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最終話 帝都に砲声轟いて

帝都に砲声が轟けば…は本話で最終話となります。4年以上の長きにわたりお付き合い頂きありがとうございました。長々とした話は活動報告に書きましたのでよろしければそちらをご覧ください。

1945年8月15日 大日本帝国 東京府 東京市

大日本帝国の首都東京は平穏だった。昨年12月の震災の直後こそ次は東京で第2の地震が来るなどという流言飛語によって人々を不安にさせたことがあったが、今や多くの人々はそんなことも忘れて日常を過ごしていた。


そんな東京の道の路肩に一台の車が止まっていた。車は国内メーカーの太田自動車工場やその他諸外国の自動車メーカーに押される中で苦境に立たされている白揚社が起死回生の策として市場に投入した戦時中、陸軍向けに生産していた蒔田鉄司技師設計の四輪駆動車の民間仕様である小型自動車だった。


もっとも国産品とはいえその売れ行きは悪かった。同時期にはギリシア=トルコ社会主義連合のアレクサンドロス-イシゴニスが設計した小型自動車である革命(デヴリム)やそれを南アジア連邦のタタ-ロコモーティヴがライセンス生産したタタ-ミニが日本市場に大規模投入されていたからだった。名前だけでなく設計も革命的な革命(デヴリム)とその派生車に押され、主に官公庁やそれにかかわる人間ぐらいしか購入していなかった。この車の持ち主である広田弘毅も陸軍の情報将校だった。個人所有の車を使っているのは表向きは私用ということになっているからだった。


暫くすると車のドアが叩かれ一人の男が乗り込んできた。


「待たせてしまいましたね」

「いえいえ、気にしないでください高野さん」


乗ってきたのは明治通商社長である高野五十六だった。明治通商は表向きは貿易商社だがその実態が帝国海軍の特務機関であるということは半ば公然の秘密となっていた。そしてその代表である高野も隻腕のスパイとして諜報活動を行なうものなら知らぬものはいない人物だった。


戦時中はフィリピンの独立勢力の支援について激しい議論を交わした2人だったが、このところ2人の関係は改善していた。争点であったフィリピン統治が南部がイギリスの手によって独立させられる形で決着がついたことにより特に対立する理由が無くなった事と感情的なわだかまりを超えて立ち向かわなくてはならない"相手"が出現していたからだ。その相手とは現在の政権である茅原崋山内閣だった。


普通ならば仮想敵は海を越えて接するアメリカ合衆国のみなのだが、アメリカの誇る情報機関である連邦捜査局FBIは昨年の前FBI長官ジョン-エドガー-フーバーの死後、再編されている途中であり、ほかに警戒すべき極東社会主義共和国の情報機関である通称"ザミャーチンの守護天使たち"にしてもその目はロシア帝国を向いており、現状とくに国外からの不穏な動きはなかった。


問題は国内だった。茅原内閣は今年に入って早々に陸軍省と海軍省を国防省に統合しようという動きを見せており、それに対して陸海軍の双方から抵抗運動が起こっていたが、内閣を潰す覚悟の茅原に対してかつての帝都不祥事件の記憶も新しい陸海軍の抵抗はどこか及び腰でありダラダラと政治的暗闘が続いていた。


だがそうした政治的暗闘を続ける中で未だに世界主導的地位を担うイギリスと日本の同盟国であるフランス共和国がオマーンをめぐって代理戦争を始めるという衝撃的な知らせが舞い込み、アメリカがこれを好機として対日戦を決断してくるのではないかと危惧した高野と広田はこの日、密に情報交換のため会うことにしたのだった。何しろアメリカは卑怯にもいきなり奇襲攻撃を仕掛けてきた国だからだ。ふたたびそのようなことがないとは言えなかった。


「イギリスとフランスはオマーンにて激突しています」

「まったく無駄なことを言いたいが…早期決着の見込みは?」

「残念ながら。しかし、このままいけば国力で劣るフランスが敗北することは免れないでしょう」

「フランスは(おか)では強いんじゃなかったかな」

「…地図の上では繋がっていても、エジプトの独立でアフリカとは交通が遮断されているし、スエズはまともに通れない。もう1つの同盟国であるアルメニアはロシアから何か言われたのか不干渉を貫き、最後の頼みの綱であるフランス領レバノンから物資にしてもイギリス人がキプロスから妨害に出ている…ここまで妨害されてまともに動ければ奇跡です」

「対するイギリスにはイランやクウェートといういまだ場に出していない手札が残っている以上フランスの不利は覆らない、か。おそらくイギリスは今回の勝利を利用してドイツ問題の解決を図るだろう」

