はルーデンドルフにとっては人生二度目の敗北だった(実際はロマン-ドモフスキ率いるポーランド国民連盟の戦闘部隊にも敗北を喫していたが、ルーデンドルフはその責任を無能なオーストリア=ハンガリー軍将校に指揮された士気が低く、装備が劣悪なポーランド王国軍が足を引っ張ったせいであるとして、決して認めてはいなかった)。
ともかく、この敗北に衝撃を受け、怒り狂ったルーデンドルフは、かつて目を背けた道、つまり社会主義に基づいた革命という考えにに再び傾倒し始めた。
ルーデンドルフが当初接触を図り、その後ルーデンドルフが距離を置き始めるとルーデンドルフの事を日和見主義者として罵倒していた、カール-リープクネヒトやローザ-ルクセンブルクはドイツのバルカン戦争参戦後に過激な抗議活動を行なった為、スイスへと亡命を余儀なくされていたため、ルーデンドルフは新たな人物に接触を図る事にした。
「失礼だが、ルーデンドルフさんですかな」
「ええ、そうですが」
「"診療"の予約時間は過ぎておりますよ。どうぞこちらへ」
ルーデンドルフに対し明らかに南ドイツ方言と思われる発音で話しかけてきた男がいた。ルーデンドルフはいきなり話しかけられたことに動揺したが、話しかけてきた男に促されるままに教会の前から少し離れた小さな診療所へと案内されてなかに入った。
「ルーデンドルフさん。ヒルファディング診療所へようこそ」
男は中に入るなり、そう言った。そこから暫く行った待合室には本来、ルーデンドルフが待ち合わせする筈だった男ともう一人がいた。
「このようなかたちになって申し訳ない。クルト-アイスナーです。それからこちらは」
「アイスナーさんからあなたの事は聞きました。カール-レンナーです」
ルーデンドルフの本来の待ち合わせ相手だったクルト-アイスナーが自己紹介をすると隣に座っていたカール-レンナーが自己紹介をした。
「みなさんコーヒーです。それと自己紹介がまだでしたな。ルドルフ-ヒルファデイングです」
奥からコーヒーを持ってきたヒルファディングが最後に自己紹介をした。
アイスナーが元々バイエルンで活動していた社会民主主義者だったのに対し、レンナーとヒルファディングはバルカン戦争終結後の右派によるテロを恐れてドイツへ亡命してきたオーストリア人だった。
こうして、ルーデンドルフは人生で二度目となる、社会主義者との接触を果たしたのだった。




