第323話 占領者たちと抵抗者たち
1944年10月20日 ドイツ帝国 マインツ ゲオルク-フォルスター広場
ドイツには第二次世界大戦後かつての帝国が帰還していたとはいえ、その領土には大協商に属する各国軍が"駐留"を続けていた。マインツにあるかつてシラー広場と言われていたこの広場は占領後にフランス軍によって、かつてのフランス革命期に成立した短命な共和国であるマインツ共和国の代表を務めた啓蒙思想家ヨハン-ゲオルク-アダム-フォルスターに因んだゲオルク-フォルスター広場に改名されていた。
「新憲法か…我々が祖国を離れている間にずいぶんと祖国のほうは変わったようだな。そろそろ、君も帰りたいんじゃないか?」
「閣下、我々がここからいなくなればドイツ人はすぐにでも牙をむいてくるでしょう」
「ああ、わかっているとも、もっとも"他"がどこまでわかっているかは怪しいが」
ゲオルク-フォルスター広場に面した将校用の料理店で昼食後に新聞を読んでいたライン右岸地区占領軍司令官シャルル-レオン-クレマン-アンツィジェールはため息をつき、それを見たシャルル-ド-ゴール少将は納得できないという表情でアンツィジェールを見た。
ドイツの占領はその国土を蹂躙されたフランス共和国、ベルギー王国、イタリア王国にとっては重要だったが一方でせっかく大戦が終わったにも拘らず必要以上の負担を強いられることになっているイギリスやスペイン王国、ポルトガル王国などは消極的であり、近年では撤退論まで出る有様だった。
もともと、大した兵力を派遣していないスペインやポルトガルがいなくなっても特に問題はなかったが、流石にイギリス軍が撤退するのは占領統治に支障をきたすとして抗議したが、逆にイギリス側はこちらも第二次世界大戦後に復活していたハノーファー王国でのドイツ人による治安部隊の訓練を開始するなど積極的に"ドイツ化"を進めようとする動きを見せはじめて事により、いまだ国土が傷ついているベルギーやイタリアでも少しずつではあるが撤退論が盛り上がりはじめていた。
「閣下、他国がどうであろうと我がフランスは行動し続けるべきです。忌まわしきドイツ人からヨーロッパを守るための盾となるために、かつて、エルサレムを異教徒から守り抜いたボードゥアン4世のように絶望的な状況であっても戦い続けなければならないのです」
「しかしだな、私が言えた話ではないが、もう少し協力者を募ってもいいのではないかね」
「ですが、それでは…」
「では、どうするのかね?君の志の崇高さは認めるが我々は騎士ではない、現代軍だ。誇りと略奪で戦い続けることはできないよ」
「しかし、ドイツ人に対する融和などは不要です」
「なぁ、少将…私は自分がどのように見られているかをよくわかっているつもりだ。そして、君にとっては不本意だろうが君と私は"同じ立場"にあるはずだ。だが、それでもなお私がこう言っている意味をよく考えてほしい」
アンツィジェールがそれまでとは異なる穏やかな口調で告げた言葉にド-ゴールは言い返せなかった。
ド-ゴールもアンツィジェールも2人ともブルターニュの出身だが、ド-ゴールがブルターニュ地方の貴族出身であるのに対しアンツィジェールは父親がアルザス出身のドイツ語教師であり、独仏戦争後に移住してきたという経歴を持っていた。そのことからアンツィジェール自身は軍人としてフランスに奉仕していても、ポピュリスト的な現政権であるドルジェール政権からはドイツ人に対して同情的なのではないかと疑いの目で見られ、アンツィジェールもそのことをわかっていたために強硬な手段をとることが多かった。
そして、疑いの目で見られているのはド-ゴールもそうだった。ド-ゴールに疑いの目が向いたのもアンツィジェールと同じくその家族が原因だった。ド-ゴールの叔父にあたるシャルル-ジュール-ジョセフ-ド-ゴールは著名な詩人であると同時に汎ケルト主義者であったため中央集権から地方への分散化に舵を切ると同時に各地の分離独立運動を警戒していたフランス政府あるいは軍にシャルル-ジュール-ジョセフ-ド-ゴールの甥として独立運動の旗頭となることを警戒されていた。もちろんド-ゴールにはその気はなかったがそんなことは関係なかった。
そのような疑いの目で見られていることをよく知っていたからこそアンツィジェールは自身がドイツ人への融和策をとるべきと言い出す意味を理解してくれといった。つまり、逆に言えばそれほどまでに事態は逼迫しているということだった。
実際、事態は深刻だった。
