第70話 皇帝の死
1915年10月1日 オスマン帝国 イスタンブル
その日、オスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世は上機嫌でパレードを行なっていた。
一時は絶望的思われていた戦争もドイツの参戦ですべてが変わると思われていた。
反逆者であるアラブ人は未だに抵抗を続けているが、恐らくこのままいけば壊滅させる事は容易いだろう。もともとメッカとメディナさえ治められればそれでいいのだから。
トリポリタニアではサヌーシー教団がイタリア軍相手に抵抗を続けている。それ自体は悪い事でもないが、あまりに強大になっても困る、ふむ、一体どうしたものか…
しかし、アブデュルハミト2世の思考はそこで強制的に中断される事になる。
アブデュルハミト2世がこの世で最後に見たのは自身に向かって拳銃を構える男の姿だった。
男はその後すぐに自決した為、詳細や背後関係は分からなかったが、使用された拳銃はロシア帝国のトゥーラ造兵廠でコピーされたスミス&ウェッソンNo.3リボルバーであり、居住していたと思われる住宅を調べたところアルメニア革命連盟に所属するアルメニア人ということがわかった。
アルメニア人がロシア製の拳銃を使ってアブデュルハミト2世を殺害した、という事実にオスマン帝国国内では反アルメニア感情に加えて、反ロシア感情も一段と高まっていった。
これに対してロシア帝国側は否定を繰り返した。それどころかロシア帝国外相サザーノフは明らかにオスマン帝国側を侮蔑する言動を繰り返した。
オスマン帝国の側では第一次世界大戦の戦勝国であるドイツ帝国が参戦した今、敗戦国であるロシア帝国と戦っても負けるはずがないという、ドイツ頼みの対露開戦論が浮上し始めた。
汎テュルク主義の思想家ユースフ-アクチュラが中心となって、ロシア帝国内のテュルク系諸民族解放のためにもロシア帝国に対して宣戦を布告すべきだという主張を行ない始めた。
ロシアの側でも詩人のディミトリー-セルギェーヴィッチ-メレシュコフスキーが中心となり、対オスマン帝国批判を行なった。
しかし、オスマン帝国から頼られた側のドイツ帝国からすれば迷惑以外の何物でもなかった。何しろ現在のドイツ帝国の内実はトルコ人たちが思っている以上に複雑だからだ。そのため、曖昧で消極的な発言を繰り返す事になってしまった。
また、同時に対露開戦に備えるべく、国境地帯の軍備増強も同時に行なわれる事となった。
一方で、そうしたオスマン帝国情勢を注視している国があった。国内で反オスマン帝国感情が高まっているイギリスとオスマン帝国国内に石油利権を持つアメリカ合衆国だった。
イギリスでは、アルメニア人やアッシリア人の虐殺を行なったアブデュルハミト2世が死亡した事で長期的に見れば、何かが変わるのではないかという期待があった反面、短期的に見れば暗殺を行なった犯人がアルメニア人である以上彼らへの更なる虐殺が行われる事もあり得るのではないか、と思われており、キプロスへの艦隊派遣が行われる事になる。
アメリカの場合はもう少し複雑だった。
分裂傾向にあった共和党内部と、それに1912年の大統領選挙の敗北後、新たな指導者となったチャンプ-クラークの手ではまとめきれなかった民主党内部でそれぞれ、アメリカの勢力圏維持のために反キリスト教的なオスマン帝国を支持するのか、それともキリスト教徒を助ける為にどのような形であれ、介入するべきなのか、という意見対立が生じてしまったからだった。
そもそも、仮に介入する場合、ヨーロッパにあまりにも近すぎるオスマン帝国への介入はモンロー主義に反する事になるのではないかという意見もあった。
アブデュルハミト2世の暗殺を切っ掛けに始まった混沌は終わる気配を見せなかった。
1915年10月1日 オスマン帝国 イスケンデルン
アレクサンドレッタの名前でも有名なこの港湾都市には多くの外国人が居住していた。
その中にアムレット-ベスパという一人のメキシコ国籍の男がいた。
彼は国籍こそメキシコだが元々はイタリア人だった。1910年にメキシコへと渡った際にメキシコ国籍を取得し、革命活動が活発化すると革命軍に身を投じたが、捕縛されたのちに脱走し、イタリアに一度帰郷した後、イタリアのバルカン戦争への参戦と共に対オスマン帝国の諜報活動を行なうイタリアの諜報員として、メキシコ国籍のままオスマン帝国での情報収集活動を行なっていた。
オスマン帝国にもそこそこ怪しまれるようになってきたと感じ始めた、ある日、アブデュルハミト2世の暗殺指令が届いた。アブデュルハミト2世を暗殺してオスマン帝国を混乱せしめるようにとの事だった。
ベスパは英領キプロスにてアルメニア革命連盟の構成員を名乗る男と入念な注意を払いつつ接触した。
それから暫くは不安な日々が続いたが、遂に彼は任務を遂行したのだった。しかし、彼は諜報員らしくその事に関して誰にも話す事は無かったという。
ちなみに後世の調査によるとイタリア諜報部はアブデュルハミト2世の暗殺命令を出していないことが判明している。