「さすがにそれは…そこまでの大博打をするでしょうか、少なくとも大陸欧州との溝をこれ以上深める方向に動くというのは…」


広田は言外にありえない選択肢だと述べていたが、実際には高野の予想通り、ドイツ帝国からの大協商(数的主力はフランス軍)の撤退が合意されることになる。だが、広田の言うようにイギリスと大陸欧州の溝がより一層広がったのも事実であり欧州諸国はイギリスとフランスの間で揺れることになる。


「まぁ、どのような形に落ち着こうともイギリスとフランスの間でしこりが残るのは確か…であれば、その隙にアメリカが動き出してくるのは自然だろう」

「それについては同感です。しかしそうなると我々のみでアメリカと向き合わねばならなくなる。欧州諸国を考えないとすれば当てになるのは清国、ロシア、南米諸国ぐらいでしょう」


そう言ってから広田は溜息をついた。大清帝国とロシアは極東、南米諸国はアメリカ勢力圏とされたベネズエラ、コロンビア、エクアドル、そして分断されたままの北ペルーという火種をそれぞれ抱えていたが何れもアメリカという大国を相手取るには力不足だった。ロシア駐在経験が長く、それゆえにロシアとの深いつながりを持つ高野はロシアがそうした劣勢を覆そうと血眼になって"化学兵器"の製造を行なっているという情報を掴んでいたが、それだけで不利を覆すことは出来ないと考えていた。実際にはロシアが血眼になって開発していたのが"化学兵器"ではなく空想科学小説の世界の産物としか思われていなかった核兵器であったことを各国が知るのはその威力が実践で証明されて後だった。


「やはり厳しいか、そういえば徳川総理がフランスから持ち掛けられていたというフランスを含む各国との新たな安全保障枠組みについてはどうだろう」

「それについては少し進展がみられているようですが、フランスが積極的なのに対してイギリスはオランダを仮想敵に含めることに関して否定的なようで」

「欧州政治の事情を持ち込むのは他所でやってほしいものだ」


帝都不祥事件以前にフランス駐日大使だったイヴ-ポール-ガストン-ル-プリウールは欧州各国とその植民地及びアジア諸国による包括的な安全保障の枠組みの構築を目指しており、それは現在でもフランスのアジア外交の方針の1つとして継承されていたが、対するイギリスはその包括的な安全保障の枠組みの仮想敵に親アメリカの中立国であったオランダ王国を含めることに難色を示し続けていた。そのため交渉は暗礁に乗り上げていた。


「となると結局は…」

「打つ手なしということです」


高野と広田は同時にため息をついた。こんな時にアメリカが奇襲攻撃を仕掛けてきたら間違いなく何も出来ないまま終わるという危機感はあれど打開策は何一つとしてなかったからだ。


だが、実際の所、当時のアメリカには対日戦を行なう意思も余裕もなかった。自国の復興に完全併合を目指すカナダでの治安維持…課題は山積みだった。その一方で大協商とも対峙する必要もあったことから大協商内部でのイギリスとフランスの関係悪化によりようやく一息つけたという程度だった。"民主主義"の最後の砦という自負は自らが世界から孤立しているという恐怖心と孤独感の裏返しであり、そのためにアメリカは勢力圏各国への膨大な援助を行ない、その援助は勢力圏各国を発展させるとともに、その周辺に大きな緊張をもたらすことにつながり、結果的にアメリカをより孤立させることになる。


だが、そのような未来の話は高野も広田も知る由がなかった。


車内の重苦しい空気を打ち破るかのように突如として砲声が轟いたのはその時だった。だが、そんな砲声に周りの人々は立ち止まることはなかった。別にどこかから攻撃を受けたわけではなく東京市が正午の知らせとして発砲している午砲の音だからだ。明治以来続いていた午砲は昭和に入ってサイレンに取って代わられるも、1935年の奇襲攻撃の後にはサイレンを警報と勘違いする例が続出した結果として終戦後に再び午砲が復活させられていたのだった。


アメリカによる奇襲攻撃がいかに日本人の心に深く刻み込まれていたかを示すような事例だったが、本来兵器である大砲の砲声が平和な日常の象徴のように扱われている光景はどこか皮肉だった。


「もう昼ですか、高野さん何か食べませんか」

「いいですね」


そう言って笑った高野の笑みを見て広田はエンジンを始動させた。昼食後も2人は意見を交わしたが結局結論は出なかった。ただ1つはっきりしているのはこの日、大日本帝国では何事もない平和な日常が続いていたという事だけだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 完結おめでとうございます。 東京でのクーデターの砲声から始まり、平和な昼ドンの砲声で終わる。 タイトルと合わせて、なかなか粋な対照だと思いました。 「陸軍軍人」広田弘毅が自家用車を自分で…
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