第304話 大レース
1943年2月8日 ウルグアイ東方共和国 ブエノスアイレス
第二次世界大戦後、アルゼンチンの滅亡に伴いウルグアイに併合されたこの町では少しずつ復興が進んでいた。そんなブエノスアイレスでは多くの者たちが1つの催しに熱狂していた。大戦中に遷都され今もブラジル合衆国の首都であるサン-ジョアン-デル-レイからパラグアイ共和国のアスンシオン、大戦によってラパスが壊滅的な被害を受けたことから首都の地位を取り戻したボリビア共和国のスクレ、そして分断国家の片割れである南ペルーのクスコ、チリ共和国のサンティアゴを通り、パタゴニア執政府のプエルトジョーンズから海沿いにブエノスアイレスへと至る大レースだった。ヨーロッパなどに比べれば被害の少ないとはいえそれなりの被害を受けた南アメリカでなぜこのような大会が行われているかといえば、南アメリカ諸国の団結を国内外に示し、盛り上がっている南アメリカ諸国による連合論にさらに弾みをつけようという考えが背景にあったからだった。
『おおブリティッシュランチェスター社が先頭だ。流石は"同郷の人間"が作った車だよ』
『"我ら"の技術力は高いからな』
街頭テレビを見ながらあえて固有名詞を避けて話しているのは最近増えているドイツ系移民たちだった。アルゼンチン系住民がいなくなるのに反比例するかのように入植していった彼らはかつての祖国にたいして誇りを持ってはいたが、多くの戦争犯罪を行なった敗戦国の出身者という目で見られていることもまた理解しており、結果としてそのような遠回しな言い方をしていたのだった。
送り出す側のドイツ帝国は大戦中の農業地帯への汚染により食料が恒常的に不足しており移民政策をなりふり構わず行なっていた。もちろんドイツの通貨であるマルクの価値は紙くずになっていたおり、さらにドイツの保有する金はすべて大協商の管理下とされていたため、ハイパーインフレを収束させるために経済学者であるカール-テオドール-ヘッフェリッヒがライムギとの交換権を本位とする貨幣であるロッゲンマルクを発行することを提言するような状況であり、そうした経済崩壊に伴って移民の数はさらに増えた。さらに、戦後フランス共和国に併合されたライン川地域においては多くのドイツ人が追放されていたため、そうした追放者たちの存在によって移民数はさらに増えると見込まれた。
(ドイツ人め、お前たちの称賛など聞きたくもない…貴様らのせいで私や、なにより"博士"がどれだけ苦労したかわからないのか)
言葉はわからなかったが明らかに喜んでいる様子の元ドイツ人たちを見ながら、静かに怒っているのはブリティッシュランチェスター社長のフレデリック-ウィリアム-ランチェスターだった。彼はイギリス自動車界の先駆者であり、航空技術者でもある男だった。
ドイツ出身の移民たちがさまざまな分野で移民先の各国に貢献していたのは事実であり、これはドイツ革命後に国外に亡命した者たちと同様だったが、そうした旧世代の移民たちの間ではそうした社会主義体制下を経験した者たちを忌避する感情も強かった。
これは社会主義に対する憎しみもあったが、そうした旧世代移民、特に大戦期にドイツ人であるということを理由に迫害された者たちからすればたとえドイツ出身者であっても社会主義体制に順応していた者たちを受け入れるのは難しかった。
そうした旧世代移民の1人が、厳密にはオーストリア人ではあるが革命後にイギリスに亡命した"博士"こと自動車技師のフェルディナント-フォン-ポルシェだった。ポルシェは1900年のパリ万国博覧会に史上初のインホイールモーター車を出品したことなどで知られている技師だったが、第一次世界大戦でフランスやドイツの影響で軍の自動車化を志向し始めたオーストリア=ハンガリー帝国軍の求めに応じて物資運搬用のハイブリッド軌陸車を設計したことが認められて、1918年に貴族の仲間入りを果たしていたが革命後にはそれが仇となり一転して祖国を追われる羽目になった。
亡命後、ポルシェは様々な会社に入社しては経営陣と対立して退社することを繰り返していた。これはイギリスの自動車産業界にはやや保守的な考えのものが多かったからだったが、1927年にランチェスターに出会ったことでその運命は大きく変わった。ランチェスターは自身が保有していた会社こそ1909年に大手自動車会社のデイムラーに売却していたが自動車への関心を失うことはなく、1927年にハイブリッド車を開発しようと思い立ち、ハイブリッド車開発で実績のあるポルシェに助言を求めたのだった。
やがて、バーミンガムにあるランチェスターにあるランチェスターの工房で私的に作っていた自動車は話題を呼び、はじめに少数が量産されるとさらに話題を呼び、その利益によってかつてのデイムラーに売却したランチェスターブランドを再び買い取るまでに成長した。しかし、そんな順風満帆だったランチェスターとポルシェに最大の試練が訪れた。それこそが第二次世界大戦だった。
戦時中主任技師だったポルシェは社会主義体制からの亡命者であったにもかかわらず、ドイツ人であることを理由に批判された。これに対してランチェスターはポルシェを擁護する一方で、社名にイギリスの会社であることを強調するためブリティッシュをつけてブリティッシュランチェスターと改めた。
そうした苦労を覚えていたからこそランチェスターは大戦中は社会主義ドイツに尻尾を振っていた者たちが、まるで自らの誇りのように自社の車のことを言うのが許せなかったのだった。
『おい、あれ…』
『うそだろ…誰かこの中で完走に賭けてたやついるか』
(なんだ、一体…あれはたしか日本のオータとかいうやつか)
突然、どよめきが起こった。ランチェスターが画面を見ると流線型の自動車がゴールするのが見えた。大日本帝国から参加した太田自動車工場だった。設計こそフランス人のガブリエル-ヴォワザンだったが、部品単位まで製造は日本製の国産車だった。しかし、それ故に多くの者たちは日本製の自動車が完走することはあり得ないと考えていたのだった。
だが、太田自動車工場の自動車である神風号は完走した。そして多くの人々にとっては勝敗よりも日本車の完走という事実のほうが大きな衝撃を与えたのだった。後に作られたロシア帝国、アメリカ、ドイツ、そしてパタゴニアと各国を渡り歩いた流浪の天才監督として知られるセルゲイ-ミハイロヴィッチ-エイゼンシュテインとその妻のベルタ-ヘレーネ-アマーリエ-エイゼンシュテインが撮影した記録映画のタイトルには神風号からとった『カミカゼ』が使われることになる。
「このレースで完走できる車が作れるとはな、意外とできる連中かもしれんな」
ランチェスターはそういうと楽しそうに笑った。まだまだ世界には未知なる可能性が数多くあることを実感したからだった。
評価ポイント1900pt突破記念作品です。
ポルシェが貴族になっていますが、これは史実では貴族になる前に敗戦によってオーストリア=ハンガリー帝国自体が消滅したためなれなかったものが、こちらでは帝国が若干長続きしているため貴族になれただろうと判断したからです。




