第329話 アラビア半島の航空戦
私事が忙しく長らく更新できず申し訳ありませんでした。一応次回で本編は完結です。
1945年7月26日 オマーンスルタン国 ソハール沖 HMSフューリアス
「せっかくちゃんと帰ってこられる艦なんだ。蛙食いどもに落とされることなく無事に帰ってこい」
イギリス海軍ペルシャ湾及びアラビア海戦隊司令官であるエドウィン-ハリス-ダニング少将は甲板に並べられた航空機を見ながらそう言った。
ペルシア湾に浮かぶその艦は奇妙な艦だった。かつて、大戦中に上陸時の航空支援用に建艦されたフューリアスは大改装を受けていた。具体的には手間のかかる水上機ではなく陸上機とほとんど変わらない艦載機たちを運用するための改装だった。ロケット式の離艦補助装置によって発艦した機体は、フレキシブル甲板と呼ばれるゴム製の後部甲板に胴体着陸のような形で着艦し収容されるという革新的なものだったが、それを実戦に使用する機会は訪れないと考えられていた。
なにしろ、仮想敵国といえる国々はどこも復興に勤しんでいたからだ。こうして、とりあえず、ペルシャ湾に位置するイギリス租借地ブーシェフルのイラン民主連邦共和国への返還式典に合わせる形で回航され、その後インド洋で訓練を行なう予定だったが、ペルシャ湾を挟んだオマーンスルタン国では緊張が高まっていた。
オマーンには大きく分けて2つの政治勢力があった。1つはマスカットを首都とするオマーンスルタン国、そしてもう1つはニズワを首都とするイマームを頂点とした宗教国家であるオマーンイマーム国だった。
かつて第3代カリフであるウスマーンに対して反対し、またその後の第4代カリフであるアリーやアリーと敵対したウマイヤ朝にも反対したアブドゥッラー-イブン-イバードを祖とすることからイバード派と呼ばれる、スンナ派ともシーア派とも違う信仰を持ち続けたオマーンの人々は指導者であるイマームを共同体の選挙によって選出するという独特の慣習を持っていたが、中央集権化を推し進めようとし、二重の権力が存在することを嫌うスルタン国はイマームの権威を否定しようと動き、イマーム国の側はそうしたスルタンの姿勢に反発を強めていった。
だが、あくまでオマーンという1地域の問題であったはずのこの問題が大きくなったのは隣国であるハーシム朝アラブ帝国がイマーム国に対して支援を開始したからだった。大アミールとしてアラブ帝国を実質的に支配するムハンマド-アブデル-モネイムはイギリスの陰謀によって故郷であるエジプトを失って以来イギリスに対する復讐を望んでおり、オマーンでの衝突は絶好の機会だった。
モネイムとしては望んでいたのはあくまでイギリスに一泡吹かせることであり、祖国を滅亡に追いやるまでの戦火を巻き起こす気はなかったが、それでもアラブ帝国による支援はそれまであきらめていた武力での抵抗をイマーム国に決意させるには十分だった。
こうした介入はスルタン国にとっては予想外のものであり急遽イギリスに支援を求めるも、イギリスとしてはアラブ帝国、そしてその背後にあるフランス共和国の真意を図りかねており、結果として対応は後手に回った。
遅まきながら介入を決断した時にはすでにニズワにはアラブ帝国、そしてフランスの義勇軍が入り込んだ後だった。加えて言えば現地の状況も悪かった。スルタン国の人々は近代化と言いながらもイギリスの意に従い続けるだけのスルタン国の方針に不満を持っているものも多かったことやイマームに対する尊敬の念も依然として強かったことからイギリスの不介入を知ると各地で暴動を起こしていた。もはや、躊躇している暇はなく速やかにイマーム国を降伏させる必要があった。
こうして、その最初の一撃としてソハール沖に展開したフューリアスより特徴的なV字尾翼を有する艦載機であるソッピース-パップにより編成された史上初の艦載機部隊が出撃していったのだった。
1945年7月26日 オマーンイマーム国 ニズワ上空
