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第301話 和解と繁栄

1942年10月27日 メキシコ合衆国 メキシコシティ レフォルマ通り

メキシコシティでは盛大なパレードが行なわれていた。長らく事実上の独立状態であった自由地域とメキシコ政府との和解が成立し、自治権と引き換えにメキシコに編入されたからだった。


「…気に食わないな。アメリカの車に乗ってアメリカ人の傀儡の議会に加わるためにこんな街に来る羽目になるとは」

「そう怒るなよ。ニカラグア人(ニカ)我々の自治は認められた。まずは成功したといっていいんじゃないか」

「やはり、気に食わんな。こんなところで足踏みを続けることなど許されない」

「…君の言いたいことはわかるが、ドイツという前例があるんだから、しかたあるまい。思想に拘って身を滅ぼすよりかは、一歩ずつだよ」


パレードの車列の中で静かに怒るニカラグア人(ニカ)ことアウグスト-セサル-サンディーノに対し、スペイン王国から亡命してきたアンヘル-ペスターニャはそう宥めたが、サンディーノは不満そうだった。

2人がこうした論争をしたのは今回が初めてではなかった。2人はともに無政府主義者だったがその方向には違いがあった。最終的な目標こそ同じだったが、ラテンアメリカすべてを解放する闘争を望むサンディーノに対してペスターニャは議会への参加による緩やかな社会の変革を通した無政府主義革命を望んでいた。


サンディーノはもともとニカラグアの出身でありメキシコ革命中に無政府主義に惹かれ、一時は故郷ニカラグアに戻った時期もあったが弾圧されて再びメキシコの地を踏み、いまや自由地区の軍事部門を束ねる存在だった。一方のペスターニャはスペインで長らく労働運動を行なっていたが、内戦終結後に自由地区に渡って新聞の発行などの広報担当を行なっていた。


そんな2人の意見が対立したのが、第2次世界大戦の最中だった。当時、メキシコ政府からは中南米方面に余計な火種を抱え込みたくないアメリカの意向もあって自由地域をメキシコ内の自治地域とする妥協案が提示された。さらにアメリカは同じく国土の一部が自由地域に組み込まれていたグアテマラ共和国に関してもイギリス領ホンジュラスを編入させることで妥協を成立させていたため、メキシコというよりアメリカの提案に乗れば自由地域に敵対する者はいなくなるという魅力的なものだった。その一方で、アメリカと敵対する大協商からは援助と引き換えの参戦要請がなされていた。


大協商の援助を受けての革命戦争の開始を求めるサンディーノに対して、ペスターニャは大協商の援助を受けての戦争は結局はかつてのスペインの旧植民地からの独立がイギリス、アメリカによる経済的な支配を招いたのと同じ道をたどると考えて、独自の革命戦争のために力を蓄えることを望んだ。


自由地域の指導者であるエミリアーノ-サパタ-サラサールと旧マゴン派を中心に支持を集めていたネストル-イヴァーノヴィチ-マフノがそれぞれサパタがペスターニャに、マフノがサンディーノについて論戦を行なった。


結局、アメリカ軍による迅速なカリブ海地域の制圧によって大協商との連絡が立たれたこと、そして何よりも自由地域で作られたタバコのリーフ共和国を通じた闇貿易による莫大な富を得たことが抑止力となって革命戦争という構想自体が有耶無耶になっていった。


一方のメキシコの側も第二次世界大戦中に後背地としてアメリカ企業が多く投資していたことから経済的発展を遂げており、双方の間では歩み寄りが見られた。メキシコ側としても完全に異質な社会となった自由地域を再併合することは名目の上ではともかく実際は不可能であるとの意見が多数を占めたからだった。


例えば教育政策では国家による管理のもとにありながらもカトリックの影響の強いメキシコのものに対して、自由地域では搾取されるばかりだった貧農を自立させるために、スペインの無政府主義者フランシスコ-フェレール-グアルディアの合理教育運動の影響を受けた生徒同士による共同学習と各人の興味と能力に応じた個別教育を特色とする教育を行なうなど、その違いは大きすぎた。そしてこの日自由地域は正式にメキシコの自治地域となり、メキシコは議会内政治を通しての無政府主義革命を理念上とはいえ容認する異色の体制となった。


その後、合理教育がオルタナティブな教育としてとくに国外の富裕層からもてはやされ教育先進地域として知られるようになった他、旧植民地時代からの建築群に加えて無政府主義による自治地域という存在そのものがエキゾチックな観光資源とされ、自由地域に繁栄をもたらすことになる。


1942年11月10日 ドイツ帝国 ザクセン王国 イェーナ イェーナ大学

ザクセン王国にあるイェーナ大学では改名式典が行われていた。もともとイェーナの修道院付属の教育施設として建てられたこの大学は愛国主義的な詩人であるシラーの母校として著名だったが、この度改名式典が行われカール-クラウゼ記念大学となった。


