第85話 無政府主義者と待ち人
1916年3月28日 アメリカ合衆国 アリゾナ州 ダグラス
メキシコとアメリカの国境地帯にあるこの町には多くのメキシコ人が暮らしていた。
彼らメキシコ人の多くは反体制派であり、いつ終わるとも知れぬ内戦が続く祖国の現状を憂いていた。
そんな反体制派の中でもその名を広く知られた男がいた。シプリアーノ-リカルド-フロレス-マゴン。メキシコ初の左翼政党メキシコ自由党を創設した人物であり、兄弟たちと共にゲリラ戦で政権に抵抗していた無政府主義者だった。
「ふむ、まだ来ないのか」
マゴンは退屈そうに窓の外を見てからため息をついた。そうしてから待ち人の写真を見た。自分たちメキシコ人ともアメリカに多くいるアングロサクソン系とも違うスラヴ人の男が映っていた。
メキシコ内戦勃発当初は、民衆から多くの支持を得ている革命派が勝利すると思われていたが、その革命派は内部に問題を抱えていた。
革命派にはいくつかの勢力があった。まずベルナルド-ドロテオ-レイエス-オガソン元国防相率いるハリスコ州を拠点とした勢力であり、元軍人のレイエスが率いているだけあって練度も高く、地元からの指示も強かった。当初は都市部の中産階級だけだったがレイエスの支持者であったベヌスティアーノ-カランサ-ガルサの提言により農地改革が行われたことにより、その支持は貧困層にまで広がっていた。もちろん、地主層は反発したが3万人の私兵を擁するレイエスに表立って逆らうものはいなかった。
次に暗殺されたメキシコの反体制指導者フランシスコ-マデロの後継者とされたアブラハム-ゴンザレス-カサヴァンテス率いる自由主義者だった。チワワ州を拠点として活動しており、当初から体制に反抗し続けているという正統性の面からすれば、最も強い派閥であると言えたが、残念な事に実力が伴っていなかった。これまで彼らが政府軍の抵抗に耐え続けられてきたのはアルバロ-オブレゴン-サリード将軍の指揮やパンチョ-ビリャことホセ-ドロテオ-アランゴ-アランブラによるゲリラ戦によるところが大きかったが、この二人の間では作戦方針などを巡り対立があり、連携が取れているとは言えなかった。
南部では他とは異なる勢力が中心となって反体制派の活動を行なっていた。エミリアーノ-サパタ-サラサールを中心としたインディオの権利と土地分配を重視するマゴンたちと同じ無政府主義者だった。
サパタはマゴンに強い影響を受けていたが、無政府主義者という異端的な考えである事から体制派のみならず自由主義者などの反体制派からも敵視されており、勢力としては小さいものだった。
メキシコ内戦の反体制派はこのように複雑な状況にある事もあってなかなか政府軍を打ち破るには至らなかった。
このような中でマゴンはただ闇雲に挑んでも他の革命勢力同様に打ち破られるだけだと判断し、最悪は内戦終結後の他の勢力との新たな戦いを見越して新たな人員を募っていた。
人員と共に必要となる武器弾薬についてはマゴンの支持者であるパスクアル-オロスコ-ヴァスケスが少しづつ集めていたが人についてはそう簡単に集まらなかった。
インド生まれのウェールズ人でマゴンの支持者であるキャロル-アプ-リス-プライスがアメリカで人を集めていた。中世ウェールズの反乱者でウェールズ人最後のプリンスオブウェールズとして知られるオワイン-グリンドゥールの子孫であり、ハリウッドで俳優としても活動しているプライスはマゴンと違ってアメリカ国内ではある程度自由に動く事ができた。
そんなプライスがウクライナ系コミュニティの多いロサンゼルスで見つけてきたのがネストル-イヴァーノヴィチ-マフノという男だった。1888年にロシア帝国領ウクライナの貧しい家庭に生まれたマフノはやがて無政府主義に傾倒し始めたが、第一次世界大戦の勃発とともに逮捕され収監された。
しかし、銀行強盗以外には特に目立った活動をしていなかった為、シベリアに送られ、そこから脱獄したマフノはウラジオストクのウクライナ人コミュニティに隠れ住んでいたが、やがて身の危険を感じてアメリカへと渡っていた。
マゴンが考えに沈んでいると自動車がやってくるのが見えた。運転しているのはプライスだった。同乗者もいるらしい。マゴンは喜びを抑える事が出来なかった。
この日マゴンはマフノという名の最強の切り札を手に入れたのだった。




