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第303話 故郷を奪われしものたち

1943年1月9日 フランス共和国 アルジェリア オラン県 オラン

オランの街中に男たちが集まっていた。しかし、彼らは黒い足(ピエノワール)と呼ばれるフランスをはじめヨーロッパ本国からの移民たちの子孫ではなかった。アカディア人と呼ばれる彼らはアメリカ合衆国占領下のカナダから追放されたフランス系カナダ人だった。


「諸君、我々は一度故郷を失った。しかし、今日からはここが新たな故郷となるのだ。このアルジェリアこそ、われらアカディア人の新たなる故郷である」


カナダから追放されたフランス系カナダ人、ルイ-エブンは声を張り上げた。

クリフォード-ヒュー-ダグラスの社会信用論に基づく経済と反ユダヤ主義に魅了されながらも、保守的なカトリック教徒だったエブンはブルターニュの生まれだったが、若いころにカナダにわたりそれからはケベック州を拠点にカトリック教会の聖職者として働いていた。エブンは教会で働く傍ら、社会信用論に関する執筆活動にいそしんだが、そんな日々は長くは続かなかった。第二次世界大戦が勃発したからだった。


ケベックを占領したアメリカ軍はすぐフランス系カナダ人を強制的に収容した。シンクタンクとしてアメリカ合衆国政府に対して様々な助言を行なっていたテクニカル-アライアンスはフランス系住民の同化は不可能として追放を提言しており、その第一段階としてフランス系住民を一か所に集めようとしていたからだった。しかし、収容所の環境は劣悪であり、病気などで亡くなる人間も少なくなかった。


フランス系住民が抵抗活動を行なうのは当然であり、エブンも抵抗活動を始めた。だが、そうした抵抗活動の先にあったのは勝利ではなかった。宗主国であるイギリスと民族的な起源であるフランスはともにアメリカとの停戦を行なったのだった。こうして、フランス系住民たちは合法的に収容され、次々とフランスへと送られていった。ほどなくして起こった第二次アメリカ内戦によって、移送は中断されフランス系住民の中には再び抵抗運動に身を投じる者たちもいたが、結局は愛国党政権の勝利に終わり、抵抗運動に加わった者たちは容赦なく処刑され、加わらなかったものは移送されたのだった。


フランスに移送されたフランス系カナダ人たちはアカディア人と呼ばれたが、彼らは決して歓迎されたわけではなかった。当時のアンドレ-タルデュー政権は当初フランス社会へのアカディア人の同化に前向きであり、戦争によって荒廃したフランス農村部の復興のために農民として移住させようとしていたのだが、それに対してフランス国内からは、


『フランスの農地になぜアカディア人を受け入れなければならないのか』


と猛烈な反対があった。その筆頭に立ったのはアンリ-オーギュスト-ダリュアン、政治活動家としてはドルジェールと名乗っていた男だった。結局、そうした反対によってアカディア人たちはフランス本土ではなくアルジェリアへと送られることとなった。


ドルジェールは従来の政党が都市の市民や労働者などに目を向ける中で軽視されてきた農民たちに目を向け、ブルターニュのレンヌを本拠地にして都市住民や労働者ではなく農民のための政治を訴え続けた。反ユダヤ主義に加えて、農民のために行動しない議員たちを仕事をしない使用人に例えて罵り、子供に家の手伝いをさせるために学校に行かせない権利を唱えるなど、一見、前時代的に見えるドルジェールの主張だったが、それは無視され続けてきた農民たちによる怒りの声だった。


もっとも、ドルジェールは投機的な資本主義を排除しても、国家の下で一定の管理受けた形での資本主義には賛成するなど経済界に一定の譲歩を示すなど、ややポピュリスト的なところもあった。


だが、タルデューがとった行動はドルジェールの逮捕と支持者の弾圧という過激なものだった。これはタルデューがドルジェールの行動をただの農民一揆程度にしか考えていなかったためだったが、これがタルデューにとっての誤算だった。挙国一致の戦時体制を挟んで異例の長期政権を実現していたタルデューだったが、それに対する不満は小さいながらもあちこちで渦巻いており、それがドルジェールの逮捕に伴って爆発したのだった。


そして、何よりもタルデューを驚かせたのはフランス国民の多くがドルジェールの釈放を望んでいた事だった。要するにフランス国民は変化を望んでいたのだった。それがどんなに過激なものだったとしても。


かくして、タルデューとドルジェールの間で話し合いがおこなわれ、事実上の禅譲のような形で大戦中を通してフランスを導いたタルデュー政権は退陣しドルジェール政権が誕生した。国内外から農民運動から身を起こした男が次に何をするのか注目が集まったが、その政策は意外なものだった。


ドルジェールは植民地の工業化を推進しようとしたのだった。もちろんこれは植民地のことを思ってではなくフランスのためだった。フランス本国における農業重視政策を始める一方で、残された最後の市場ともいえる植民地においてはフランス製品を現地住民に買わせるために教育や流通インフラの整備を行ない、各植民地ごとの自立を目指すのは矛盾しているともいえたが、それでもその政策は成功していた。


