第87話 リエージュ会議<上>
1916年5月10日 ベルギー王国 リエージュ 君主司教宮殿
その日、中世にリエージュ司教領の中心として栄え、第一次世界大戦では激戦地の一つとなった都市、リエージュの中心部にあるサン-ランベール広場に位置するかつてのリエージュ司教の宮殿である君主司教宮殿には列強各国の首脳たちが集まっていた。議題はバルカン戦争の講和についてだった。
ホスト国であるベルギーの国民は、この会議の行く末を慎重に見守っていた。リエージュ要塞の奮戦という貴重な教訓から、第一次世界大戦後に首相に就任したシャルル-ド-ブロークヴィルはベルギー王国全体の要塞化を進めていたが、実際は復興が優先されていたため、進捗は芳しくなかった。
そのうえ、仮想敵国であるドイツ帝国からも非公式に計画の中止を求められていた。ドイツ帝国にとってベルギーをはじめとするべネルクス3国はフランスへの最短路以上の価値しかなく、それだけにベルギーの要塞化によってその最短路という価値が失われることを恐れたのだった。
そのため、バルカン戦争が次の世界大戦に発展した場合ベルギーは国土を再び蹂躙される恐れがあり、それだけにベルギー国民はリエージュ会議の成功を願っていた。
「…なるほど、そちらの提案は理解しました。つまり、イタリア-オーストリア間の国境の戦前への復帰と住民交換、セルビア王国によるオーストリア=ハンガリー帝国へのサヴァ川及びドリナ川両岸とサンジャク地域の割譲とアルバニア地域のイタリア王国による保護国化ですか」
「はい、その通りです。また係争地域となるコンスタンティノープルとクレタ島については国際管理を提案させていただきます」
「我がイタリアは反対です。古代ローマ、ヴェネツィア共和国の歴史を考えればわかるとおり、アドリア海沿岸部には歴史的にイタリア系住民が数多く居住しておりました。それを今さら住民交換などという後付けの理屈で歴史を否定するなど…」
「しかし、現実にはそれらの歴史的居住権の為に今回のような衝突に至ったのも事実のはずです」
「…ブリアン首相」
イギリス首相ホレイショ-キッチナーの提案に対して、ドイツ参戦の責任を取って総辞職したアントニオ-サランドラに代わってイタリア王国首相に就任したパオロ-ボセッリがイタリアの歴史的な権利を主張して反対を述べた。
もちろんキッチナーの提案は唐突なものではなくイギリス外相であるセシルオブチェルウッド子爵ロバート-セシルより駐英イタリア大使であるグリエルモ-インペリアーリ侯爵に事前に伝えられていたものであり、ボセッリの態度はイタリアはただ屈したわけでは無いという姿勢を見せる為のパフォーマンスに過ぎなかったが、意外なところからの反対に思わず、反射的にその人物の名を呼んでしまった。
アリスティード-ブリアン。ボセッリの前任者サランドラと同じく、ドイツ参戦を理由に辞職したルネ-ヴィヴィアーニの後任として就任したフランス共和国の首相だった。
ドイツ参戦後にはイタリア王国に対して義勇兵を派遣するなど親イタリア的態度を隠そうともしなかったフランス首相のこの発言はボセッリにとっては衝撃だった。
(もしや、英仏はすでに何らかの合意に達しているのか?…我々にも事前に伝えられていたのだからそれ自体は不思議ではない。だが問題はその内容だ。住民交換の適用範囲がチュニジアにまで拡大されるのだとしたら…トリポリタニアの領有権が認められるか未知数な以上、最悪我々は北アフリカへの入り口であるチュニジアを失いかねない)
ボセッリは思考を続けた。だが、解決策は見いだせなかった。ふと周囲を見渡すと自分と同じように困惑の表情をうかべたオーストリア=ハンガリー帝国統一外相兼共通閣僚評議会議長であるレオポルト-ベルヒトルトと目が合った。外相でもあるがオーストリア帝国とハンガリー王国の閣僚たちをまとめる立場でもあるベルヒトルトは首相としてこの会議に出席していた。
ベルヒトルトはすぐに目をそらすとドイツ帝国首相であるゲオルク-フォン-ヘルトリングに何かを話していたが、ヘルトリングとベルヒトルトの表情を見るにベルヒトルトもまたボセッリがイギリスやフランスといった大国相手に形だけの抗議しかできないのと同様に、ドイツ帝国に対して何かを強く言える立場ではないようだった。
ボセッリもベルヒトルトも所詮は列強といえども末席に位置する国家の人間だった。その立場の惨めさについて互いにわずかな同情心すら覚えた。だが、だからと言ってそこで諦める訳にはいかなかった。不本意ながら枠は既に決められてしまった。ならば後はその中でどこまで自国の利益を確保できるかだ。
ボセッリとベルヒトルトが覚悟を決めるのは同時だった。
「…キッチナー首相、先ほどの発言の中にはオスマン帝国領の処遇について不明な点がありましたな。我がイタリアがトリポリタニアにおいて欧州文明の義務としての"文明化"の使命を全うしているというのはご列席の皆様方もご存じのはず。かの地には未だサヌーシー教団という蛮族も蔓延っています。そこで今回の会議において我がイタリアによるトリポリタニア"文明化"について各国の"同意"を得たいと思うがよろしいですかな?」
先に切り出したのはボセッリだった。オスマン帝国領トリポリタニアの制圧が未だ沿岸部しか済んでいない事から他の列強各国が介入してこないうちに正式にイタリアの勢力圏に確定させようとした。
「アフリカの蛮族の"文明化"、実に素晴らしい事ですな」
それまで、沈黙を貫いていたロシア帝国のピョートル-アルカージエヴィチ-ストルイピン首相は笑みを浮かべながら大仰な身振りを交えつつ賛意を示した。反対者は出なかった。
「……我がオーストリア=ハンガリー帝国としてはシチリア王カルロ1世以来の権利として聖地エルサレムの管理権を要求する」
ベルヒトルトによる突然の問題発言に出席した各国首脳は驚愕した。
オーストリア=ハンガリー帝国を治めるハプスブルグ=ロートリンゲン家にはアンジュー朝シチリア王国のカルロ1世が請求してローマ教皇に認められて以降アンジュー家の一族からロレーヌ公爵家に受け継がれたエルサレム王の称号がフランツ-シュテファンとマリア-テレジアの婚姻を通して伝わっていた。
十字軍など遠い昔となり果てた20世紀に、古の王号が復活しようとしていた。




