第43話 アラブの反乱
1914年3月4日 イギリス保護領 クウェート首長国
「エル-オレンス、ここにいたのか」
「首長」
「いよいよ明日だが、ちゃんとやれるんだろうな」
「ええ、勿論です。その代り、きちんと約束は果たしてもらいますよ」
「ああ、わかっている」
クウェート首長ムバーラク-ビン-サバーハ-アル-サバーハの問いに答えたのはまだ若い男だった。
トーマス-エドワード-ロレンス。この男こそイギリスが中東を取り戻すために送り込んだ人間の一人だった。彼は明日、アラビア半島最強のワッハーブ派、その指導者を暗殺しに出かけるのだ。
イギリスの立てた計画はこうだった。クウェート周辺を拠点に周辺の首長たちの取り込み、破壊活動を行ないアメリカ、ドイツ資本の進出が進みつつあるオスマン帝国とガージャール朝ペルシアに揺さぶり掛ける。
もしもアメリカ、ドイツ両国に泣きついた時はイギリスの持つ地中海とペルシア湾の利権の保護を名目に介入する、両国が反対したとしても現状中東で最大の軍事力を持つのがイギリスである以上容易に反対はできないはずだった。
しかし、二つ返事で了承すると見られていたムバーラクは拠点化の見返りとして幾つか注文をつけた。1つはかつて自身が暗殺した兄ムハンマド-ビン-サバーハ-アル-サバーハの一族を英領インドに追放後に密かに殺害する事、もう1つはアブドゥルアズィーズ-イブン-サウードの排除だった。ワッハーブ派の指導者であるアブドゥルアズィーズはかつてクウェートで客将となっていた時期もあったが、クウェートから故郷ナジュドに帰還するとわずか40人の手勢でリヤドを攻略し、ナジュドおよびハッサ王国を建国するなど非凡な才能を持つアブドゥルアズィーズに対しムバーラクは警戒感を持つようになっていた。
そのため、ムバーラクはアブドゥルアズィーズを排除する事で自らの一族による統治をより安定化したものにしようと考えていたのであった。
こうした要求に対し作戦を立案していたイギリス外務省情報部では『ムバーラクは余りにも傲慢なのではないか』との声が上がり、ムバーラクの思惑とは逆にムバーラクを廃位し2人いた息子のどちらかを傀儡として立てる計画まで作られたが、結局はムバーラクの要求を呑む事とし、ロレンスがアブドゥルアズィーズを暗殺に出向く事となった。
しかし、イギリスが中東に送り込んでいたのはロレンス一人ではなかった。
1914年3月4日 ガージャール朝ペルシア アラベスターン ムハンマラ
クウェートにてロレンスたちの計画が実行に移されつつある時、ペルシアでも別の計画が立てられ、実行に移されようとしていた。
「フィルビー、用意は出来た。今からあの忌々しい製油所を襲撃に行く…お前も来るか」
「シェイク、私は遠慮しておきます。何しろこれから急がねばなりませんので」
「ああ、冗談だよ。馬と食料、それに水は用意させた。達者でな」
「ありがとうございます。シェイク」
「…次来たときはシャイフと呼んでくれ。さっきから気になって仕方がなかったんだ」
別れを告げる2人の人物、フィルビーと呼ばれたのはインド省に属するジョン-フィルビーであり彼こそがイギリスによって送り込まれたもう一人の男だった。
フィルビーは貧しい家庭に生まれるも類まれな語学の才能によってインド高等文官試験に合格しインドに赴任していた。インド省はフィルビーに目をつけ、ペルシアへと送り込んでいた。
ペルシアでは長らくイギリスとロシアがその影響力拡大を競っていたが、第一次世界大戦によってロシアが事実上の敗戦国となると、代わって中東にその影響力を伸ばしつつあったドイツがペルシアへと影響力を広げ始めた。
特にドイツ企業のヴィンター-シャルがペルシアでの石油採掘に成功すると、更にドイツとペルシアの結びつきが強いものとなり始めた。インドを管轄するインド省としてはこの状況は座視できるものではなかった。特にカイロ-ケープ鉄道の清国までの延伸が議論され始めると通過地点であるペルシアからのドイツ排除の必要性は増していった。
そんな中でフィルビーが接触したのが長老ことハザール-カーン-イブン-ハジ-ジャビル-カーンだった。ハザールはペルシア領内に住んでいるアラブ人であり、彼らの住む土地はアラベスターンと呼ばれ代々自治が認められてきたが、ここ数年はペルシア政府の近代化によって国家の統一が図られ、自治は名ばかりとなり、領土の一つであったアーバーダーンはペルシア政府によって奪われ、ヴィンター-シャルが採掘事業を行なっていた。
フィルビーはアラベスターンの独立、最低でも自治を条件にハザールを引き入れた。
こうしてオスマン帝国、ペルシアの両方でアラブの反乱と呼ばれる、武装蜂起が起きようとしていた。




