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第61話 ウィーンの討議

1915年 5月7日 オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン

イタリア王国から提示された条件を巡りオーストリア=ハンガリー帝国政府は大きく揺れていた。


「えー、以上がイタリア政府より提示された条件であります。私としてはこの条件を飲む事を提案いたします」

「ふむ、なるほど。セルビア並びにアルバニア、モンテネグロの併合を認める代わりにイストリア半島の割譲とオスマン帝国への宣戦布告、と」

「イストリア半島を割譲すれば、帝国海軍はトリエステやフィウメ港を失う事になる」

「だが、代わりにバール港やドゥラス港を手に入れる事ができる」

「その整備にどれぐらいの資金と時間が必要かお分かりなのか?」

「しかし、今、イタリアと戦えば我々は間違いなく敗北する。セルビアが思った以上に粘っているせいで我々には余裕が無い」

「それは…そうですが」


レオポルト-ベルヒトルト統一外相兼共通閣僚評議会議長がイタリア政府からの提案を飲む事を提案すると、多少の反対意見は出たが、現状のオーストリア=ハンガリー帝国には余裕がないと誰もが分かっていたため、その提案を飲む事で意見が一致しようとしていた。反対意見が出たのはその時だった。


「失礼だが、ベルヒトルト共通閣僚評議会議長、私がローマのカジェタン-メレイ駐イタリア大使から聞いた話とはずいぶんと違うように感じるが」


反対者はイシュトヴァーン-ティサ。オーストリア=ハンガリー帝国を構成するハンガリー王国の首相だった。

オーストリア=ハンガリー帝国はオーストリアとハンガリーが独自の政府を持っており、それぞれの政府の首相と、皇帝によって選任される統一財務相、統一国防相、統一外相で構成される共通閣僚評議会が、対外的な意味でのオーストリア=ハンガリー帝国政府にあたるという、少々複雑な国家だった。

メレイ駐イタリア大使はハンガリー出身で、それだけにハンガリー首相であるティサとも親交があり、自らが得た情報をティサに送っていた。


「ほ、ほう、では貴方はどのような話を聞いたのですかな?」

「私が聞いた話によれば、イタリア王国政府は大公殿下暗殺の首謀者の処罰とセルビア王国への賠償金を課す事と引き換えの戦前の国境への復帰、並びにイタリアによるオスマン帝国領アルバニアとトリポリタニア、アレクサンドレッタの領有に関して、我が国が支持を表明する事、イタリア系住民の居住する領土において高度な自治を認める事を求めてきたようですが」

「バカな。それは恐らくイタリア政府が交渉を有利に進めるための圧力として、出鱈目な提案をしているに過ぎない」

「ええ、恐らくはイタリアによる見え透いた離間策でしょうな。しかし…一体どちらが正しいのですかな?」

「当然、共通外相たる私が聞いた提案が正しいに決まっております。そもそもティサ首相、貴方は私に何の断りもなく越権行為を働いたのですぞ。そのことに対する自覚は無いのですかな?」

「越権行為などとそのような事を軽はずみで口にしないほうがよろしいですぞ。私はただ自らの知り得た情報をお伝えしているだけであって、外交とされる行為は何一つとして行なっていないのですからな。ちなみに先ほどの話はジェノヴァ公よりお聞きしたとか」


ティサがベルヒトルトの聞いた話とは全く逆のことを言うと、ベルヒトルトは自らの正しさを主張したが、ジェノヴァ公の名を聞いて黙り込んだ。

ジェノヴァ公トンマーゾ-アルベルトはイタリア統一を成し遂げたヴィットーリオ-エマヌエーレ2世の弟フェルディナンド-アルベルトの息子で、現在のイタリア王室の中では長老とも言える立場にあり、それだけにその言葉には重みがあった。

イタリアは立憲君主制の国ではあるが、国王に強大な権力を振るわせる余地があり、現国王ヴィットーリオ-エマヌエーレ3世の強権的な志向もあり、イタリア政府の決定を覆してオーストリア=ハンガリーの飲めないような条件を提示してくる可能性も無いとは言えなかった。


「ティサ首相…それは本当に正確な情報なのですかな?」

「どういう意味ですかな?」

「貴方は常々セルビアをはじめとするバルカン半島での領土拡大には反対の御立場だったではないですか」

「それとこれとは話が別ですよ」


ベルヒトルトの言った通り、ティサはバルカン半島での領土拡大には反対の立場だった。ボヘミア、クロアチアなどの自治の要求によってマジャール人が多数を占めるハンガリーの帝国内での地位低下を恐れていたティサとってこれ以上帝国内にスラブ系民族を増やすなど悪夢でしかないからだ。

しかし、ティサはベルヒトルトの言葉をあっさり流した。


「では、取りあえずはイタリアと交渉しつつ、臨戦態勢を整えておくというのはどうでしょうか」

「…バウアー首相」

「確かに現状ではそれ以外の動きは出来ませんからな…ですがそれはイタリアを刺激する事になりませんかな?」

「イタリアとてすぐには動けますまい。既に戦時体制の構築が終わっている我々の方が多少は有利の筈です」


ティサ、ベルヒトルトの口論に水を差したのはオットー-バウアー、オーストリア帝国首相だった。

平民出身で社会主義者の彼はこの共通閣僚評議会の中では浮いた存在だったが、結局、バウアーの提案以上に良い案などあるはずもなく、オーストリア=ハンガリー帝国は和戦両様の構えでイタリアとの再交渉を行なう事となる。だが、イタリア側もオーストリア=ハンガリーとの交渉期間を無為に過ごしていたわけでは無かった。



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