フューリアスより発艦した艦載機を最初に探知したのはフランス義勇軍所属のブレゲー社製の大型輸送機を改造した早期警戒機である暗号名シゴーニュだった。
「ペルシャ湾方面より敵航空部隊、シャールジャの部隊でしょうか」
「イギリス人め、せっかく我々が情けをかけて戦域を限定しているというのに…今上がっている機体をすべてぶつけるように連絡しろ」
慌ただしく動き始めたフランス人たちに交じって、かつてのバルカン戦争の折にイタリア王国へと派遣された飛行隊と同じ名を付けられたその機体にはコウノトリ部隊に日本人、滋野清武が参加していたのと同じく日本人が搭乗していた。
(なるほど、これだけ効率的な迎撃戦闘ができるとは…我が国も同様の機体を供与、いや、自力でも作るべきだ)
大日本帝国海軍軍人であり、現在はフランス義勇軍所属の日本人としての身分で観戦武官のような活動をしている小園安名はその効率的な迎撃に感心した。小園をはじめとした帝国陸海軍軍人にとって1935年のアメリカ合衆国による奇襲攻撃は大きな衝撃を与えており、そのようなことが再び起こることの無いように万全の体制を整える必要があった。
そうした中で盛り上がっていたのが、大戦中にドイツ人民海軍の表面効果翼機やドイツ人民空軍の36センチ無反動砲を搭載した航空機を装備した特別部隊ゾンダーコマンド-エルベによる攻撃に対抗すべくイギリス海軍を中心に構築された電波探知器を搭載した哨戒艦によって阻止した戦訓から、潜水艦に同様の機器を搭載した哨戒潜水艦を多数建造するというものだった。
この哨戒潜水艦構想は最終的に帝国海軍初の原子力艦艇である原子力哨戒潜水艦伊四百型の建造につながることになったが、そうした状況下で帰国後小園が発表したフランスの早期警戒機に関する研究は海軍には注目されることはなかったものの陸軍の興味を引き、帝国陸軍が同種の機体の試験を行っている。この日の戦闘は空母艦載機の初実戦というだけでなく帝国陸海軍にも大きな影響を与えた。
一方で、当初オマーンのみにとどまると思われたこの紛争自体にもこの日の戦闘は大きな影響を与えた。イギリス軍の攻撃を休戦オマーンのシャールジャ飛行場からの航空攻撃と誤認したフランス義勇軍は直ちに報復として攻撃を行ない、イギリス側はアラブ帝国との緩衝国でありながらも自国の北側に位置するアラブ帝国領の農業地帯であるアシール地域の併合を狙っていたイエメン-ムタワッキリテ王国を焚きつけることでそれに答えた。それに対してフランスはさらにインド洋地域に広く居住する交易の民であり、そうであるがためにイギリスの後ろ盾を得たインド人商人たちの進出に警戒感を強めていたイギリスアデン保護領東部とオマーンスルタン国西部にまたがって居住するハドラマウト人を蜂起させたが、こうした紛争の泥沼化はいまだ復興途上のフランスの国力を大幅に消耗させることにつながり、最終的には講和につながることになった。
このアラビア紛争と呼ばれた一連の紛争でいかにフランスの国力が消耗したかはそれまでフランス側が話題に出すことすら拒んだドイツ帝国からの"駐留軍"撤退を10年という期限付きではあったが認めたことこそがその証明だった。
ペルシャ湾及びアラビア海戦隊は設立を前倒しされただけでなく、史実のものとは違い紅海を管轄に含まず司令官も代将ではなく少将にして少し格上げされています。
本作でのソッピースパップは史実でいうスーパーマリンタイプ508です。愛称は別物を使ってもよかったんですがソッピースにスーパーマリンが飲み込まれているのでせっかくなので使いました。着艦が胴体着陸なのは史実通りです。
オマーンの問題は史実では1950年代に紛争になるんですが、もともと1930年代ごろからくすぶっているのでまぁ、早くしてもいいかなぁと。
ハドラマウト人は史実よりも早くかつ大規模に進出を始めたインド商人たちの影響を受けたための蜂起ですがイギリスとしても完全な排除は難しいでしょうが、放置もできないというというなかなか難しい問題になりそうだしハドラマウト人もその辺をうまく利用して生きていきそうです。




