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第322話 歩いてきた道を戻って<下>

1944年9月19日 ロシア帝国 クバン地方 ソチ

黒海沿岸部に位置する風光明媚な港町であるソチはクバン地方の中心都市のひとつであり、ロシア人以外の民族が多数暮らす都市だったが、近年では寄港した客船あるいは商船より、チェルケス人が下船する光景が見られるようになった。かれらは歌や踊りで歓迎されながら下船していったが、多くは希望に満ち溢れているというよりも警戒して不安そうにしている人間がほとんどだった。


『ここは貴方方にとって初めて訪れる場所かもしれない。だが、私はあえておかえりと言わせてもらおう。私も、そして貴方方も同じチェルケスの血を引く兄弟であり、この場所は紛れもない貴方方の故郷なのだから』


港に設置されたスピーカーからは将来のチェルケス人による民族州の創設を目指す組織である『チェルケシア自治運動』の代表であるプシェマホ-タマシェヴィチ-コツェフの演説が流されていた。


多くの下船する人間がみな不安そうにしているのは、別にこれからの生活のことを心配していたためではなかった。移住者たちには十分な仕事や住居などが与えられることが事前に約束されていたからだったが、それでもなおチェルケス人たちが警戒心をわすれることはなかった。そうまで恐れているのはかつてのロシア軍がチェルケスを征服したときに行なった残忍な行為のためだった。


チェルケスを征服したゲオルク-オットー-エヴァルト-フォン-ザスの祖先はリヴォニア帯剣騎士団に属したバルト-ドイツ人の騎士であり、18世紀にウンゲルン-シュテルンベルグ家やウランゲリ家のような著名な一族とともにロシアに忠誠を誓い、ザス自身もライプツィヒからワーテルローに至るまでのナポレオンとの戦いに従軍した騎兵将校だった。


だが、チェルケスでのザスの振る舞いはそうした栄誉とはかけ離れたものだった。

ザスは村という村をすべて焼き、森に逃げれば森ごと焼き払い、さらに無作為に選んだ生存者を嬲り殺すという行為を誇らしげに行なっていた。そのことから、ザスはチェルケス人の間ではサタン(シャイターン)と同一視され、恐れられた。


その恐怖は各地に離散することを強いられたチェルケス人の子孫たちの間でも未だに語られており、反対にロシア人の間ではチェルケス人という野蛮人からコーカサスを征服し、キリスト教徒を守った英雄として知られていた。しかし、近年少しずつ変化が起きていた。


きっかけはロシア内戦だった。チェルケス人といってもそのすべて離散したわけではなく、ロシア帝国領内にとどまった者たちも多かったが、そうしたチェルケス人たちは先祖伝来の土地であるチェルケシアの新たな支配者となったクバン-コサックの支配下で貧しい暮らしを強いられ、さらに戦争が起こるたびに従軍させられた。そうした扱いに耐えかねていたチェルケス人達はロシア内戦時にアレクセイ2世の掲げたユーラシア主義に希望を見出し、コサックたちに反旗を翻したのだった。


アレクセイ2世の側も戦後、設立された親衛隊においてチェルケス人たちを重用した。こうしたチェルケス人に対する重用はロシア人の反発を招いたが、それからしばらくして起きた第二次世界大戦においてアレクセイ2世の統治に不満を持つグルジア人などがドイツ人とともに戦う中でチェルケス人たちが帝国側に立って戦い続けたことで少なくとも表立ってチェルケス人のことを批難できぬ状況となっていた。


そこで、アレクセイ2世は来るべき極東社会主義共和国との戦いに備えてより多くの兵力を集めるべくかつてのチェルケシアの地にチェルケス人たちを帰還させようと動き始めた。『チェルケシア自治運動』の活動が認められた背景にはそうした思惑があったのだった。


アレクセイ2世はさらにザスと同様にロシアに忠誠を誓ったドイツ系貴族のうちウンゲルン-シュテルンベルグ家のロマン-フョードロヴィッチ-フォン-ウンゲルン-シュテルンベルクが源義経ならびにチンギスハーンの転生者を僭称して反乱を起こし、ウランゲリ家のピョートル-ニコラーエヴィチ-ウランゲリはロシア内戦の際にボリス大公側についたばかりか、アルメニア共和国に支援と引き換えにイェレバン地域を引き渡すなど、それまでの名誉を汚すような振る舞いが多く、また第二次世界大戦においてドイツ人によって行われた破壊の記憶はまだ新しいものであったことを利用してザスの蛮行を帝国内に入り込んだドイツ人による工作と批難して、その名誉を剥奪し、ザスが建設した城砦を起源とする町であるアルマヴィルもかつてのチェルケシアの別名であるジキアに改名した。


チェルケスの征服をあくまでキリスト教徒の救援を目的とした遠征の結果であり、また偉業とも考えていた多くのロシア人は激怒したが、表立ってそのような主張をするものは少なかった。


もちろん、こうしたアレクセイ2世の政策がチェルケス人から受け入れられているかは別だった。チェルケス人たちは自らの祖先たちがなくなったのが決してドイツ人の陰謀ではなく、ロシア人による虐殺の結果であることを知っていたし、そうであればこそ、ロシアという国家の責任を回避しつつ、故地への帰還を餌として駒として使おうとするようなアレクセイ2世の考えは全く持って腹立たしいものだった。


だが、それでも、離散したチェルケス人たちは新たな移住先を必要としていた。

それは近年のハーシム朝アラブ帝国及びその周辺における様々な動きが原因だった。離散したチェルケス人たちはマムルークとなってイスラーム諸王朝に受け入れられていた。しかし、イランやトルコでは革命により同化を余儀なくされ、エジプトでは反乱の結果として追放されるなどチェルケス人とってはそれまで築いてきたものが一気に失われるような大きな変化が相次いでいた。


加えてアッバース-ヒルミー2世の跡を継ぐ予定であるムハンマド-アブデル-モネイムは信用できぬ諸侯たちに対抗するためにチェルケス人の他にもクルド人といった異民族を用いた結果、却って傀儡に過ぎなかったカリフであるハーシム家に発言力を与えることになってしまったそれまでの政策を改めアラブ人に配慮した政策を行なう意向を示しており、アラブ帝国内でも今後はチェルケス人がどうなるかわからない状況になっており、そのため、仕方なくチェルケシアへの帰還を選ぶ人間もいたのだった。


だが、こうした"ロシアの偉業"の否定と引き換えに帰還した者たちの存在はロシア人の反発をさらに強いものとする事に繋がるのだった。

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