第91話 神の軍<上>
1916年6月21日 ロシア帝国 カザン県 カザン
「司令官、帝国政府は何と」
「我ら、ブルガールの自治を認めるつもりはないとのことだ」
「そうですか…」
「だがこうもあった、我々をブルガールの子孫としては認める用意がある、と」
「おお、それは本当ですか司令官」
「これでまた一つ、父の理想に近づいた」
「ええ、お父上が生きておられればさぞお喜びになった事でしょう」
「うむ」
司令官と呼ばれたヴァイソフ神軍の指導者、イナーン-ヴァイソフは言葉では言い表せないほどの喜びを滲ませながらうなずいた。
ヴァイソフ神軍とは、イナーンの父、バハー-ウッディーン-ヴァイソフが創始したイスラーム神秘主義教団だった。ヴァイソフ神軍はシャリーアとクルアーンの遵守を訴えたが、その最大の特徴はブルガール民族主義にあった。
バハーはかつて、この地域に存在していた、ヴォルガ-ブルガール王国の王族は預言者ムハンマドの子孫であったであったとし、そこでは真のイスラーム信仰が守られていたが、モンゴル帝国によって滅亡させられた際に失われてしまった。
ヴァルガ-ブルガール人の子孫であるヴォルガ-タタール人は堕落した他のタタール人とは違う、真の信仰を取り戻さなければならない、と説いた。
実際の所、ヴォルガ-タタール人がヴォルガ-ブルガール人の子孫であるかは分からないが、ヴァイソフ神軍はそれを教義の一つとしていた。
しかし、バハーによる初期のヴァイソフ神軍の活動は、ロシア帝国はシャリーアに基づく統治を行なっていないことを理由に税の支払いを拒否するなどの過激なところもあったために弾圧され、バハー自身も精神病院に入院させられてそこで命を落とした。
その子であるイナーンが1906年にヴァイソフ神軍を再興したが、イナーンは父以上に集権的な組織へとヴァイソフ神軍を組織し直した。また、ロシア帝国に表だって歯向かうのではなく、まずは自分たちのロシア帝国内での自治権獲得を目指すように方針転換を行なった。
折しも第一次世界大戦中であった事から、イナーンは積極的に戦争協力を行なうように指示を出した。
他のタタール人への配慮から実現しなかったが、ヴァイソフ神軍の信徒たちによる『ブルガール人』部隊創設を求める嘆願すら行なった。
こうした大戦中の活動が実を結んで、ヴァイソフ神軍は大戦後にはカザン県での活動を当局から公認されるまでになっていた。
しかし、ロシア帝国政府は、彼らの大戦中の活動のみを評価してその活動を公認したという訳ではなかった。
当時のヴォルガ-タタール人を含むロシア帝国内のイスラーム教徒たちの中では様々な宗教の例にもれず、保守派と改革派の2つの大きな派が存在していた。両者は多くの運動を帝国各地で組織した。ヴァイソフ神軍は堕落したイスラームの引き締めを訴えた、改革派の運動だったが、当時のロシア帝国で最も大きな影響力を持っていた改革派の運動は、クリミアで19世紀末から始まった近代的な教育とイスラームの伝統に基づく教育の融合を目指すジャディード運動だった。
ロシア帝国領内のイスラームの影響力を削ぎたかったロシア帝国政府は当初これを歓迎したが、次第にこれを敵視するようになった。その原因はタタール人移民の存在だった。
タタール人たちはロシア帝国領内では貧しく、そのため海外に出稼ぎをするものが多く、出稼ぎ先で勤勉さや誠実さが評価されたタタール人たちは稼ぎ先で移民として定住する事も多かったが、そうしたタタール人たちがネットワークを形成して汎イスラーム主義的な活動を行なうのではないかという危機感からだった。
さらに、そうした恐れを裏付けるかのような事件が起きる。著名なジャディード運動の指導者の一人であったアブデュルレシト-イブラヒムが、渡航先の大清帝国の上海にて、東亜非戦論を唱える組織の一つ、東亜同胞会に加入したのだった。日清提携を唱えるこの組織へタタール人を代表する知識人が加入した事は、ロシア帝国にとってジャディード運動を脅威として認識されるようになる理由には十分な事件だった。
ジャディード運動は大清帝国と大日本帝国と手を組み、かつてのタタールの軛の再現を目論んでいるのではないか、という疑いがジャディード運動に向けられるようになった。ベーリング海峡をはさんだ隣国であるアメリカ合衆国で日清提携論が脅威と見られたのと同じようなものだったが、ロシア人の場合にはかつてタタールの軛と呼ばれるモンゴル帝国の支配を受けていただけにより深刻に受け止められた。
そこで目を付けられたのがヴァイソフ神軍だった。
他のタタール人をモンゴル帝国によって堕落させられたものたちと呼び、自らをヴォルガ-ブルガール人の末裔と呼ぶこの風変わりな教団を使い、ジャディード運動に率いられたタタール対ロシア帝国ではなく、ヴァイソフ神軍対ジャディード運動というある種の分断統治を行なおうとしたのだった。
しかし、こうしたロシア帝国の支援によってヴァイソフ神軍の勢力はカザン県ではかなり強いものとなるのだった。