植民地大臣であるシャルル-ルネ-プラトンが中心となって進めたことからプラトン計画と呼ばれたこの植民地経済再編策ではフランス本国の定める規格に従い、また、許可を得る必要こそあれど工業製品の自力での生産すら認められていたため、多くの植民地で工業化のためにフランス資本を導入し、フランスで生産された部品を使ってノックダウン生産を行ないつつ工業化を目指した。


特に人気があったのが大戦中にミシュラン社に自動車部門を買収されて誕生したイスパノスイザ自動車がモース自動車におされる高級車路線から撤退して販売し始めた大衆向け自動車であるTPVであり、ミシュランから派遣された社長であるピエール-ジュール-ブーランジェの指揮のもとでジャン-エドゥアール-アンドローが開発したTPVはフランス本国のみならず植民地の各地で見られたほか、勢力圏以外にも輸出されフランスを代表する車となった。


しかしフランスは植民地における自国の意義を失わせないために敵を作ることも忘れなかった。標的はかつてのフランス領モロッコを領土としていたリーフ共和国だった。同じムスリムとはいってもアラブ人はベルベル人を軽視する傾向があり、フランスはリーフ共和国の主流がベルベル人であることに目をつけ利用したのだった。こうして各地で反ベルベル人キャンペーンが行なわれたが、一方で問題となったのがアルジェリアだった。


なぜならば、各地でのアラブ人の動きはアルジェリアの民族感情を刺激するには十分だったからだった。法的にはフランス本国と同じ内地であっても、地理的、民族的にはマグリブの一部であるという矛盾から抗議活動は激しさを増した。フランスは当初はこれを弾圧していたが、せっかく経済圏に取り込んだマグリブ地域の離反を食い止めるためにもなるべく穏健な形での解決が求められた。


しかし、アルジェリアの主要産品である農作物のフランス本国への輸出などは論外であったため、別の手を考える必要があった。本国政府が考えている間にもアルジェリアでは黒い足(ピエノワール)とアルジェリア人との衝突が激化した。こうした衝突の中、かつての戦闘経験を活かし、フランス系カナダ人は黒い足(ピエノワール)の側に立ち戦った。戦いの中でフランス系カナダ人は認められ、やがて、蔑称であったはずのアカディア人という言葉はいつしか尊敬の念を込めて使われるようになっていた。


やがて、こうした衝突が激化し、収拾がつかなくなる前にフランス政府、とくにドルジェールは積極的に動き始めた。最終的なフランスの勝利こそ疑ってはいなかったが、大戦中に家族を失ったものの怒りを知っているドルジェールにとって、こうした紛争が長期化することは自らの支持基盤を揺るがす事態につながりかねないと考えたのだった。ドルジェールはすぐに地中海を渡って、アルジェで各勢力の指導者と会談した。この会談においてドルジェールはエブンと話し、エブンが自らの地盤であるブルターニュの出身者であることからかつての反対のことも忘れて親交を結んだ。


そして会談後にドルジェールは一つの発表を行なった。それはアルジェリアにおける黒い足(ピエノワール)とアルジェリア人の分離だった。黒い足(ピエノワール)が集中しているオラン県とコンスタンティニエ県は完全なフランス領とし、アルジェ県に関してはアルジェ市の旧市街(カスバ)を新たに設立される自治領に引き渡し、飛び地としたほかは全てフランス領となった。


最もすべてが平和的に終わったわけではなくオラン県とコンスタンティニエ県、アルジェ県における暴力的なアルジェリア人の追放や旧市街カスバとそれ以外を分離するように建築家ル-コルビュジェの設計した壁のような住居兼用の道路が作られるなど問題はあったが、それでも紛争の抑止には成功したのだった。


こうしたフランスの政策は同時期にイギリス人居住者を内包しながらもアイルランド王国の独立を容認したイギリスとは対照的であり、歴史家の間で議論の対象となっている。

ドルジェールの主張が史実より若干穏やかなのはファシズムのないこの世界において、ファシズム的要素を排除したためです。史実では罵るだけでなく議会廃止まで主張。


イスパノスイザがミシュラン傘下で再建されているのは、タルデュー政権に近いフランス救済運動にアンドレ-シトロエンが加わっていることからシトロエン、もといモース自動車がフランス政府により救済される可能性が高いことと、世界恐慌のような経済危機のない作中世界では機関砲のために自動車部門を潰すよりかは軍需と民需で分社化するのが普通では?と考えた結果です。


ジャン-エドゥアール-アンドローは史実ではマティス自動車などで活躍していた技師ですが、史実で2CV設計したアンドレ-ルフェーブルが元々航空技師だったことから、この世界だと航空技師のままでいそうなので代わりのような形です。多分、こっちのTPVは史実でアンドローが作ったマティス333を4輪化したような形になりそう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アカディア人とピエノワールの連帯と物分かりの良いファッショ。 戦う者たちの豊穣で雄渾なドラマが想像されます。 [気になる点] この世界のフランス共産党は壊滅してますか?
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