第84話 ミルウォーキー論争
1916年3月29日 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州 ミルウォーキー
「なるほどね、ジャック、君は次の選挙で社会党の綱領にアジア人労働者の排除という条項を入れろと言うんだね?……馬鹿も休み休み言ってくれないか、それではルーズベルトが結成を予定していると噂の新党と変わらないじゃないか、我々は特定の人種問題ではなく労働者全体の未来について考えるべきであって…」
「その労働者の未来がアジア人によって侵されているんだ。連中は我々と違って労働組合も組織しないで蟻のようにひたすらに働いている。そして資本家どもはこれ幸いと我々を隅に追いやって大っぴらにアジア人を雇い入れている。我がアメリカは近い将来醜く肥え太った豚の下で無数の働き蟻が蠢くようになっているだろう。そこに我々人間の居場所はない」
「ジャック、君の言う人間の定義は随分と狭いのだな。まるでアジア人が人間ではないかのような言い草だ」
「彼らが人間であったとしても我々、つまり白人には劣るよ」
「……なあ、ジャック、今年に入っていくつかの州で移民の就労制限が提案されてるじゃないか、このままいけば君の危惧するような未来は訪れないだろうよ。寧ろこうして人種間の憎悪を煽ることこそが資本家たちの狙いだろう。そうすれば労働者の団結を阻止できるからね。だからこそ我々は一丸となって…」
「だめだユージーン。彼らは排除されるべき存在だ」
アメリカ社会党の指導者の一人ユージーン-ヴィクター-デブスの説得にもかかわらず、著名な作家としても知られるアメリカ社会党員ジャック-ロンドンは折れなかった。
マルクスの思想に共鳴し、アメリカ社会党に入党したロンドンだったが、ロンドンには白人至上主義者としての一面もあった。
その一面は、第一次世界大戦の際に『サンフランシスコ-エグザミナー』紙の記者としてドイツ軍側に従軍していた事によりさらに強固なものになった。
第一次世界大戦において、ドイツ帝国は中央同盟国の盟主として戦っていた。当初は大日本帝国など歯牙にもかけなかったドイツ帝国だったが、大日本帝国の欧州派遣軍によって多くの損害出るようになると、日本を貶める事を目的にしたプロパガンダを流布するようになる。
もっとも、連合国であったフランス、オランダ、ベルギー、などではそれに対抗するかのように日本に対し好意的ではあるが、勘違いや間違いを含んだプロパガンダが流布され、これが後の第一次世界大戦後の第二次ジャポニズムに繋がる事になったのだが。
ともかく、ロンドンはドイツ側のプロパガンダと戦場で実際に日本人が白人であるドイツ兵を打ち倒す姿を見たことによって、アジア人、ことに日本人を殊更に蔑視するようになっていた。
度重なるロンドンの主張に辟易したデブスは同じくアメリカ社会党の指導者の一人であるヴィクター-ルイトポルト-バーガーに目で助けを求めたがバーガーは黙っているだけだった。
そういえば、バーガーは科学的人種主義の信奉者だったな、とデブスは思い出し、助けを求めたのは間違いだったと考え直した。
結局、この日の議論ではロンドンとデブスの溝は埋まる事は無く、このアジア人の排除を巡る議論、所謂『ミルウォーキー論争』によって社会党内部でもそれまで支部によって対処が異なっていた人種問題に火が付く事になる。
1916年の大統領選挙を目前にして、民主党、共和党に続き社会党もまた大きな混乱に見舞われる事になったのだった。




