第34話 ロンドンのメーデー
1909年5月1日 イギリス ロンドン
古代から五月祭を祝う日として知られ、1886年のアメリカ、シカゴでのストライキ以降は、労働者の祭日ともなっている5月1日、レオポルド-チャールズ-モーリス-ステネット-アメリー、通称をレオ-アメリーといい、タイムズ誌の敏腕編集員として知られている男は指定されたパブへと急いでいた。
「アメリー君こっちだ」
「今日は奥様はご一緒ではないのですか」
「ああ、まあ、ちょっとね」
パブに入るとすぐに見知った顔に話しかけられた。フェビアン協会のシドニー-ジェームズ-ウェッブだった。フェビアン協会とは暴力的な革命によって社会を変えるのではなく、既存の社会の変革を訴える事で社会を変えようという社会改良主義の立場に立った団体であり、イギリスの政治においては大きな影響力を持ち、労働党の母体にもなった団体である。
ジョージ-バーナード-ショーやハーバード-ジョージ-ウェルズといった19世紀から20世紀の英国を代表する作家もフェビアン協会のメンバーであり、その影響力の高さがうかがえた。
ウェッブは妻のベアトリスと共に、そのフェビアン協会の中心人物の一人だった。アメリーはウェッブ夫妻と親しく交流していた人物だった。
「今日はこの2人だけですか」
「いや、まだ、2人ほど来るはずだよ…おお、噂をすればだな」
「1896年の第2インターナショナルのロンドン会議以来かな、ウェッブ。アメリー君、私はヘンリー-ハインドマンだ。名前ぐらいは知っているだろう」
「アイルランド社会主義連盟のジェームズ-コノリーです」
ハインドマンは社会民主連盟を率いる人物であり、ディズレーリと接触して社会主義思想に基づく独自の帝国構想を訴えるなどイギリス社会主義を語る上で外せない人物だった。いささか反議会主義的なところがあり、労働党には参加していなかったが、それでも影響力は大きかった。
一方、アメリーやウェッブ、ハインドマンが帝国を支配する側の人物ならば、コノリーは支配される側の人物だった。
コノリーはイギリスからの社会主義に基づいたアイルランドの独立を訴え、アメリカなどで活躍していた活動家だった。
「さて、本日お集まりいただいたのは我がフェビアン協会と社会民主連盟、それにアイルランド社会主義連盟の方針の一本化についてです。世界大戦により第二インターナショナルが崩壊した今こそ、我々は団結しなければならないのです」
「私としては、やはりイギリス帝国の枠内での社会改良を行うべきだと考えている。そういう意味ではキャンベル=バナマン前首相はいい仕事をしたよ。これを機に労働者の待遇改善や銀行や鉄道の国有化、教育の無償化を訴えなければならない」
「なるほど、関税改革だけでなく社会改革も本国政府の手によって進めると」
「本国による自治領も含めたイギリス領土の統制ですね。私も同意見です。やはり、これを機にイギリスを中心とした帝国社会主義の実現を…」
「ハインドマンさん、ウェッブさん、それにアメリーさん、それは搾取する側の理論ですよ。私はロンドンの労働者が明日の暮らしの心配をしないで良いようになるよりも、ダブリンをより衛生的な街とし、アルスターをイギリスではなくアイルランドの土地に戻す方が先だと思います」
ウェッブによる議題の発表に対してハインドマンがイギリス帝国の枠組み内での改革の優先を訴え、ウェッブやアメリーもそれに賛成した。ウェッブは国家による労働、生活条件の最低保証を訴えており、アメリーは元々ジョセフ-チェンバレンによる帝国特恵関税提案の熱烈な支持者であった。アメリーが一時期考えていた政治の世界への進出を断念したのも、当時イギリスの世論を二分していたキャンベル=バナマンによる貿易統制策への支持を世間に広く訴えるためだった。
これに対し、コノリーが反論した。アイルランド出身のコノリーにとってヨーロッパで最も汚い街と呼ばれるダブリンの現状やアイルランド北部を巡るイギリス人とアイルランド人の対立は放っておけるものではなかったのである。あえて、ゲール語で言ったのはイギリスへの反発の表れだった。
「失礼ですが、コノリーさん、ダブリンの衛生状態改善についてはともかく、アルスターの問題についてはただの地域的な問題にすぎません。我々は植民地、自治領問わずイギリス領土の社会改革を訴えるべきです。そうした偏狭なナショナリズムが第2インターナショナルを崩壊させたのですぞ、もっと視点を広く…」
「目の前の搾取を放置して何が社会改革か、ヘンリー8世、オリヴァー-クロムウェル、オレンジ公ウィリアム、アイルランドは常にイギリスに搾取されてきた。イギリスの資本家たちからのアイルランドの解放なくして、社会改革などありえない」
結局、この日の議論は搾取する側、される側の認識の隔たりを埋められず、そのまま解散となった。
それでも成果はあった。
ハインドマンがそれまでの姿勢を改め労働党の一員として、議会政治に参画する道を選んだのだった。
そして、アメリーもまた労働党の政治家として出馬し、無事当選したのだった。
「すべては1909年のメーデーが始まりだった」
後に自らの政治家人生の始まりを振り返って、アメリーはそう回想している。
総合評価がいつの間にか300ptを超えてました。評価してくださった皆様、本当にありがとうございます。
だいぶ歴史を改変してしまったし、どんな話か分かりづらいだろうからあらすじを変えようかとも思いますがいい感じのが思いつかない…




