第326話 研究開発の成果
1945年1月10日 デンマーク王国 フレンスブルク
第二次世界大戦の終結とともにデンマーク領となったフレンスブルクに真新しい施設が立ったのは2年ほど前のことだった。そこはデンマークでも屈指の大企業の施設だったが働いている多くの人間はデンマーク人ではなかった。
「博士、調子は?」
「ええ、順調です」
スウェーデン人実業家であるアクセル-レンナルト-ヴェナー-グレンの問いに亡命ドイツ人技術者コンラート-ツーゼは満面の笑みで答えた。
ツーゼは社会主義ドイツからデンマークへと亡命し、そこでグレンが設立したアクセル-レンナルト-ヴェナー-グレン自動計算機に入社していた。この会社はグレンが将来の発展の要となると考えて設立していた会社だった。
アクセル-レンナルト-ヴェナー-グレン自動計算機に入社した亡命ドイツ人はツーゼだけではなく、ユダヤ系のユリウス-エドガー-リリエンフェルトやリリエンフェルトとともに社会主義体制下において真空管に代わる次世代の信号増幅装置としての半導体を研究していたオスカー-エルンスト-ハイルもそうだった。もっとも、社会主義体制下における研究といってもほとんどがプロパガンダ目的で実用からは程遠いものであり、本格的な開発を開始したのはアクセル-レンナルト-ヴェナー-グレン自動計算機に入社してからだったのだが。
このようにアクセル-レンナルト-ヴェナー-グレンによって集められた者たちが何故グレンの故郷であるスウェーデン王国ではなくデンマークにいるかといえばデンマークが亡命ドイツ人たちが集まる土地となっていたということもあるが、スウェーデンにおいて政権を担っているスウェーデン社会主義協会、通称SSSが反ユダヤ主義的な政策を行っていたためリリエンフェルトの入国を阻止しようと動いていたことやそもそもグレン自身がSSSと距離を置いていたことなどが理由であった。
「しかし、初仕事は鉄道の制御ですか」
「ええ、まぁあれはあれで画期的なものですよ。博士のお造りになったものと同じぐらいね…ご不満で?」
「まさか逆ですよ。寧ろこれまで以上にわくわくしてるんです。弾道の計算なんかよりずっと素晴らしいことに私の機械が役に立つなんて」
グレンの言葉にツーゼは嬉しそうに答えた。
グレンの言っていた画期的な鉄道とはオーストラリア系イギリス人の技術者エルフリック-ウェルズ-チャーマーズ-カーニーが開発した"モノレール"と呼称されているものだったが、実際には単軌鉄道ではなく、上下に一本ずつ線路がある不思議なものだった。
カーニーはこれを地下鉄において使用しようとしており、勾配を利用することで電化が必須の地下鉄の電気使用量を節約することも可能になると主張していた。カーニーはイギリスにおいて自身の提案を形にしようと奔走したが、オーストラリア動乱もあって元々懐疑的だった計画に出資が集まることはなかった。
グレンはそんなカーニーに目をつけ、自身の名を冠したアルヴェーグ式モノレールとして、カーニーのシステムを売り込もうとしていたが、それでもなお懐疑的な人々に安全性を証明するべくツーゼの開発した計算機による制御という斬新さを前面に押し出して売り込みを図ることにした。
結果としてアルヴェーグ式モノレールの売り込み自体は振るわなかったものの、アクセル-レンナルト-ヴェナー-グレン自動計算機はツーゼの開発した計算機やリリエンフェルト-ハイル素子として世界に知られることになる半導体開発などでデンマークの新たな産業の柱となるのだった。
1945年2月5日 イギリス ヨーク エアスピード社
エアスピード社はイギリスの大手航空機会社エアコー社の子会社だったが、そんなエアスピード社にこの日一人の男が現れた。
「久しぶりだな」
「いやいや、この会社に来てくれるとは思いませんでしたよ。ウォリスさん」
「別に君がいたから来たってわけじゃない。どちらかといえば用があるのは…」
「うちの親会社の方ですか」
「エアコーには自前の航空会社があるからな。何としても飛ばして見せるさ」
(子会社であるうちに押し付けられた段階で、どこまで期待されてるかは怪しいけどな)
決意に燃えたヴィッカース社を退職した元技師バーンズ-ウォリスを見ながらエアスピード社の社長であるネヴィル-シュート-ノーウェイは言いかけた言葉を飲み込んだ。
ヴィッカース-ヴィクトリー爆撃機や2万2000ポンド爆弾の開発で著名な技師であったウォリスが何故ここにいるかといえば、戦後の開発方針をめぐる上層部との対立が原因だった。
ウォリスは戦後ヴィッカース-ヴィクトリー爆撃機を改造したヴィッカース-ヴィクトリアン旅客機の開発を行なう中で画期的な新型機のアイデアを閃いた。それは可変翼を持った音速を超えて飛ぶ超音速旅客機の構想であり、さっそく上層部に開発を進言したのだった。
だが、上層部の答えは否だった。まず第一にそこまでの推力を得られるエンジンが存在していないこと、そして第二に労働党政権において航空相に任じられたオズワルト-モズリー準男爵と親しい関係にあるイギリス発の操縦士としても知られるイギリス航空界のパイオニアで現在はサンダース-ローの社長であるアリオット-ヴェルドン-ローが自社で開発した飛行艇の採用を強く働きかけていたからだった。
もちろんそうした状況はウォリスも理解していたが、それでもウォリスは諦めなかった。ヴィッカース社の資金力と政治力さえあれば打開できると信じていたからだった。だが、上層部は首を縦に振らなかった。彼らにとってそうした力を使うべき所は他にあった。将来の計画として進められている宇宙事業がそれだった。
形質の獲得によって進化が起こりうるという学説が主流だった当時、宇宙への進出は容易であると信じられていたから、そこに眠る資源の採掘もまた容易なはずであり、そこに向かう宇宙船の建造利権を握ることが出来ればヴィッカースの繁栄は未来永劫に約束されたも同然、そう考えたのだった。
こうしてウォリスに対しては"今までの功績を鑑みて"極小規模な開発チームが与えられただけであり、そうした扱いに耐えかねたウォリスはエアクラフト-トランスポートアンドトラベルを傘下に持つエアコー社を訪れたが、そこでも本気に取り合われることはなく、エアスピード社を紹介されたのだった。
ウォリスはエアスピード社で研究を続けた結果として、アメリカ合衆国のヒューズ-アヴィエーションズ-カンパニーのジョン-クヌーセン-ノースロップが開発した全翼機と並んで異形の外見を持った航空機として知られるエアスピード-スワローが生まれることになるのだが、それまだ先の話だった。
わかりにくいですがリリエンフェルト-ハイル素子は史実でいうトランジスタです。
スワローは史実でヴィッカース時代にウォリスが考えていた名前をそのまま付けました。




