第89話 新天地を目指して
1916年5月18日 フランス共和国 コルシカ島 アジャクシオ
「それじゃあ、"南"の方は駄目だっていうのか」
「そこまでは言いませんが…最近は"野次"が煩くなりまして」
「クソ、あそこにゃ、金の成る木になる女どもに事欠かないってのに…」
「やっぱり"北"の方が…」
「馬鹿言え、あっちにゃイタリア人、アイルランド人、ユダヤ人…とにかく商売敵に事欠かないんだ。そんな危ない橋渡ってられっかよ」
「じゃあ、いっそ"神父様"を…ってのはどうですか」
「…てめぇ、次に同じおなじこといったら…」
「す、すみません」
「とにかくだ、今、"神父様"をどうにかするのは、不味い。そんなことして誰かがへましてみろ、もしかすれば俺たちは"南"どころか、最悪この欧州からも居場所が無くなるかもしれん」
部屋の中を沈黙が支配した。ここに集まっている男たちはみな商売人だった。そのどれもが非合法なものとして知られるものだったが。
元々、彼らは地中海の対岸にあたるエジプトにて売春の元締めなどとして、その勢力を広げていた。優秀な頭に恵まれた彼らはその勢力をますます拡張させていった。
順風満帆に思われた彼らの組織の商売にケチがつき始めたのは、バルカン戦争へのイタリア参戦が原因だった。
イタリア参戦によって地中海ではフランス、イタリア両国海軍による臨検が活発化していった、双方の海軍による衝突という事件は互いに警戒しながらも両国の首脳部が回避しようと努力していたので、幸いにしてなかったが、彼らのように海を超えて非合法な商売を行なう人間にとっては間違いなく不幸な出来事だったといえる。
結局、彼らは地中海での商売を諦めて、"南"つまり南アメリカでの商売に乗り出した。
初めのうちはうまくいっていた。成功に気をよくした彼らは南米各地に商売のネットワークを広げ始めた。
だが、ここでも障害が現れた。
彼らの言う"神父様"こと、パラグアイ共和国のフアン-シンフォリアーノ-ボガリン司教率いるカトリック教会による浄化運動だった。
1863年に生まれたボガリンは翌年の1864年から1870年まで続いた三国同盟戦争によって親を失って孤児になり、叔母に引き取られたのちに聖職者の道を志した。
1894年に司教に任命されたボガリンは結婚及び離婚をカトリック教会から分離しようとするリベラル派と対決する一方で政治的、経済的に不安定なパラグアイにおいて貧困層への支援を行ない、拷問の廃止などを政府に訴え続けた。こうした運動がある程度実を結んだかに見えた1906年、第一次世界大戦が勃発した。
ボガリンは直接欧州に赴く事は無かったが、報道などで知られるその悲惨さに心を痛めていた。
中でもローマ教皇ピウス10世の呼びかけにも関わらずカトリック国であるフランス共和国とオーストリア=ハンガリー帝国が戦い続けたのはボガリンにとって衝撃だった。
既に近代科学やナショナリズムという考えが浸透し、カトリック教会の権威が薄れている事はボガリンもわかりきっていたが、それでもそこまで凄惨な状態になりながらも戦争を続けるのはボガリンにとって理解できないことだった。
やがて、このままでは、世界中の人々が幼少期の自分のような悲惨な体験を送る事になる…そう考えたボガリンは大戦終結後から、教会による一層の貧困者への支援などの地道な活動を始めるようになる。
こうした、地道な支援、社会変革活動はやがて南米各地に広がっていくようになったのだが、そうした活動の中に売春の根絶を目指す活動があった。そのため、そうしたものを資金源とする組織は少なくとも表向きには動き辛くなっていた。もちろん、ボガリンを邪魔に思う人間は多く、襲撃されたこともあったが、ボガリンは奇跡的に生きており、そのたびに彼の名声は高まり、遂には欧州にまでその名を知られるようになっていた。
「…いくら、"北"が危ないからと言って地中海も駄目、"南"も駄目、なら"北"に行くしかないだろう。俺はそう思う」
再び頭を抱えていた男たちに対して、まだ若い男がそう言った。
ポール-カルボネ。まだ若いながらも組織の中で頭角を現している男だった。カルボネは"北"つまり北アメリカへの進出を提案したのだった。
結局その日の会議では結論は出なかったが、彼ら、つまりコルシカ島を拠点とする犯罪組織ユニオン-コルスは徐々に北アメリカ、中でもアメリカ合衆国にも進出するようになり、後にそれはアメリカ合衆国そのものにも影響を与える事になる。




