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第35話 アナリティカルエンジン

1909年5月2日 イギリス領アイルランド ダブリン

「よし、やったぞ、これは20世紀の最も偉大な発明だ。これほど革新的な計算器がかつてあっただろうか」


ロンドンでの会合が失敗に終わった翌日、『ヨーロッパで最も汚い町』ことダブリンで深夜にもかかわらず、喜びを爆発させている男がいた。彼の名はパーシー-エドウィン-ラドゲート。ここダブリンで会計士として働く傍ら新たな計算器を作り出すために仕事の無い夜間には研究に没頭する日々だった。

そして、ついに彼は自らが理想とする計算器解析(アナリティカル)機関(エンジン)を作り上げたのだった。

もっとも、彼自身は全く知らなかったことだが、この解析機関は19世紀にチャールズ-バベッジが発明したものと細部が異なるだけで、飛びぬけて革新的という訳ではなかった。


しかし、それを取り巻く環境には大きな差があった。

1896年にアメリカのハーマン-ホレリスがパンチカードに穴を開けるキーパンチマシンを発明した事により、アメリカではパンチカードは国勢調査などで大々的に使われるようになっていた。また、1901年にロンドンで技術規格委員会が設立されるなど規格化への努力も始まっていたことから、バベッジの解析機関とは違い、より高精度な部品製造と量産化が可能だった。

しかし、それ以上に差があったのが、需要だった。20世紀には技術が飛躍的に進歩しており、様々な場所でそうした計算器の需要が増えていた。

特に第一次世界大戦によって飛行機などの精密機械の設計や、弾道計算といった複雑な計算が必要な分野での需要が高まっていた。


こうして、ラドゲートの解析機関はイギリスを中心に採用される事になった。各国でも類似した機械が次々と作られていくことになる。


また、解析機関の実用化の影響を受けたのは工学の分野のみに留まらなかった。

経済学の分野もそうだった。特にマルクス経済学の分野ではこれを積極的に導入しようとする動きが一部で起こった。

カール-マルクスとフリードリヒ-エンゲルスが提唱した計画経済においては経済における需要と供給のバランス調整のための計算が極めて難しいものになるのではないか、という見解が示されていた。

しかし、レオン-ワルラスらローザンヌ学派による経済学の分析の分野における数学的アプローチの確立と、第一次世界大戦時の主に欧州諸国での国家による経済統制という"実績"、そして、計画経済に必要不可欠な複雑な計算を短時間で終わらせることが可能となる解析機関の実用化により、計画経済の実現のための下準備は整ったかのように思われた。


一方で、大日本帝国、ロシア帝国、大清帝国といった国々ではパンチカードを使う解析機関を導入したことが結果として記録媒体としてのパンチカードの導入を積極的に進めるきっかけとなった。

大日本帝国では1910年に行なわれた第2回国勢調査(第1回国勢調査は1905年)において初めてパンチカードが試験的にではあるが使われる事となった。

ロシア帝国では当時、セルゲイ-ヴァシリエヴィチ-ズバトフが進めていた労働者管理のためにパンチカードの利用が提言され、首相兼内相のピョートル-アルカージエヴィチ-ストルイピンの了解を得て、わざわざアメリカからハーマン-ホレリスを招いて、パンチカードの導入を推し進めたほどだった。

また、大清帝国では漢民族などの革命派を弾圧するために本人から親族至るまでの膨大な量の個人情報をパンチカードに記録させて集めさせていた。


こうして、解析機関の実用化とパンチカードの導入と普及は各国で様々な影響を与える事になる。


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