第60話 ベルリンの酒場にて
1915年5月1日 ドイツ帝国 プロイセン王国 ベルリン
そこはベルリンの中でも目立たない酒場だった。その中には男女問わず多くの人がいたが、店の隅に、首や腕に目立たないように赤い布を巻いた一団がいた。
「では、レーニンの死亡は間違いないと」
「ええ、同志ルクセンブルク。遺体が見つかっていないために行方不明扱いですが恐らくは…」
「…そう」
「そう暗い顔をするなローザ。今まではボリシェヴィキの連中に主導権を握られていたが、ようやくこれで我々が優位に立てる」
「バカなこと言わないでよ。カール。同志が死んだのよ」
「…いずれにせよ、我々が考えるべきなのはこれからのことだよ」
レーニンがモスクワで行方不明の一報を聞いて、ローザ-ルクセンブルグが暗い顔をした横でカール-リープクネヒトが露骨に喜ぶと、ルクセンブルクがそれを窘め、バツの悪いリープクネヒトは露骨に話をそらした。
2人は第一次世界大戦に断固として反対した事で知られる社会主義者だった。そのため戦中には収監されたが、近年再び活動を再開させていた。
「もしも、実行に移すとしたら今はまずいわ。恐らく私たちだけで蜂起したとしても労働者たちはついてこない」
「すでに軍内にも細胞を忍ばせていると聞いているが」
「それでも限界はあるわ。やっぱり帝国全土をひっくり返すような事件が起きないと…」
「帝国全土で皇帝に対する不満は渦巻いている。それでもだめなのか?」
「少し不満が渦巻いたくらいだと、直ぐに鎮圧されるのがオチよ」
「…あまり言いたくはないが七月危機が戦争に至ってくれればな…」
「正気で言ってるの?それで得するのは資本家だけよ。労働者たちじゃない」
「だが、各国で戦乱が起こればその不満を利用して、対外戦争を圧政に対する内乱へと転化することだって出来る」
「…いずれにしても全ては慎重にゆっくりと進めなくては…」
ドイツ帝国において社会主義革命をどのようにして起こすのか、それが彼らの課題だった。第一次世界大戦においてドイツ帝国は敗北を免れ、それどころか東方に大幅に領土を拡張した。しかし、その内実は第一次世界大戦の疲弊を未だに引き摺っており、もう一度、第一次世界大戦のような戦争が起こればドイツ帝国は耐えきれないと言われていた。かと言って今のところ問題らしい問題がおこらないのも事実であり、このままではズルズルと時間だけが過ぎていき革命の好機を失うことにもつながりかねなかった。
「失礼、"御相席"よろしいですかな?」
酒場のマスターがそう声をかけてくる。マスターは同志の筈だ。という事は新たな同志が来たのだろうか一体誰が来たのだろうか?
ふと見ると、2人の男がいた。一人は一般的な労働者階級の格好をした男、もう一人は同様の格好の髭を生やした男だったがどこか違和感があった。
「お久しぶりです。同志ルクセンブルク」
いきなり話しかけられてルクセンブルクは戸惑ったが、直ぐにその正体を思い出した。
「…レオ?」
「ええ、そうです。何年ぶりでしょうか」
ローザ-ルクセンブルクとレオ-ヨギヘス、2人はかつてポーランド-リトアニア王国社会民主党というかつてのポーランド-リトアニア王国の領域で革命を目指すマルクス主義政党に参加しており、その時には愛人関係でもあった。
「うれしい。てっきりポーランドに戻ったものとばかり…」
「今のポーランドはハプスブルグ家のもとでドイツ人の資本家に支配されている。あんなのは真のポーランド人民の国家じゃない」
会合などそっちのけで惚気始める2人を見てリープクネヒトが咳払いをした。
「…2人ともいいかね?それで後ろの方は?」
「ああ、そうだった。この人は」
「自分の名ぐらい自分で名乗る。私はドイツ帝国陸軍中佐エーリッヒ-ルーデンドルフ」
そういって髭の男はそれを証明するかの如く、軍人らしく実に見事に踵を鳴らして見せた。
エーリッヒ-ルーデンドルフ。彼は元々裕福な家庭の生まれであり、そうした事もあって社会主義思想を嫌悪していた。だが、第一次世界大戦によってすべてが変わってしまう。
それまでの想像とは全く違う夥しい数の砲弾、銃弾が飛び交い、祖国のために身をささげた兵士たちが次々と繰り出される新兵器によって倒れていく…それでも、ルーデンドルフは軍人として祖国への奉仕を躊躇ったことなど一度も無かった。
だが、祖国であるドイツ帝国は、あと一撃、最後の一撃を敵に対して行う前に『講和』などという愚劣な手段を持って戦争を終わらせてしまった。あと一年戦っていればドイツは確固たる勝利の末に戦争を終えられたというのに。
ルーデンドルフはそのような主張を続けたが、煙たがられてポーランドへと左遷された。
左遷されたルーデンドルフはそこで新たな国家体制の構想を始める。次なる戦争を遂行し、打ち勝つための、ただそれだけのための機械のような国家構想を。研究のためには社会主義関連の本も読み漁った。そんなルーデンドルフを見たドイツ軍内の"細胞"の一人がルーデンドルフとヨギヘスを引き合わせた。
こうしてルーデンドルフは理想の国家、いや、理想の戦争機械を作り出すために、社会主義者と手を組んだのだった。そこにはかつてのドイツ帝国を守るという信念などかけらも無かった。あるのはただ自らが生み出した、手段と目的が逆転したとしか言いようのない歪な国家理論に支配された男の姿だった。