とにかく問題が頻発していたのだ。フランス軍の占領方針はあまりに苛烈すぎた。彼らは大協商の掲げる非社会主義化の名のもとにかつての社会主義体制での活動を理由に行政組織から過半の人間を追い出すと未だベジタリアン作戦の飢餓に苦しむ人々を放置して祖国復興のための収奪に励んだ。また、ルーデンドルフ政権時代にテロによって死亡したカール-リープクネヒトがドイツの誇る英雄の一人として祭られていたことを理由にレーゲンスブルグのヴァルハラ神殿を爆破するなど、文化的建造物の破壊もドイツ人たちを激怒させた。こうした占領方針はなるべく貴族出身者などの非社会主義的なドイツ人に任せようとしたイギリスやそこまでドイツ人を信用していなかったもののアレマン人などは用いたイタリア人とも違うものであり、統治から破壊までの全てを自らの手で行なったフランス人に対する怒りは特に強かった。
「…いいでしょう」
「うん、ありがとう」
アンツィジェールがド-ゴールに笑みを浮かべたのと、爆発音がしたのは同時だった。
「よし、やったぞ。同志シェレンベルク、我々の勝利は近い」
「いいから早く逃げよう。同志ショル」
(くそ、動きがのろいな、なんでこんな奴のお守りなんか)
爆発を見届けると思わず喜びの声を上げたハンス-ショルに対しヴァルター-フリードリヒ-シェレンベルクは辛辣だったがそれも仕方がなかった。熱心なカトリックだった家族が国家の敵とされるとその汚名を雪ぐために志願して戦場に赴き、戦後も抵抗者としてそれなりの経験を積んでいたシェレンベルクに対してショルは末期に軍事訓練を受けただけであり、シェレンベルクのように戦い慣れしていなかった。
だが、それでもショルがこうして戦いに加わったのは強い憎しみがあればこそだった。妹であるゾフィーは占領直後にフランス軍によって強引に"逮捕"されたのち行方不明となり、3年がたっても未だに帰って来ていなかった。もっとも、シェレンベルクに言わせればそれも現在のドイツ各地では見慣れた光景であり、8歳年下のショルからは兄のように慕われていたシェレンベルクだったが、シェレンベルクはショルに同情こそしても無能な人間に足を引っ張られているという不満のほうが強かった。
『貴様ら、何をしている?身分証明証を見せろ、それから…』
「くそが」
「なんで撃つんだ。やり過ごすだろ普通は」
誰何してきただけのフランス軍憲兵に向かって、いきなり人民機関拳銃を発砲したショルに対して流石にシェレンベルクが怒鳴ったが、とにかく逃げることに集中した。
ヴュルテンベルク、バルトリンゲン生まれの技師ゲオルグ-ハイデ設計の人民機関拳銃は人民空軍の操縦士の自衛用に設計されていた拳銃弾使用の自動火器であった機関拳銃の手間のかかる木製部品を多用する構造を廃止して、金属プレス加工によって生産性を向上させたものだったが、末期故にその質は悪く戦後試験したイギリス軍人からはその金属製の無機質な外観もあり下水管みたいな銃と呼ばれるほどだったが、全く皮肉なことに、動員を解除された熟練工などが戦後に抵抗組織に加入したことで質が改善されると量産が容易なその設計から各地の抵抗者たちが携行するようになっていたのだった。
結局、この日、シェレンベルクとショルは何とか逃げ延びることに成功したが、その代償は大きかった。フランス軍はアンツィジェールとド-ゴールの死の報復としてマインツ周辺において大規模な"治安作戦"を実行した。マインツ周辺のいくつかの村が文字通り消滅し、その後捕らえられたシェレンベルクとショルも見せしめとしてわざわざ航空機から突き落とされて命を落とすことになった。
だが、この"治安作戦"の実態はドイツ人を国内に多く受け入れていたスウェーデン王国の報道機関によりスクープされ、非人道的行為に対する強い憤りを込めた記事とともに世界に広く知れ渡ることになった。
特にヨーロッパから離れていたアメリカ合衆国やヨーロッパと距離を置きたがっていたイギリスでは互いに緩やかな対立関係にあるにもかかわらず、"治安作戦"におけるフランス軍の非人道的行為が非難されたが、復興が進む両国に対して劣等感を覚える各国では逆にかつてドイツによって踏みにじられたという共通の記憶もあってフランスに対する同情論が高まる結果となった。こうして、大協商内部では戦後ドイツの問題をめぐって意見が激しく対立することになるのだった。
ハイドが史実でアメリカに移住したのが1927年なので、本作品世界ではドイツ人のゲオルグ-ハイデのままです。




