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第64話 イタリア参戦

1915年6月2日、イタリア王国はオーストリア=ハンガリー帝国に対して、先制的自衛権の行使を理由に宣戦布告し、さらにオーストリア=ハンガリー帝国と共に戦っていたオスマン帝国とブルガリア王国にも宣戦を布告した。

国境沿いのオーストリア=ハンガリー帝国軍の増強がイタリア王国にとって重大な脅威となっている事をイタリア側は繰り返し主張したが、国際社会は単にイタリアの国土回復主義(イレデンティズム)の暴発だと見抜いていた。

オーストリア=ハンガリーはドイツ帝国に対してすぐにでも同盟国として参戦する事を求めたが、ドイツ帝国の動きは鈍かった。

第一次世界大戦の苦い記憶からドイツ国民は戦争そのものに対して強い忌避感を持っていた。さらにいえば、オーストリア=ハンガリー帝国と同じくハプスブルグ家が治めるポーランド王国において発生しているテロ活動において、オーストリア系官僚が多数を占めるポーランド王国政府が後手に回り続けた挙句、遂にドイツ軍の介入を招いたこともオーストリア=ハンガリー帝国に対する不信感を募らせていた。

弱体で自分の領土すらまともに統治できないにもかかわらず、大国としての意識は強く持ち続けるがゆえに四方八方に喧嘩を売り過ぎた、というのが多くのドイツ国民のオーストリア=ハンガリーへの見解だった。


経済界からの受けもよくなかった。

ドイツ帝国の多くの企業は第一次世界大戦後に獲得した権益に投資する事で利益を得ており、すでに軍需から民需への転換を完璧に終えた後だった。

既に中東とバルカンにおいて発生した戦乱によって少なからぬ数の企業が影響を受けているというのに、これ以上の損失は望むものではなかった。


一方で乗り気だったのが、オーストリア=ハンガリー帝国を先の大戦を共に戦い抜いた同盟国として、親オーストリア=ハンガリー帝国感情の強かったドイツ帝国軍と歴史的にオーストリア=ハンガリー帝国とつながりの深いドイツ帝国南部の領邦だった。


こうしてドイツ帝国内での対立は軍民、及び南北の対立へと変化してしまう。軸となるべき皇帝(カイザー)ヴィルヘルム2世は7月危機の時同様に何の動きも見せようとしなかった。

このような混迷するドイツ国内情勢において、ドイツ国内では社会主義勢力の活動が一段と活発になっていくのだった。


一方、宣戦布告をしたイタリア軍は順調に進撃していた。

オスマン帝国領トリポリタニアのトリポリにはイタリア軍が上陸し、元々僅かな兵力しか駐屯していなかったトリポリタニア沿岸部のオスマン帝国軍は直ぐに降伏し、内陸部でイスラーム神秘主義教団であるサーヌーシー教団がゲリラ戦を繰り広げていたが、この時はそれもすぐに鎮圧されるだろう、と考えられていた。


ヨーロッパの方に目を戻すと当初、イゾンツォ川を利用した防衛陣地を構築したオーストリア=ハンガリー軍に対してイタリア軍は苦戦するものと考えられていた。

しかし、イタリア軍はこれを難なく突破して見せた。勝因はイタリア軍の総参謀長ルイージ-カドルナによる兵站管理だった。

カドルナは兵站を重視し、特に燃料と弾薬の備蓄を徹底させていた。そのため、イタリア軍は絶えず偵察機を飛ばす事でオーストリア=ハンガリー軍の動向を把握できていた。

また、歩兵部隊も観光都市として知られるローマをはじめとするイタリア中からタクシーをかき集めて、輸送した。それでも輸送しきれない分は自転車を使わせた。

イタリア軍の侵攻を予想して鉄道破壊の準備を進めていたオーストリア=ハンガリー軍だったが、カドルナはそれを読んでおり、一手先を考えていたのだった。

更にイタリア軍はデ-ステファーノ砲架という特殊な砲架、というより台車を使いアームストロング社製の305mm17口径沿岸砲やアンサルド社製210mm臼砲などをトラクターで牽引して戦場に投入した。

こうして、兵站と情報収集能力、機動力、質、量いずれも勝るイタリア軍はゴリツィア要塞を攻略して見せたのだった。


この知らせに、オーストリア=ハンガリー軍、オスマン帝国、ブルガリア王国は衝撃を受け、セルビア王国とギリシア王国は歓喜した。


海でもオーストリア=ハンガリー帝国は敗北した。ゴリツィア陥落の少し前、普墺戦争の時と同じくリッサ島を砲撃してきたイタリア王立海軍(レッジャ-マリーナ)に対し、オーストリア=ハンガリー帝国海軍はポーラから出撃して迎撃を試みたが、逆にイタリアの新戦艦に遭遇して返り討ちにあう有様だった。

第二次リッサ海戦はイタリア王立海軍(レッジャ-マリーナ)の勝利に終わり、彼らは49年前の雪辱を晴らしたのだった。


その立役者となった新戦艦こそ、コンテ-ディ-カブールだった。

コンテ-ディ-カブールは当初はダンテ-アリギエーリの設計を発展させた12インチ砲13門を備える艦として完成する予定だった。

だが、イタリアとは何のかかわりもないはずの南米情勢とその影響を受けた極東情勢の変化でその案は幻となった。切っ掛けはアメリカの圧力を受けたブラジルがアルゼンチンに対してミナス-ジェイラス級を売却した事で宙に浮いたリバダビア級を清国海軍が購入した事だった。

これにより清国海軍に売り込みをかけていたイギリスのヴィッカース社の提案は却下されてしまった。ライバルのアームストロング社はリバダビア級に対抗するための扶桑型の建造に携わる事でそれなりに利益を得ていたが、ヴィッカース社としてはまずかった。

彼らはダンテ-アリギエーリを超える次期戦艦を欲していたイタリア王立海軍(レッジャ-マリーナ)に目を付けた。


ヴィッカース社による様々な手段による"売り込み"が功を奏し、コンテ-ディ-カブールは14インチ砲連装四基八門の戦艦として手直しされた。


その優美な姿と戦闘力からルネサンス期の女傑カテリーナ-スフォルツァがイタリアの女傑(ヴィラゴ-ディタリア)と呼ばれたことにちなみ、アドリア海の(ヴィラゴ-ディ-)女傑(アドリアティコ)と称された。


こうして、イタリア軍は陸海共にオーストリア=ハンガリー軍に大打撃を与える事に成功した。

そして、それはオーストリア=ハンガリー帝国各地の被支配民族に動揺を与えるものだった。

当世界でのコンテ-ディ-カブール級はイタリアンな金剛型といった感じです…文字だとイメージを伝えるのが難しいですが絵も描けないしなぁ

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