第294話 コーヒーを飲みながら
1941年4月3日 ドイツ自由社会主義共和国 ベルリン 人民軍総司令部
「うん、やはり本物のコーヒーはうまいな」
「そうか、それはよかった。で、どうだったかね?」
ドイツ国内では金塊よりも貴重といわれる存在となっていた本物のコーヒーを飲みながら、ヨハネス-オイゲン-ロンメルはヘルマン-ゲーリングに質問した。ロンメルがゲーリングに聞いたのは大協商が提示するであろう講和という名の事実上の降伏ののちになされる戦後処理がどうなるかということだった。相手の条件を知らなければ最低限の交渉すらできない、そう考えたゲーリングは交渉と並行しつつ中立国にいるドイツ外交官を使い、大協商の求める条件について探りを入れていたのだった。
「とりあえず今わかるのは陛下がご帰還なされるということぐらいか、あとフランス人は我々をバラバラにしたがっているらしいが、イギリス人は反対らしい」
「となると、ライン川の両岸の割譲ぐらいでおさまるのかな?バーデンやヴュルテンベルクやバイエルンではアレマン人が騒いでいるらしいが」
「ああ、まぁ、革命後に徹底的に弾圧されたからなぁ」
ドイツ統一以来の仇敵であるフランス共和国はこれを機にドイツの分割をもくろんでいたが、イギリスは事前に取り決められていたドイツ帝国の帰還という条件に反するとして反発していた。イギリスは行き過ぎた復讐によってせっかく復活させた旧秩序を単なる傀儡政権として妥当する口実をドイツ人に与えることは新たな戦争の火種になると考えていたし、フランスは文明の敵ともいえる蛮行を行なった国家だからこそ2度と立ち上がれないように分割することが必要だとイギリスの主張に反発していた。そして厄介なのがドイツ内部にもこうした主張に同調する者たちがいたことだった。
同調していたのはゲルマン系ながら独自の文化を持ち、それ故に特に革命後は徹底的な同化政策が行われた古代のスエビ族に起源をもつとされたアレマン人だった。アレマン人たちの間では同じアレマン語を話すスイスやオーストリア西部との合邦を望む声が増えてきていた。
「まぁ、何らかの動きは起こすだろう…それから、ハノーファー王国に関しては王族がいるからいつ復活してもおかしくはないが、イギリス国内の世論を考えればどうだろうな。それからロシア人に関してはイギリスはあまり勢力を伸ばさせたくないようだが、ロシア人はパンスラブ主義に基づいてのシュレージェンとラウジッツの旧ボヘミア領の編入を求めていて、フランス人も支持しているらしい」
「たしかにヴェント人はいるし、裏切り者のポーランド人にやるよりましだが…東部はどうなりそうかな」
「オーデル川より向こうはたぶんポーランド領になるだろうな。実際すでに奴らの制圧下でもある」
「クールラントも東プロイセンもこれからは外国というわけか…偉大なるドイツもただの列強のゲーム盤にすぎないか…」
かつてのハノーファー王国の復活もいくらかの情報源からおそらく提案されることは確実とされていた。
1866年の普墺戦争でオーストリア側についたハノーファー王国は領土を失ったが、その王族はイギリス貴族として現在も存在しており、ただの称号のみとなったハノーファー王位をいまだに継承し続けていた。
そのためおそらく復帰後のドイツ帝国を支援するための窓口兼首輪としてハノーファー王国の復活の提案がなされるのではないか、という話が複数の情報源から入ってきておりほぼ確実とされていた。尤も仮に提案されたとしてもイギリス政府がどこまでそれを実現しようと考えているかは未知であり、何らかの駆け引きの道具としてしか考えられていないのかもしれなかった。
かつての国家を復活させようとしていたのはイギリス人だけではなくロシア人もそうだった。ロシアはシュレージェンやラウジッツがかつての旧ボヘミア領であったことから、ロシア帝国との連合国家として復活する予定のボヘミア王冠領の一部であるとしてその併合を求めていた。そしてポーランド人はそれに不満と警戒心を抱きながらも自らもオーデル川右岸と東プロイセンの領土化を進めていた。
「まあ、引き渡すのは領土だけではすまなさそうだがな」
「……なるほど、ではやはり戦争犯罪人の引き渡しは譲れないか」
「それと賠償も。せめて工業地帯が残っていればどうにかなっただろうが、テールマンめ余計なことを」
そして、最も重要なのが戦争犯罪人の処罰と賠償だった。
交渉に先立って大協商では戦争犯罪人の"暫定"名簿が作成されているとの噂だったが、その戦争犯罪人の定義を巡りドイツ側と大協商との間で隔たりがあるのは明らかだった。
また、賠償についてもネロ指令によって工業設備が破壊されていたため、工業製品による物納という形で行うことは難しく現存する兵器や貴金属、鉄鋼などを引き渡した後に残る賠償金をいかにして払うか、という問題があった。一部には賠償を理由に再度の工業化を目指そうという意見やまた、大協商の行なった化学兵器使用作戦であるベジタリアン作戦により農業地帯が壊滅していることから国内で養える人口には限りがあることから労働力として各国に提供して賠償を減免してもらうといった案も出されていたが、前者はドイツに苦しめられた大協商においてそうした主張に同調するものは少ないと考えられていたし、後者に関してはドイツ人を戦災地域に派遣することによっておこる摩擦を懸念することも多かった。
「まぁ、それだけ、敗戦を受け入れるぐらいならばと考えたのだろうな。いまだに認められない人間が多すぎて困るよ…家の外でも中でもな」
「中?…ああ、ハンス君か」
「停戦の報を聞いたら、真っ先に車を飛ばして家に来てな、それからはやかましくてかなわない。ゲルトルート嬢の半分ぐらいのたおやかさがあればよかったんだが」
「たおやかなハンス君…想像できんな」
「言っておいてなんだが私もだよ」
「で、どうする?」
「何とかするさ、あの子たちだけはせめてな、どうなるかはわからないが…古い伝手をあたってみようと思う」
「古い伝手ねぇ、スウェーデンあたりに知り合いでも?」
「あいにく、北のほうではないな。私の最期の頼みだ。きっと"彼"なら聞いてくれるんじゃないかな。私のことを覚えていればの話になるが…ところでコーヒー、もう一杯くれないか」
「今飲みきったので最後だよ」
「…そうかもう少し味わえばよかったな」
「そのうちまた飲めるだろうさ」
名残惜しそうに言ったゲーリングに対してロンメルはそう言った。あえて、どこで、とは言わなかった。自宅かもしれないし、大協商の収容施設かもしれないし、あるいは地獄であるかもしれないからだった。




