第63話 ミラノの別れとナポリの出会い
長らく投稿が遅れてしまい誠に申し訳ありませんでした。
1915年 5月21日 イタリア王国 ミラノ
「ふむ、ではどうしてもイタリア国籍を取るつもりはないと」
「はい、私はこの国の文化、自然、そして何よりも先生のような才能あふれる芸術家が大好きです。しかし、それでも私はドイツ人です。イタリア人になるつもりはありません」
ミラノのアトリエで二人の男が口論をしていた。
いや、口論と言うには穏やかだった。アトリエの主であるイタリア未来派の巨匠フィリッポ-トンマーゾ-マリネッティが弟子であるアドルフ-ヒトラーにイタリア国籍を取るようにすすめたところ、ヒトラーがつい声を荒げてしまったのだった。
マリネッティがイタリア国籍取得をすすめたのには訳があり、恐らく数週間のうちにイタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国が開戦をすると言われていたからだ。
マリネッティは弟子であるヒトラーにこれまでも何度なくイタリア人になるように説得を続けてきた。ドイツ帝国に居住しながらも、オーストリア生まれでオーストリア国籍のままだったヒトラーは、開戦後には敵国人となってしまうからだ。
もちろんヒトラーもそうしたことは分かっており、強烈なドイツ民族主義者だったヒトラーはこれを機にドイツ帝国に対して正式な帰化を申請していたが未だにドイツ帝国側からは何の返事も無かった。
そもそもドイツ帝国自体イタリア系住民を弾圧しているとされたオーストリア=ハンガリー帝国を支援している国としてイタリア国内の国家主義者によって攻撃されている現状では、仮にドイツ国籍を取得していたとしても何の意味も無かったかもしれなかったが。
その為、マリネッティはこれが最後の機会だと前置きした上で、ヒトラーにイタリア国籍の取得をすすめたのだった。もちろんヒトラーの答えは否だった。
「そうか…ではせめて国外に行きたまえ」
「国外…ドイツですか」
「いや、もし、オーストリア=ハンガリーと我が国が開戦した場合、間違いなくドイツも動くだろう。そうなると直前までイタリアにいた君もそれを住まわせていた私もまずいことになるかもしれない。…まあ、私の場合愛国者としてそれなりに名は通っているし、国内の友人も多いから何とかなりそうだがね。君にはなにかそういった当てはあるのかね?」
「いえ…残念ながら」
「そうか、では、取りあえず未来派の同志の多いフランス当たりに…」
「いやです」
「即答か…まあ、君の事だからそういうとは思っていたがね。では、イギリスだな。あの国は保守的なようであたらしい芸術を求めてもいる。きっと君を受け入れてくれるだろう」
「ありがとうございます。先生」
「……全く、勝手なものだよ。いきなり押しかけてきて弟子にしてくれと言い始めたと思ったら、別れの時にまでわがままを言う…まあ、そんな我儘も聞き納めかも知れないがな。では幸運を」
「ええ、先生も」
こうして師匠であるマリネッティと別れたヒトラーはイギリスへと向かう事になる。
1915年 5月21日 イタリア王国 ナポリ
ヒトラーがマリネッティと別れていたころ、ナポリでは一人の東洋人と白人…いや、一人の酔っ払いとほろ酔いの男が歩いていた。
「大体、政府は何故行動を起こさないんだ。イタリア語を話す住人のいる土地はみんなイタリアの領土であるべきだ」
「そうだ、そうだぁ~イタリア万歳ぃ、イストリアもチロルもサヴォワもニースもみんなイタリアのもんだぁ。ハハハハハ」
「……ハルキチ、飲ませた私が言うのもなんだが大丈夫かね?足取りが酔ってる私からしてもひどくおぼつかないものに見えるのだが」
「ダイジョブですよぉ、ダンヌンツィオ先生ィ」
「いや…どう見ても今の君は…まあ、何を言っても無駄か」
本名をガエターノ-ラパネッタという詩、小説、劇と幅広い範囲で活躍するイタリアを代表する作家にして愛国者、ガブリエーレ-ダンヌンツィオは大日本帝国から来た客人の醜態を見てため息をついた。
醜態をさらしていたハルキチこと下位春吉はイタリア王国ナポリにあるイタリア国立東洋学院で日本語科教授として働く日本人だった。もともと神曲の作者として有名なダンテ-アリギエーリの研究のためにイタリアへと渡っていたが、そこで乞われて今年から日本語教師として働く事になったのだ。
オーストリア=ハンガリーとの開戦を訴えるべく、イタリア各地を行脚していたダンヌンツィオと出会ったのは偶然だったが、第一次世界大戦後に大戦中の遣欧軍の活躍によって再燃しつつあったジャポニズムにより、日本に対して文化的な興味を持っていたダンヌンツィオとはすぐに友人となり、食事に誘われてシチリアワインを調子に乗って飲みまくった結果がこれだった。
ともあれ、このナポリでの出会いによって下位とダンヌンツィオは良き友人となる事となった。




