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第30話 南方移民

1910年 仏領インドシナ ダナン


ダナン港に入港した船から日本人たちが続々と降りてきていた。

彼らは南方移民と呼ばれる、日本から仏領インドシナへの移民たちだった。

南方移民たちは各地で鉱山での採掘現場での労働力や割り当てられた土地での農業や、ハノイからサイゴンに至る鉄道建設に従事して、この土地での日系人社会の基盤を築いていった。

こうして、各地に移民を進めていった日本人たちだったが、彼らの多くは行く先々で"匪賊"に遭遇した。特に農業に従事していた人々にその傾向が多く、日本政府は急きょ旧式化していた村田銃を現地に送りサイゴンの兵器廠でフランス軍規格に作り直して支給した、という話がある。

実のところ、移民たちに割り当てられた土地は元々現地人が生活していたが新黒旗軍への加担、またはそれが疑われたがために追放されたり、掃討戦の結果無人になった土地だった。

特にいわゆるベトナム人、キン族の他にもチャム族やクメール族などの少数民族が多かった仏領インドシナ総督府直轄地コーチシナではキン族の追放政策が盛んにおこなわれていた。仏領インドシナ総督だったポール-ボーはかつて自らが積極的に進めていた同化政策はどこへやら、『インドシナにおける前時代的で野蛮な部族の文明化』という名前だけは以前とあまり変わらないが、方向性はまるで正反対の政策を打ち出して、少数民族の保護とキン族及び華人の追放と財産の没収を行なっていた。


しかし、そこで問題が起こった。反乱者予備軍ともいえるキン族や華人は数を減らしつつある、だがその代わりとなる労働力は一体どこから入手するのか、という点だった。

日本政府から仏領インドシナへの移民の申し出があったのはその時だった。

日本政府はアメリカの日本人移民が現地で徐々に軋轢を生みつつある、という事を理解しており代わりの移民先を探していたのだった。フランス本国政府としても日本に新黒旗軍の掃討を依頼し、更には欧州でも共に戦ったという事もあり、これを快諾した。

困ったのは仏領インドシナ総督府だった。本国政府の安請け合いの結果、せっかく立てていた仏領インドシナ再建案を一から作り直す羽目になっていたからだ。


彼らはどこに日本人を入植させるべきか、悩みに悩んだ末に、いなくなったキン族の穴埋めとして日本人移民を活用する事にし、更に移民の数が当初より増やされる事に決まると追放政策を一段と強めていった。そのため、自分たちの土地、あるいは働き口を奪われたキン族や華人たちは日本人移民たちを襲撃する"匪賊"になり果てたのだった。

そして、そうした襲撃は治安回復のための掃討戦を掲げる仏領インドシナ総督府には格好の大義名分であり"匪賊"掃討のためにさらに多くのキン族や華人が犠牲になり、あるいは追放され、そして出来た空白地帯にはまた日本人が入植していった。

こうした光景は蘭領東インドでも仏領インドシナより小規模ながら見られており、21世紀現在、これらの地域で東南アジアの他地域よりも圧倒的に日系人が多い理由の一つとして挙げられる。

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