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第307話 暴動と秘密会談

1943年5月3日 ハーシム朝アラブ帝国 エジプト副王領 アレキサンドリア 

「諸君、今こそ決起の時だ。いまだ囚われた我らが指導者を解放し、傲慢なアラブ人やトルコ人といった"アジア人"を我ら"ハム"の土地から追い出す時が来たのだ」


オックスフォード大学で学位を取得し、帰国後は新聞記者として政府の汚職を激しく追及したことで少数派であるコプト教徒でありながらもその清廉さから国民から広く尊敬されている人物であるマクラム-イベイドはそういって大衆たちを前に演説していた。


イベイドは作家であるターハー-フセインの提唱するファラオニズムの信奉者であり1938年のトーチ作戦以来いまだに収監されているターハーの釈放を求めてデモを行なっていた。エジプトをアラブとは別の民族であるとして古代エジプト文明を称揚していたファラオニズムであったが、トーチ作戦後の弾圧によってターハが拘束され地下組織となった後はさらに過激さを増しておりエジプト人は"ハム"人種であり、民族的にもアラブ人のようなアジア起源の民族とは異なると主張するようになっていた。"ハム"人種とは旧約聖書に登場するノアの3人の息子の1人であるハムの子孫がアフリカに定住したという伝承に由来するものであり、アフリカにおいて"白人的特徴"を持つとされた諸民族に対して適応された概念であり、"ハム"人種は通常の白人とは異なる特徴こそあれど確かに白人の子孫とされた。この"ハム"人種の概念を取り入れたことによりファラオニズムは今やエジプトを完璧にアラブから分離した存在にしようとしていたのだった。


「そこまでだ。演説を中止せよ」

「黙れ政府の犬ども、ここは"俺たち"の土地だ」


しばらくして、演説をやめさせようと集まった警官たちに対して大衆たちは抵抗したことで衝突が始まり、やがてそれは暴動へと発展した。アレキサンドリアにある警察署や士官学校といった施設には大衆が殺到した。この突然の事態にハーシム朝アラブ帝国側は全く対応できず、逆に警察や軍の中から多数の離反者を出すような有様であり、こうした報に接した多くの者たちがさらに離反することで、エジプトにおけるハーシム朝アラブ帝国の基盤はほぼ壊滅した。のちにエジプト革命と呼ばれる革命はこうして始まったのだった。


この革命においてスエズ運河を中心にアレキサンドリアをはじめとする主要部に軍を展開させているイギリスが全く行動を起こさず、それどころか紅海を渡って鎮圧を試みるハーシム朝アラブ帝国軍に対しては"スエズ運河の安全な航行のための必要な行動"と称して威圧行為を行ない、ただの一兵もわたらせなかったことはこの革命の裏にいるのが誰であるかを教えているようなものだったが、イギリス政府はあくまで沈黙を守っていた。だが、背後にイギリスが存在しているということは同時にそのイギリスに対して挑戦しようとする者たちが動き始める絶好の機会となるのだった。


1943年6月10日 ハーシム朝アラブ帝国 ホムス

この日、ホムスにおいて主にかつてのレバノンを中心とした地域を管轄するフランス共和国レヴァント地方高等弁務官ジャン-バティスト-パスカル-ウジェーヌ-キアッペとハーシム朝アラブ帝国大アミール、アッバース-ヒルミー2世の秘密会談が行なわれていた。


「では、こちらの条件は飲んでいただけるということですな」

「だから、そういったはずだ。何度も言わせるな。まずは武器だ。我々のためのものと、それから…」

「スーダンへ送るものですな。もっともそちらに関しては少々時間がかかるかもしれませんが」

「早くしろ、無論、後になってから出来ないなどとは言うなよ」


最後にそういうとアッバース-ヒルミー2世は足早に部屋を出て行った。


(存外長くないのかもしれないな、あの男も…だが、そんなことは関係ない。私は"これ"を手土産に本国へと返り咲くんだ。死ぬならばアジャクシオだ。こんなところで死にたくない)


そう考えながらキアッペはアッバース-ヒルミー2世が署名した文書を見て笑った。


キアッペは1878年にコルシカ島アジャクシオに生まれ、内務省に入省後は警察官僚として出世を重ねた人間であり、タルデュー政権の誕生後はタルデューと個人的に親しかったこともあり、タルデュー政権誕生後は政権を陰から支えた。そして、第二次世界大戦勃発後にはかつての革命期のフーシェと比較されるような絶大な権力を持ってフランス全土に監視網を構築して、敵対的組織の監視にあたって銃後を守った。


しかし、今ではそれが仇となってレヴァントに左遷されていた。直接的な原因は現大統領であるドルジェール率いる農民運動を弾圧したからだったが、その功績にも拘らず左遷されるまでに追い込まれたのはキアッペが多くのものから恐れられ、あるいは恨まれていたからだった。


だが、それも今日までだとキアッペは思った。先ほどアッバース-ヒルミー2世が署名した文書にはそれだけの力があった。


文書にはハーシム朝アラブ帝国に対するフランスからの軍事援助の見返りとして、アル-フフーフ周辺でのフランス石油による油田調査と発見した場合の独占的な利権の保証が記されていた。


アラビア半島のアル-フフーフはナツメヤシの産地として知られていたが、近年では別の理由で注目されていた。それが、クウェート首長国のブルガン油田をも超える世界最大規模の油田がその近くに眠っているのではないかという情報の存在だった。しかし、地質学者などから有望視されていても、その調査や採掘はこれまでは難しかった。なぜならば、ただでさえイギリスの存在を苦々しく思っていたアッバース-ヒルミー2世は、さらなる石油の採掘がさらなる従属の強化を意味すると考え、許可しようとはしなかったからだ。しかし、エジプトの叛乱によって自らの最大の勢力基盤を失い、さらにイギリスも事実上見捨てる意思を示したことで帝国各地の首長たちに動揺が走る中でキアッペの出した条件をアッバース-ヒルミー2世は飲むしかなかった。油田が発見されれば、キアッペはその立役者として評価されることは間違いなかった。


もっとも、もし、石油が出なかったとしても問題はないとキアッペは考えてもいた。キアッペからすれば大アミールとしてカリフであるハーシム家を補佐し、事実上の実権を握るアッバース-ヒルミー2世がフランス側に転がり込んできただけでも十分に意味があると考えたからだった。なぜならば、レバノンにおいてキリスト教徒とムスリムの衝突と向き合い続けていたキアッペからすれば、今回の文書によりレバノンのみならず北アフリカにおいて緊張状態を緩和に繋がることは、それだけでも十分なものと評価されると考えたからだった。


結果的に、フランス石油はアル-フフーフ近くのガワールにおいて世界最大級の油田を発見し、それまで国際資本による石油会社であってもイギリス系資本の力が強かったオリエント-ペトロリウム-カンパニー1強の石油産業の勢力図を一変させることとなる。

マクラム-イベイドが政治家ではなく新聞記者なのは本人が政治活動にかかわり始めたのが割と遅いのと、ハーシム朝アラブ帝国の成立により、独立したエジプトというナショナリズムの発展が遅れたためワフド党の結党がなかったためです。

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