第33話 石油産業の攻防
石油、それは新時代のエネルギーと目されていた資源だった。
そして、その石油の採掘を担う石油会社は各地で覇権争いを繰り広げていた。
南北アメリカでは反トラスト法により分割されても、なお巨大な規模を誇るスタンダート社系列の会社がタフト政権のドル外交を背景に圧倒的な規模で探査と採掘を行なっていた。
アジアではそうした、スタンダート社系列の他に、イギリスのビルマ石油とシェルが合併したバーマオイル-アンド-シェルが英国利権の多い清国とイギリス植民地にて採掘を行っていた。
元々、シェルは1903年にはオランダの石油会社ロイヤル-ダッチと提携し、更にフランスのパリ-ロスチャイルド家の資本が流れこむ形でアジアティック-ペトロリウム-カンパニーを設立していた。
このままいけば順調に合併してロイヤルダッチシェルという社名にでもなっていたかもしれないが、第一次世界大戦中のイギリス政府による統制策もありビルマ石油とほぼ強制的に合併させられてしまう。
困ったのが残りのロイヤルダッチとパリ-ロスチャイルド家だった。石油と金はあっても肝心の輸送手段が無いのだから。更にこの機を逃すまいとアメリカのスタンダート系列の石油会社が殴り込んできていた。もはや打つ手なしかと思われ身売りまで検討されていた。
その時、彼らはロシアに新たな希望を見出した。あのアルフレッド-ノーベルが兄リュドヴィグと弟ロベルトと共に設立したノーベル兄弟石油会社、通称ブラノーベル社だった。
ブラノーベル社は主に黒海を中心とする石油会社で、世界初の近代タンカーを実用化した会社でもあり、1903年には世界初のディーゼルエレクトリック船にして、同時に世界初の内燃機関で動くタンカーを実用化するなど常に革新を忘れない企業だったが、ロシア政府によるロシアン-ゼネラル-オイル-コーポレーションへの石油会社の一本化政策により存亡の危機に立っていた。
パリ-ロスチャイルド家はそんなブラノーベル社に接触し、シェルに代わるアジアティック-ペトロリウム-カンパニーのタンカー業の柱として迎え入れ、本拠地もイギリスの影響の強い清国の上海から、第一次世界大戦をフランス、オランダと共に戦った大日本帝国の横浜に移して再出発したのだった。
余談だが横浜にはシェルの創設者であるマーカス-サミュエルが創設したサミュエル商会があり、わざわざ横浜にしたのはシェルへの当てつけだったのではないかと言われている。
こうして、敗残兵の集まりと揶揄されながらも最後に残った蘭領東インドの石油利権をアジアティック-ペトロリウム-カンパニーは守り抜く事に成功した。東アジア及び東南アジアはバーマオイル-アンド-シェルとアジアティック-ペトロリウム-カンパニーの牙城となった。アメリカはこの牙城を崩すべく様々な策を考える事になる。
一方、中東ではまた別だった。
イランでのダースィー達の失敗から中東では石油は出ない、と決めつけていたイギリスの石油産業界とは違い、アメリカ人たちはオスマン帝国と結びターキッシュ-アメリカン-オイルを設立し、オスマン帝国領内での探査、採掘事業に取り掛かる。
また、ドイツでボーリング業を営んでいたカール-ユリウス-ヴィンターはベルリン-バグダート鉄道やヒジャズ鉄道の建設で盛り上がりを見せていたドイツ帝国での中東ブームに乗り、かつてダースィー達が諦めたペルシアでの石油採掘に成功する。ヴィンターの会社、ヴィンター-シャルはペルシアの石油利権を一手に担う事になった。
しかし、こうした各国の動きは中東を自らの宝石であるインドへの通路と見なす、イギリスにとっては面白いものではなく、イギリスは中東の利権を我が物とすべく暗躍を始めるのだった。