1781年にアイゼンベルグに生まれ1832年にミュンヘンで没したカール-クリスチャン-フリードリヒ-クラウゼは万有内在神論という用語を初めて生み出した人間であり、個人の自由と調和、人間の利益と幸福のために家族や社会といった共同体を重視して、ヨーロッパ連邦、そして世界連邦の形成を夢見た哲学者であったが、思想的な対立関係にあったヘーゲルの影響力の前にドイツでは忘れ去られていた。


しかし、他国、特にスペインでは19世紀を代表する教育者であったフリアン-サンス-デル-リオによって世俗的、実証的な教育の中心となる思想として導入され、クラウジズモと呼ばれるそれはスペインの自由主義教育の基礎となった。

さらにその影響は海を越えてスペイン植民地にも及びプエルトリコのエウジェニオ-マリア-デ-ホストス、キューバのホセ-マルティに思想的な影響を与え、皮肉にも植民地解放のための戦いを始めさせることにつながった。


その影響力は現代においても残されており、アメリカ合衆国との戦いにおいてデ-ホストスやマルティが英雄視されたこと、そして何より、各国に数多く存在していたものの革命以降は白眼視されることが増えていたドイツ系移民たちがドイツ人でありながらも南米大陸の各国に多大な影響を与えたクラウゼの思想に希望を見出し、称揚し、広めたからだった。そして戦後はアメリカという強大な敵を前にして提唱された南米国家による連合ないし連邦構想のためにクラウゼの提唱したヨーロッパ連邦を思想的な基盤とし、その思想を現実政治に反映させようとした。かつての革命家であるミランダやボリバルの構想が基礎とならなかったのはそれらが何れも中央集権的であり、急進的であるため、内部対立によって崩壊してしまうと考えられたからだった。


こうして、スペインそして南米において大きな影響力を持つに至ったクラウゼの思想は大戦後に駐留していた大協商軍の一員としてドイツに駐留する南米各国軍を試験的に統合した南米諸国共同欧州派遣軍によってドイツで広められており、奇しくもクラウゼと対立関係にあったヘーゲルがマルクスへの思想的影響を理由に排除されている状況においてクラウゼがドイツ人ということもあって受け入れられていった。


「学生諸君、君たちこそが新たなるドイツを作っていくことになる。その使命を果たすべく勉学に励むのだ」


作家であり戦後ドイツにおいてクラウゼの思想を普及に尽力している活動家であり、改名とともに学長として占領当局から承認されたアルトゥール-マーラウンはそう演説を締めくくった。


戦後世界においてはドイツという存在そのものが否定されがちな中でマーラウンは仇敵であったフランス共和国との和解によるヨーロッパ連邦の形成による平和的に繁栄を手に入れようと考えており、それはドイツに対して不信感を持ち続けているフランス、そうした反ドイツ的な態度から必然的に親イギリス政策をとりがちなドイツ帝国政府のいずれとも相いれない構想だったがマーラウンは大きく支持を集めることになる。

しかし、支持を集めたのは大衆が和解を願うマーラウンの考えを理解したからではなかった。大衆、特に革命後もドイツ本土にとどまり、あるいはそこで生まれ、戦火の中を生き延びて敗戦を迎えた本土のドイツ人たちはあくまでも"ドイツ独自の思想"に基づいた行動を望んでいたからだった。そうした思想的抵抗が敗者であるドイツ人に残された最後の抵抗の形だった。


だがそれでも、そうした大衆たちの後押しを得たマーラウンはのちに青少年組織としての青年ドイツ騎士団を組織し、さらにはドイツ国家党を結党した。それはマーラウンの考える和解がいまだ遠い存在であることを意味していたとしても、いつの日か和解とその先にある繁栄を手に入れることができると信じたからだった。

サンディーノの扱いはどうしようか悩みましたが、作中のニカラグアがアメリカの世界戦略上重要な場所となっているのでまぁ、史実のような大暴れはできないだろうと考えて自由地域入りさせました。


あと、マーラウンの政党の名称は最初は安直にドイツクラウゼ主義党にでもしようかと思いましたが略すとKPDになるので没にして、代わりに史実で所属していた政党名をそのまま付けました。


最後になりますが、あらすじを変更しました。あらすじの中の『世界史そのものが主人公』という言葉は本作のレビューを書かれた豪陽氏のものですが、使っていいと許可をいただいたので使わせていただきました。本当にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「世界史が主役」という句の使用は御随意に。 私は俯瞰的にマルチスクリーンやザッピングするように、オーケストラの演奏で全体のハーモニーを聴きながら一つ一つのパートを聞き分けるように、世界史を把…
[良い点] ニカラグアが何となく経済的繁栄と平和を期待できるのは喜ばしい限り。 クラウゼの共同体を重視する思想は平和と調和を必要とする世界にとって重要だと思います。 それにしても「英国は海洋を制し仏露…
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